二度目の緊急事態宣言が発出され、コロナ禍、悩ましかったのですが、遠くからお見えになっていらっしゃる方が欠席、お近くの方だけで、人数が少なかったものですから、敢えてお初釜(正式にはお初点て。お初釜というのは、お家元様家だけ、社中ではお初釜とはいいません。しかし一般的にお初釜と言っていますので、あえてお初釜と言わせていただきます)をいたしました。
今回はこの記事だけですので、ご関心ない方は、どうぞスルーしてください
カメラに収まっている画像すべてを順を追いながら書いてみたいと思います。
お床は、
掛物は、「一」黄梅院 小林太玄老師筆
このお軸を掛けた前回は、2011年、東日本大震災があった年でした。
前々回は、2001年でした。
そして今回、2021年、十年ぶりのお出ましです。
次は2031年、生き長らえているかどうか
「一」は数字ではあるが、単なる数字ではありません。人間の認識の最初に発するところであり、存在する一切のものがそこから生まれ、またそこへ帰るところの唯一絶対なるものを意味しています。
また一世紀100年を人間の一歳とすれば、人間にとり20世紀は20歳であり西暦21世紀は21歳の誕生日とも考えられましょう。まさに今青年期です。
千年に一度のプレミアム(千年紀)を迎えて、来るべき千年が人類にとってしあわせなものであるよう寿(ことほ)ぎたいものです。
禅語大辞典より抜粋
お花は、
蠟梅に曙椿、花入れは、唐銅「鶴の一声」
福鈴を飾りました。
待合は、
毎年同じ、「朝日さす 富士の高嶺や 綿帽子」福本積応自画賛
今年は、丑年ですので、赤べこを飾ってみました。
手前座、
初炭です、
炭台にて炭が運ばれました。お初釜は通常の炭斗ではなくて炭台が使われます。
そして奉書紙に炭がのせられます。
灰器が運ばれました。灰器は雲華です。
台子の天板から、お羽根と香合が定座に出され、
お釜が上げられます。
初掃きがされました。
種火が直され、湿し灰が蒔かれます。炉壇の中の炭が対流がおきてよく熾きるように、などの為です。
湿し灰がまかれて中掃きがあり、炭がつがれます。
きれいにつがれました。つぎかたにも順序があります。
枝炭は三本くらいつぎたいところですが、今回は一本です。
後掃きの後、香が焚かれ、香合が拝見に出されました。
※ 初掃き、中掃き、後掃きとは、炉縁を掃いて清めることです。
香合は、ぶりぶり香合、香は「老梅」香元は、日本香堂でした。
お初釜の香は、大抵家元好みが使われますが、私がにっぽん香堂の「老梅」が好きなので、亭主さん気を使われたようです。
炭点前が終わり、お懐石となりました。
が、すっかり写真撮るの忘れていました。食べ終わって気付きました。
なにせ食いしん坊なもので
お点心でした。
お吸い物だけ後で再現しました。
エビしんじょ、梅の生麩、三つ葉にすまし汁をはりました。
お懐石の後、主菓子が縁高で運ばれました。
きんとんを作りました。銘を福寿草と名づけたんですが、そんな感じにみえますでしょうか。
お初釜には、はなびら餅が一般的ですが、今回はきんとんです。
初座が終わりました。
中立ちをしていただきました。一旦席を退出していただき、あらためて席中を掃き清め、後座の席入りを待ちます。
後座になりました。
濃茶です。
茶入が飾られます。
初炭でつがれた炭ももうかなりながれているようです。
お釜は、古天明(肩霰梅地紋)です。定かではないようですが、江戸中期の頃の造のようです。
主茶碗が持ち出され、茶碗と茶入が置き合わされ、建水が定座に出され、火箸が台子の隅に出され、
蓋置が定座に出されました。
主茶碗と茶入が膝前に置かれ、茶入を清め、次に茶杓が清められ、茶筅が定座に。
茶巾が水指の上に出され、お茶碗が清められ、濃茶が練られ、お正客に出されます。
続いて、各服点ですので、連客様のお茶碗が運び出されます。
普通濃茶は、一碗で人数分練られて飲みまわされますが、コロナの為、一碗一人づつ練られます。
連客様それぞれに練られますので、次客様が取り込んでいただきます。
・・・・・・・・・・中略・・・・・・・
茶入、茶杓、仕覆の拝見を正客より請われると、亭主は清めて拝見に出します。
茶入は、大名物の「初花」写し、茶杓は、銘「千年の翠」福本積応作、仕覆は細丸竜鳥襷緞子。
次は後炭です。
炭台が運ばれました。
匙香の灰器が運ばれ、釜の蓋が閉められ、
再び釜があげられます。
初掃きが済み、
流れた炭を整え、湿し灰が蒔かれます。
後の薄茶の為にもう一度炭がつがれます。
炭がつがれ、
・・・・・・中略・・・・・
お釜が清められ、炭台が引かれます。
次に薄茶が点てられます。
・・・・・・中略・・・・・
膝前のお茶碗は、主茶碗つまり正客がいただかれるお茶碗です。
・・・・・・中略・・・・・
連客様の薄茶が点てられ、出されました。
・・・・・・中略・・・・・
薄茶がいただき終わって、棗と茶杓が正客様に請われ、清めて拝見にだされました。
棗は、梅月棗、淡々斎お好みの、十一代中村宗哲の作です。
茶杓は、銘「お囃子」海田曲巷作です。
正客様より、お道具の銘、作、謂れなどを聞かれ、亭主は、それに応えます。
お客様より、招かれた礼、感想などの言葉があり、終わりました。
一座建立です。
翌日、残ったきんとんでお茶をしながら、反省をするのが常です。
長い記事を最後までお読みいただきありがとうございました。
補足:友人よりメールがありました。
お福さーん、掛け軸の「一」数年前に拝見しています。
遡ってみましたら、ほんとだー。
みなさま、失礼しました。 もう認知症?
2月11日でしたので、「一」をかけたようです。
炭手前、香合の拝見、お懐石、お濃茶、お薄と準備が大変だったでしょう。
お懐石も拝見したかったです~!
社中の皆様、お福さんのような良い先生につかれてお幸せですね~。
やっこの先生のところは高齢者の方が多いので、大事をとってしばらくお休みだそうです。残念!
お初釜の写真を拝見して、緊張感がこちらにも伝わって来ました。
なかなかいいものですね。
私には、このような緊張感が耐えられないような気がしました。😅
>掛物は、「一」黄梅院 小林太玄老師筆
見事な「一」ですね。
>「一」は数字ではあるが、単なる数字ではありません。人間の認識の最初に発するところであり、存在する一切のものがそこから生まれ、またそこへ帰るところの唯一絶対なるものを意味しています。
なるほど。
勉強になりました。
>福鈴を飾りました。
神社でお祓いを受ける時に使われますよね。
>炭点前が終わり、お懐石となりました。
が、すっかり写真撮るの忘れていました。食べ終わって気付きました。
なにせ食いしん坊なもので
残念!
どんな懐石料理か見たかったです。😀
いろいろと準備がたいへんだったと思います。
木炭はなかなか手に入らないと思います。
昔はどこの家でも炭焼きをして冬に備えました。
一家団欒の炬燵も木炭でした。
金網を被せてありましたが、うっかり炭の上に
足を置いて「あちっ!」といって引っ込めました。
炬燵の上でのカルタやトランプが子供達の遊びでした。
きんとん・・・
私も食べたかったです。
でも準備の段階から楽しんでやっています。
お懐石ね、いつもは会話しながらいただくんですが、コロナ禍でもありますので、あまりおしゃべりせずにいただきましたので、すっかり忘れてしまいました。
やっこさんのお社中さんでは、しばらくお休みなんですね。大事をとられるのがよろしいかと思います。
お稽古の再開は、何時になるかしらね。
殿方は、正座がなかなかできないようで、あぐらをかいていらっしゃいます。
そうですね、福鈴とか神鈴とかいいいますね。
巫女さんが持って舞うのを見たことがあります。
そうですか、私も残念でした。
何時の日か、今度お茶事するときは気を付けますね。
義父は裏山から木を切ってきたり、竹を切ってきたりして炭を焼いていました。
今でも炭窯ありますよ。どこでお聞きになってきたのか、訪ねてきた方が、試行錯誤しながら焼いています。
なかなかうまくいかないようです。
以前、自分史としてHPつくったことがあります。
その中で、炭窯のことも書きました。
アドレスがどこかに保存されていると思いますので、見つかったら開いてみてくださいね。お知らせします。
大山は、雪で真っ白です。
今日は昨日に比べて暖かい日でしたので
まだ一月だというのに錯覚を起こしそうでした。
初釜のご様子を楽しませていただきありがとうございます。
まだ炉開きをしていない我が家ですので
炭火の暖かさやお香のかおりが漂って来る気が
してとても嬉しかったです。
花びら餅ではない主菓子も春を感じさせて
いただきました。
あかあかと熾ってきたときには何ともいえぬ感慨がありますね。癒されます。
熱灰の中におとされた練り香が、じわりと香ってくると、安らぎをおぼえます。
お初釜といったらはなびら餅ですが、きんとんもいいかと。
こんなに複雑な流れだったのですね。
大昔、くちこが体験したのは、ウルトラ短縮形だったと思われます。
花びら餅、あの時、初めて食べました。
ああ、17歳?
どんだけ前だったんだか?
プロの技ですね、きんとん。
長い年月の間に、揃えられたお道具、そしてお料理の腕、どれも素晴らしいです。
お初釜は本来私が亭主をつとめなければならないのですが、今回は、お勉強のために生徒さんに分担してやっていただいたので、客座より写真撮りました。
動画にすればよかったかな、と後で思いました。
花びら餅ね、生徒さんもちょっと期待していたようです。
今年ごぼうが不作でね、花びら餅にするようないいのがなかったんです。
買ってきておけばよかったと。
長いこと携わっていますと、自然お道具も揃ってきますね。
茶の道もやっと少しづつではありますが、少ーしわかってきたような気がします。