MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

新幹線と原発。

2012-03-24 07:32:34 | インポート
1) 東京新聞原発事故取材班/レベル7 福島原発事故、隠された真実
2) 大鹿 靖明/メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故
3) 花輪莞爾, 山浦玄嗣/海が呑む 3.11東日本大震災までの日本の津波の記憶
4) 鈴木 智彦/ヤクザと原発 福島第一潜入記
5) 雨宮 処凛/14歳からの原発問題
と立て続けにザザッと3.11がらみの本、主に福島第一原発を巡る物、を読んだ。


一年前の今頃は、テレビは「ぽぽぽぽ~ん♪」で満たされてて、
聞いたことも無い専門家が、福島第一原発を語ってて、
地震ではどうってことも無かったように見える町並みが津波で洗い流される映像がひたすら流されていた。

地震から一年経って、ようやくこういう本に眼を向ける気になった。
まぁ、これらの本がどこまで真実を書いているのか、真偽のほどは分からんけれども。。。
如何にあの時日本の中枢が混乱していたか。それが良く分かる。
混乱が事態をドンドン悪くして行った様子が1) や2) には、特に細かく記されている。
原発だけでなく震災の対応に追われ混乱を極める官邸。
政府の顔色を窺いながら情報を伝える東京電力。
何もせず見守ることしか出来ない原子力保安院。
そして、後方支援の無いまま現場の最前線に立つ福島第一原発の職員たち。
情報の混乱がさらに混乱を産み、そして最悪の事態に落ち着いてしまった。

こんなことになってしまった一番の原因は、事前策を立てていなかったことだ。
何度も聞いた想定外と言うことではなく、立てるべき策を立てていなかった。
そして、もっと根本にある原因は相反する2つの意見だ。

「原発に関しては中立という立場は無い。中立とは無言の賛成である」
という言葉を聞いたのは映画監督の鎌仲ひとみさんからだった。
俺はそうは思わないと反論した。俺は中立でいたいと。
「中立の立場で物事を見るという安全な立場にいたいわけね」と彼女は言った。
確かにそうかもしれない。とそのときは思った。何も言い返せなかった。

でも、やっぱり思う。反原発派は反原発に寄りすぎ、推進派は推進に偏りすぎた。
中立的に客観的に原発を見る人間がいなくなった。
それがこの結果を産んだんだと思う。

推進派はこう言って原発を建てる。
「原発は安全です。万に一つの事故も起こさないように出来ています」
そして原発が建てられる。
これは嘘だ。そんなわけが無い。絶対安全な技術なんてありはしない。
だから反原発の人たちはこう言う。
「絶対なんてありえない。万に一つでも事故が起きればどれだけの被害が出ると思っているんだ」
その通りだ。絶対に安全な技術なんてありえない。
だから、改良が必要になる。技術の積み重ねが安全を強固にしていく。
でも、先の二者の言葉から、奇妙なロジックが出来上がってしまう。
推進派は「絶対に安全だ」と言って建ててしまったから、その原発を改良するのはおかしなことになってしまう。
改良しようとすると反原発派は、「絶対に安全じゃなかったのか?」と言ってくるだろう。
だから改良しようとしてもできない。絶対安全を求める反原発派が安全を強固にすることを拒んでしまう。推進派は萎縮して何も出来ない、しない、そして見なかったことにしてしまう。
これでは、絶対安全なんてものからは程遠い代物がそこにあることになる。

技術はたゆまぬ研鑽と試行錯誤で出来ていくものだと思う。
この良い例が新幹線だ。
新幹線は高速度の大量輸送手段でありながらも高い水準の安全性をほこっている。
しかも、その運行スケジュールは5分刻みというものすごく過密。
これで、これまでに乗客の死亡事故や大きな脱線事故が無いというのは、運が良かったという言葉だけでは説明できないだろう。
そこには常に新しい安全技術の導入があり、列車や線路のメンテナンスがあるからこそ出来る事だ。
もし、原子力発電に新幹線と同レベルのメンテナンスや技術の導入があったとすれば、ひょっとしたら今回の事故だって起こらなかったかもしれない。

今、日本の国民の多くは反原発、あるいは減原発に偏っているようだ。
それはそれで良いことだと思う。でも、あまりそちらに偏りすぎるのも怖いと思う。
なぜなら同時に現段階で”最小限の再稼動は良いと思う”と言う意見が半分ぐらいを占めているからだ。
おそらく、再稼動するに当たり、人々は絶対の安全を求める。それが再稼動の要件だと。
でも、絶対なんてありえない。動かす側は必要十分な安全性でGoサインを出すだろう。
そして、技術更新をしようとすると。。。と先に書いたようなサイクルロジックに陥ってしまう可能性がある。

もう2度と同じ事故を起こさないためには、中立的視点が必要なんじゃないだろうか?
将来的には原発は無くしたほうが良い。その意見には大賛成だ。
でも、現実的にそれは難しい。「火力発電をフル稼働すれば良いじゃないか!」と言う人もいるけれど、「そうですね。ところで地球温暖化はどうするんですか?」と聞きたくなる。
ドラスティックなエネルギー転換は難しい。さらに、原発を全て止めても放射性物質はそこにある。炉を解体するのに40年はかかる。そして、放射性物質が安全になるまでには10万年以上かかる。取り扱いを下手にすると劣化ウラン弾などの軍事用途に使われてしまうかもしれない。原子力ムラと言う難しい構造体もある。
だから、止めるにしろ推進するにしろ拙速に結論を出すべきではない。





『監督失格』。

2012-03-12 22:26:06 | 映画日記
『監督失格』という作品を、もうずいぶん前になるけど(昨年10月)に観て来た。

すごい物を観てしまったと言うのが正直な感想。
観ない方が良かったかもしれない。
映画の全てが攻撃的で刺激的。
どう感想を書いて良いか分からず、はや半年。
今もどう書いていいか。。。


映画からこれほど恐怖を感じたことは無かったし、死の匂いを感じたことも無い。
映像の向こうに死がある。同時に、その映像の端々から一人の男が一人の女を愛した軌跡を確かに感じる。
不思議な映画だ。
人は2回死ぬ。
その言葉の意味がとても重く重く圧し掛かる。

林由美香という女優が死んだときに、平野勝之の一部が一緒に死んでしまったのだと思う。
しかも、彼は彼の死んだ部分を切り離す事が出来なかった。
死は彼の一部となり、長い間彼を離さなかった。いや、離したくなかったのだ。
この映画は彼自身が彼の死んだ部分を直視するまでの過程であり、そしてそれを離す覚悟を決めるまでの道程だ。

いっちまえ!

死んでいった自分への鎮魂のために彼は叫ぶ。

いっちまえ!

死んだ彼女に別れを告げる。

そして彼は動きだす。

どこに行くか?
行く先がどういう場所か?
まだ、誰にも分からない。
彼自身にも。