この本を読んでいます。著者は文豪幸田露伴のひ孫。
幸田露伴の娘が幸田文で、その娘が青木玉、その娘が青木奈緒と言うつながりです。その幸田家に根付いていることばが紹介されている本ですが、この本によると幸田露伴の母親が大変な傑物だったようで、幸田家では身内ならが「お猷(ゆう)様」と呼ばれていたそうです。幸田露伴もこのお猷様には終生頭があがらなかったとか。
そのような幸田家に根付いていることばですから、タカ長の育った家とは別世界のような気がして、ある種の劣等感みたいなものを感じていたら、タカ長も母親からこの本に紹介してもらいたいような、大変なことばをもらっていることを思い出しました。
あれは小学校の低学年のころだったと思います。学校の講堂で行われたイベントに行きました。
そのイベントが終わり、帰ろうとしたら置いたところに傘がありません。いくら探しても無いので、何も持たないで帰りました。帰る時に雨が降っていたかどうかの記憶はありません。傘が無くなって泣きながら帰ったかも分かりません。
家に帰って母親にそのことを言うと叱られると思っていました。でも、母親は一言も叱りませんでした。その時に言ったことばです。
「泣かされる人になってもいいけど、泣かす人になってはいけないよ」
当時はモノのない時代でした。1本の傘も貴重品でした。その傘を無くして帰ったのですから、「お前がノロノロしているから誰かに持って行かれたのだ」と叱られることを子どもなりに覚悟していました。でも、母は一言も叱らなかったのです。
泣かされる人になってもいいけど、「泣かす人」になってはいけない。その教えが自分の中でどのように生きているのか、タカ長には分かりませんが、いまあらためて思えばこれは幸田家のことばにも負けないすごいことばだと思います。
タカ長の両親は、いわゆる社会の底辺を生きてきた人で、幸田家とは比べ物になりませんが、母親からもらったそのことばを思い出し、幸田家に一矢報いたような快感を味わっています。