『トイレのピエタ』を観て来た。
俺は窓を毎日磨く。虫みたいに窓に張り付いて。それが仕事だから。
昔は絵を描いてた。でも、才能が無いから止めた。
誰も才能を認めてくれなかった。
私はただの学生。毎日学校に行く。
家に帰れば、バカな母親と痴呆気味の祖母の世話。
毎日毎日、くだらない日々。
どうして俺は、
どうして私は、
こんなクソッタレな世界で、死ななきゃならないんだ?
こんなクソッタレな世界で、生きていかなきゃならないの?
癌と言うのは、自分自身が自分自身を殺していくという病だ。
しかも、時限爆弾式。あると分かってからしばらくして命を奪う。
遊んでみても、逃げてみても、暴れてみても、その爆弾は解除できない。
プールに放った金魚。
そのプールで泳ぐ女の子。
彼女にとっては、初めてのキス。
「責任、とってよね」
そして男の心は動き出す。
男は病気とともに朽ちていくことを選ぶ。
自宅のアパートのトイレ。そこが彼の最期のアトリエ。
手伝いに選んだのは、両親でもなく、
バイトの友達でもなく、
エロい元カノでもなく、
金魚の女の子でもなく、
病室の相部屋で食道癌で、会社ではリストラされかけている横田という男。
たぶん、男が自分に適度に近く、適度に遠い存在だったから彼を選んだんだろう。
そして、自分を止めないでいてくれる人だったからだ。
癌は、いたずらに命を蝕むだけでなく、時に命の触媒として働く。
長い人生を一気に縮めて圧縮し、爆発のような一瞬の力に変える。
綺麗事だと分かっていても、そう思いたくなるときが僕にはある。
彼の場合は、その絵の才能だ。
イメージする。描く。塗る。
狭いトイレの中でグルグルと、それこそ360度回転しながら壁に色を塗る。
最初に白。
次に原色の鮮やかな色。
そして黒。
「こうやって見ると、無重力みたいだね」と横田はデジカメ越しに彼の仕事を記録し、見る。
トイレの中で回転しながら絵を描く彼の姿は、金魚と泳ぐ女の子と重なる。
狭い空間の中で、
息の出来ない空間の中で、
彼と彼女は、今、生きている。
「横田さん。あのね、なんかね、俺、生きてる」
絵が完成する。
「おめでとう」と横田が言う。
彼はそれに答えず、便座に座る。
彼はずっと己の絵の才能の磔刑に処されていたのかもしれない。
それを解き外し、表に全てを出す。
ただただ、後のことなんて考えず、過ぎたことなんて忘れて、今に自分をぶつける。
そして、全てが終わって彼は才能と言う磔刑を終え、磔台から降ろされる。
彼の死というピースが入って、彼のピエタが完成する。
彼の最期を見届けた、唯一の男、横田は、女の子を彼のピエタにまで連れて行く。
彼女は怒る。
悔しかった。
寂しかった。
「どうやったら、死ねますか?」と女の子は訊く。
横田は戸惑う。死と生の相中にいる彼は「わからない」と答える。
どうして私は、こんなクソッタレな世界で、一人で、生きていかなきゃならないの?
自分のものなのに、生き方も死に方も、自分で決めるのは難しい。
死に方が決まらない以上、女の子だって命を消費しながら生きていくしかないのだろう。
才能あふれる彼の死さえ、慌しく動く人ごみや時間が緩衝材となり、そのうち忘れ去られるだろう。
そして、彼の描いた沢山の絵画も最期の作品のピエタも、消えていくのだと思う。
彼の死は、大切なことを教えてくれた。
死に方は選ぶことが出来る。
死に場所は自分で作ることが出来る。
そして、それは生きているうちに出来ることだ、ということ。
その事実は、彼女のクソッタレな人生を少しはマシなものに変えるのかもしれない。
俺は窓を毎日磨く。虫みたいに窓に張り付いて。それが仕事だから。
昔は絵を描いてた。でも、才能が無いから止めた。
誰も才能を認めてくれなかった。
私はただの学生。毎日学校に行く。
家に帰れば、バカな母親と痴呆気味の祖母の世話。
毎日毎日、くだらない日々。
どうして俺は、
どうして私は、
こんなクソッタレな世界で、死ななきゃならないんだ?
こんなクソッタレな世界で、生きていかなきゃならないの?
癌と言うのは、自分自身が自分自身を殺していくという病だ。
しかも、時限爆弾式。あると分かってからしばらくして命を奪う。
遊んでみても、逃げてみても、暴れてみても、その爆弾は解除できない。
プールに放った金魚。
そのプールで泳ぐ女の子。
彼女にとっては、初めてのキス。
「責任、とってよね」
そして男の心は動き出す。
男は病気とともに朽ちていくことを選ぶ。
自宅のアパートのトイレ。そこが彼の最期のアトリエ。
手伝いに選んだのは、両親でもなく、
バイトの友達でもなく、
エロい元カノでもなく、
金魚の女の子でもなく、
病室の相部屋で食道癌で、会社ではリストラされかけている横田という男。
たぶん、男が自分に適度に近く、適度に遠い存在だったから彼を選んだんだろう。
そして、自分を止めないでいてくれる人だったからだ。
癌は、いたずらに命を蝕むだけでなく、時に命の触媒として働く。
長い人生を一気に縮めて圧縮し、爆発のような一瞬の力に変える。
綺麗事だと分かっていても、そう思いたくなるときが僕にはある。
彼の場合は、その絵の才能だ。
イメージする。描く。塗る。
狭いトイレの中でグルグルと、それこそ360度回転しながら壁に色を塗る。
最初に白。
次に原色の鮮やかな色。
そして黒。
「こうやって見ると、無重力みたいだね」と横田はデジカメ越しに彼の仕事を記録し、見る。
トイレの中で回転しながら絵を描く彼の姿は、金魚と泳ぐ女の子と重なる。
狭い空間の中で、
息の出来ない空間の中で、
彼と彼女は、今、生きている。
「横田さん。あのね、なんかね、俺、生きてる」
絵が完成する。
「おめでとう」と横田が言う。
彼はそれに答えず、便座に座る。
彼はずっと己の絵の才能の磔刑に処されていたのかもしれない。
それを解き外し、表に全てを出す。
ただただ、後のことなんて考えず、過ぎたことなんて忘れて、今に自分をぶつける。
そして、全てが終わって彼は才能と言う磔刑を終え、磔台から降ろされる。
彼の死というピースが入って、彼のピエタが完成する。
彼の最期を見届けた、唯一の男、横田は、女の子を彼のピエタにまで連れて行く。
彼女は怒る。
悔しかった。
寂しかった。
「どうやったら、死ねますか?」と女の子は訊く。
横田は戸惑う。死と生の相中にいる彼は「わからない」と答える。
どうして私は、こんなクソッタレな世界で、一人で、生きていかなきゃならないの?
自分のものなのに、生き方も死に方も、自分で決めるのは難しい。
死に方が決まらない以上、女の子だって命を消費しながら生きていくしかないのだろう。
才能あふれる彼の死さえ、慌しく動く人ごみや時間が緩衝材となり、そのうち忘れ去られるだろう。
そして、彼の描いた沢山の絵画も最期の作品のピエタも、消えていくのだと思う。
彼の死は、大切なことを教えてくれた。
死に方は選ぶことが出来る。
死に場所は自分で作ることが出来る。
そして、それは生きているうちに出来ることだ、ということ。
その事実は、彼女のクソッタレな人生を少しはマシなものに変えるのかもしれない。