『夫婦フーフー日記』を観てきた。
映画の感想を、僕の体験と交えて書く。
いや、告白、と言った方が良いかもしれない。
僕の母は、癌で死んだ。
おおよそ半年、闘病した。
その様子は、【僕は、犬】でも書いた。
母の死んでいく様子と、作中で妻が死んでいく様子は、驚くほど重なった。
それまでは何ともないのに突然、寒い寒いと震え出す。
汗をかいているのに、寒がる。
全く食べなかったのに、死に近づくほど食欲が増す。
など。
人が死ぬのは、とても面倒くさい。
「辛いのはわかるけれど、ちゃんと看病してあげな」なんてのは奇麗事のど真ん中だった。
白状する。
「早く、母が楽になってくれた方が、お互いの為じゃないか?」という、考えが頭を何度もよぎった。
いや、これも嘘だ。
僕は、死に往く母に「早く終わってくれ、死んでくれ」、と思った。
母が逝ってしまうと、その考えは償えない咎として自分に突き刺さった。
葬式や骨上げなどが終わって、役所の手続きなどで父を少し手伝って、それらが終わって、僕は自分のアパートに戻り、ひと月ほど自分の部屋に引篭った。
こたつの中で、寝て、起きて、何かを食べ、ネットして。これをひたすら続けていた。
もう、涙は出なかった。
「嘘を書くことで、自分を救ってたんだよね」
男の前に現れた亡き妻は、そう言う。
「わたしも、その嘘に救われてたんだよ」と。
僕は母に嘘をついていた。
癌を告知しなかった。父がそう決めたからだ。
「そんな事実にあいつは耐えられない」と父は言った。
でも、分かっていた。父も僕も自分を救うためだけに嘘をついたのだ。
自分たちが、あと半年早く異変に気付いていたら、母は死ななかったかもしれない。
僕と父は、母を殺したのだ。僕の嘘は母を全く救えなかった。
「死ぬねん」
「え?」
「死ぬ」
ホスピスに入った母は僕にそう言った。
そのとき、母は衰弱からか痴呆のような状態になっていた。だから、「なに言うてるねん」とだけ答えた。
そして、そのあと、父の薦めもあり、僕は自分のアパートに帰った。
「あまり、長くお前がいると、お母さんも心配するだろう」と。
病室のドアが閉まる瞬間に見えた母の横顔を今でもはっきり覚えている。
母は、僕に行かないで欲しかったのかも知れない。だから、自分の死期を僕にだけ話したのかもしれない。
それから2日後に、母は死んだ。
父から連絡があり、タクシーで一時間半程度。
そこから、病院の裏口から走って病室に向かった。
寒い季節なのに。深夜なのに。嘘みたいに病室は明るく温かかった。
ホスピスの先生が「まだ、微かに心臓が動いています」と言って臨終の宣告を待ってくれたらしい。
母の手は温かかった。
そして、臨終を宣告された。
チューブが取られていく。母の身体は、母の身体だけになった。
傍らの椅子に座り、母の手を撫でる。
はっきりと、信じられないぐらいの速さで、母の手は冷たくなっていった。
僕は、しゃくりあげながら、泣いた。
人は、人を立ち止まらせるために死ぬ。と僕は思っている。
大事な人を亡くすと、人は立ち止まる。死者をスクリーンとして自分の人生を投影し見つめなおす。
それは苦痛を伴う行為だ。時間もかかる。
この作品のように死者が助けてくれることもない。
だが、助けがあろうが無かろうが、残された者は生きていかなければならない。どんな形であれ。
”最終章”は自分が死ぬときまで取っておくものだ。
最愛の人の死。
その後は”それから”がふさわしい。
こうやって、映画の評論をしていても、何の意味も無い。
そんな場面で、自分の咎を告解したって母に赦されることは無い。
では、読む誰かがいるかというと、高が知れている。いや、読まれるかどうか、それも怪しい。
結局、空虚な文章なのだ。
「おまえがいないのに、こんな物書いたって、何の意味も無いんだよ!」
今回は作品の論評にならなかった。
僕の告解になってしまった。
映画の感想を、僕の体験と交えて書く。
いや、告白、と言った方が良いかもしれない。
僕の母は、癌で死んだ。
おおよそ半年、闘病した。
その様子は、【僕は、犬】でも書いた。
母の死んでいく様子と、作中で妻が死んでいく様子は、驚くほど重なった。
それまでは何ともないのに突然、寒い寒いと震え出す。
汗をかいているのに、寒がる。
全く食べなかったのに、死に近づくほど食欲が増す。
など。
人が死ぬのは、とても面倒くさい。
「辛いのはわかるけれど、ちゃんと看病してあげな」なんてのは奇麗事のど真ん中だった。
白状する。
「早く、母が楽になってくれた方が、お互いの為じゃないか?」という、考えが頭を何度もよぎった。
いや、これも嘘だ。
僕は、死に往く母に「早く終わってくれ、死んでくれ」、と思った。
母が逝ってしまうと、その考えは償えない咎として自分に突き刺さった。
葬式や骨上げなどが終わって、役所の手続きなどで父を少し手伝って、それらが終わって、僕は自分のアパートに戻り、ひと月ほど自分の部屋に引篭った。
こたつの中で、寝て、起きて、何かを食べ、ネットして。これをひたすら続けていた。
もう、涙は出なかった。
「嘘を書くことで、自分を救ってたんだよね」
男の前に現れた亡き妻は、そう言う。
「わたしも、その嘘に救われてたんだよ」と。
僕は母に嘘をついていた。
癌を告知しなかった。父がそう決めたからだ。
「そんな事実にあいつは耐えられない」と父は言った。
でも、分かっていた。父も僕も自分を救うためだけに嘘をついたのだ。
自分たちが、あと半年早く異変に気付いていたら、母は死ななかったかもしれない。
僕と父は、母を殺したのだ。僕の嘘は母を全く救えなかった。
「死ぬねん」
「え?」
「死ぬ」
ホスピスに入った母は僕にそう言った。
そのとき、母は衰弱からか痴呆のような状態になっていた。だから、「なに言うてるねん」とだけ答えた。
そして、そのあと、父の薦めもあり、僕は自分のアパートに帰った。
「あまり、長くお前がいると、お母さんも心配するだろう」と。
病室のドアが閉まる瞬間に見えた母の横顔を今でもはっきり覚えている。
母は、僕に行かないで欲しかったのかも知れない。だから、自分の死期を僕にだけ話したのかもしれない。
それから2日後に、母は死んだ。
父から連絡があり、タクシーで一時間半程度。
そこから、病院の裏口から走って病室に向かった。
寒い季節なのに。深夜なのに。嘘みたいに病室は明るく温かかった。
ホスピスの先生が「まだ、微かに心臓が動いています」と言って臨終の宣告を待ってくれたらしい。
母の手は温かかった。
そして、臨終を宣告された。
チューブが取られていく。母の身体は、母の身体だけになった。
傍らの椅子に座り、母の手を撫でる。
はっきりと、信じられないぐらいの速さで、母の手は冷たくなっていった。
僕は、しゃくりあげながら、泣いた。
人は、人を立ち止まらせるために死ぬ。と僕は思っている。
大事な人を亡くすと、人は立ち止まる。死者をスクリーンとして自分の人生を投影し見つめなおす。
それは苦痛を伴う行為だ。時間もかかる。
この作品のように死者が助けてくれることもない。
だが、助けがあろうが無かろうが、残された者は生きていかなければならない。どんな形であれ。
”最終章”は自分が死ぬときまで取っておくものだ。
最愛の人の死。
その後は”それから”がふさわしい。
こうやって、映画の評論をしていても、何の意味も無い。
そんな場面で、自分の咎を告解したって母に赦されることは無い。
では、読む誰かがいるかというと、高が知れている。いや、読まれるかどうか、それも怪しい。
結局、空虚な文章なのだ。
「おまえがいないのに、こんな物書いたって、何の意味も無いんだよ!」
今回は作品の論評にならなかった。
僕の告解になってしまった。
今自分に何あったら、我が子に何かあったら、将来必ず来る老いであったり、それこそ病気であったり、それを受け入れられるだろうかと。
自分はどういう選択をするのだろうかと。
もしかしたらお母様はきっと早くから自分のこと気付いていたかもしれない。
もし私がお母様の立場なら。
これからの我が子の幸せをもっと見守りたい、その為に生きていたいと思う。
でも家族へ迷惑や苦痛を与えるくらいならいっそ早く逝きたいとも思うかもしれない。
がん患者の遺族が集うイベントがあるらしく、ご主人を亡くされた奥様が言ってた。
病気がわかってからたくさん泣き、悩み、この世を憎み…
でも生きること、死ぬこと、たくさん2人で話し合ったと。
だからこそ受け入れることができると。
それがれできなかったからきっと、後悔なんだろうね。
でもね。
私は我が子にそんな後悔なんて要らないから、早く前を向いて、貴方が笑顔で生きてくれれば良いと思うでしょう。
きっとお母様もそう願っていると私は思いたい。
コメントありがとう。
癌のことは、最期まで隠してたからね。死に向かうような話は僕はしていない。父もしてないと思う。
だから、何も言わずに、母は死んだ。
親である分、母親である分、僕よりも母の気持ちは分かるんかもね。
母は何を考えていたんだろう?
じわじわと朽ちていく身体で、何を思っていたんだろう?
でも、死者は死者だ。
死んだ者を言い訳にして、自分の気持ちは偽れない。
母がどう思っていたとしても。
過去に対しては、何人たりとも、言い訳はきかない。やり直しも出来ない。
でも、怨んでも、過去は取り戻せない。
質が悪い。
前向きに、なんて他人にはかけられても、自分に対してはかけられる言葉じゃない。
後悔とか自責とか気持ちの整理とか、そういう事じゃない。
ただ、どうしてもこのことについては自分に嘘がつけない。
母に「死んで欲しい」と思った自分に嘘をついて、笑って生きるのは、難しいよ。