逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

9条原理を補強する親切なコナン氏塵コメント

2010年12月02日 | 憲法

マックス・ウエーバーと 「九条原理主義」2010年12月01日 | 憲法

Unknown 2010-12-04 01:00:31 コナン

初めてコメントします。
宗純さんのブログは以前から拝読させてもらっていました。
相当に周到な論理展開をする方だなとおもっていましたので、議論をするにはこちらは分が悪いなと思っていましたが、今回の内容については、一度お伺いしたい内容だったので、無謀を承知で書いてみます。

1.「9条が思想・情念・宗教で、いきつくところは神である」について
主張はよくわかります。しかし、宗教や神であるとして、それを他人に強要する根拠はどこにあるのでしょうか。
少なくとも私は反9条なので、とてもそのような宗教に入信することはできません。
9条の教義を異教徒や非信者に対して強要して苦痛を与えているという自覚はどのていどお持ちでしょうか。

2.「理論優先の左翼の一人」について
理論優先とのことですが、どうして行き着く結論が非論理の代名詞である宗教や神なのでしょうか。
理論を演繹していったら宗教・神に行き着いたとういことでしょうか。?
それなら社会科学は全て宗教・神で議論は終わりになってしまいます。
9条支持者は情念をもっているとか、信心をもっているとか、そういったことで全て説明できたとお考えなのでしょうか。

3.結果日本は無道徳無節操な国家が出来上がったとするなら、最悪に残った『神』、について
日本が無道徳無節操なのは同意しますが、なぜ9条を神格化するのでしょうか。
私はむしろ9条こそが無道徳無節操の原因であり、諸悪の根源だと考えます。
本当の平和希求・戦争放棄は人類が苦労を重ねて実現していくべき課題であり、憲法のカミッペラにちょろちょろ書いただけでどうこうなるような代物ではありません。
このような人類全体の課題をいとも簡単になしとげたかのごとく振舞う虚栄心が日本人を無道徳・無節操にしていると考えます。
他の国の多くの人々も平和を希求していると思います、しかし

コナンさん、はじめまして。 コメント有難う御座います (宗純)
2010-12-04 14:54:08
当方のブログのコメント欄の敷居が高いと思われているとしたら恐縮至極で、みなさんにもう少し気楽に遠慮なくコメントして頂きたい。

1.記事の実際の記述では『・・・例えるならば「神」である』なので、
「9条が思想・情念・宗教で、いきつくところは神である」<は読み間違いか、何かの勘違いです。
比喩として『神』の言葉を使っているのであって、この場合の『神』とは純粋な宗教上の神を意味してないことは明らかです。
『神降臨』などを最上級の褒め言葉、感嘆詞として使用しているのがネットの世界なのですよ。
ですからこの『いうなれば神である』の意味は、記事のとおりの解釈で良いと思いますよ。
コナンさんのコメントの『いきつくところ』などの言葉は何処にもありません。実際に記事に書かれているのは、

長い人類の歴史上、国家の無い軍隊はあったが、軍隊の無い国家は何処にも無かったのです。
『9条』とは人類史上かって存在しなかった、まったく新しい試み(思想であり情念)なのです。
言うなれば、ちっぽけな思想や情念なんかの範疇を遥かに凌駕する思想の中の思想、情念のなかの情念、人類社会の遥かな高みに聳え立つ絶対宗教、例えるならば『神』なのです。

コナンさんの疑問のコメント内容とは似ているようで大違いです。
また『強要して苦痛を与えている』というのもコナンさんが日本政府の大臣やキャリア官僚や天皇などであるなら納得しますが、無いなら大間違い。
そもそも『憲法』とは国家を縛るものなので、憲法遵守義務があるのは政府などの『国家』自身であって、我々国民ではありません。
この反対に、『法律』とは国民を縛るものなので国民には守る義務が規定されている。
この根本的な基本認識が理解できていない。
ですからコナンさんは『憲法とは何であるか』との『憲法』に対する認識が根本的に間違っているのです。
憲法改正と議員削減キャンペーンの意味
2010年05月03日 | 憲法

2.「結論が非論理の代名詞である宗教』
などの考え方は日本人的な常識では当たり前ではあるのですが、これも根本の認識が間違いです。
事実は『宗教』とは論理のてんこ盛り状態なのです。
この事実、『宗教とは論理の塊』であることはスコラ哲学や碧巌録なんかを考えて見れば誰にでも判ります。
この勘違いは宗教的に寛容すぎる日本人全般に言えることですが、宗教に対する無理解が根底にあるのです。
多くの日本人は誤解していますが、宗教と科学とは相反するものではなくてその反対に密接な関連性があるのですね。
そもそもの『近代科学を生んだもの』とは欧州の一神教という宗教であるのです。
そして我が日本国の主要宗教とは古代のアニミズムでもなく葬式仏教に成り果てた仏教や道徳に特化した儒教でもなく、ましてや風俗程度の一神教でもありません。
今一番日本人に信じられている宗教とは『科学』を文字どうり宗教的に信じる『科学教』ですよ。
『神は妄想である』 宗教との決別
2009年11月20日 | 宗教
「偶然と必然」を読んで
2009年11月08日 | 共産党
(続)「偶然と必然」を読んで
2009年12月14日 | 共産党

そしてここが大事な問題点であるのですが、宗教と道徳には無視出来ない密接な関連性があるのですね。
日本では無神論者の言葉にさほどの問題は無いが欧米一神教世界では『宗教=道徳』の意味なので無神論者とは道徳の無い者と解釈されるのです。
聖書で読むアメリカ(続)
2008年06月05日 | 宗教

3.>『本当の平和希求・戦争放棄は人類が苦労を重ねて実現していくべき課題であり、憲法のカミッペラにちょろちょろ書いただけでどうこうなるような代物ではありません。』<
は全く同意見です。
ただ、続く『9条こそが無道徳無節操の原因であり、諸悪の根源だと考えます。』<は事実とは正反対であり被害妄想に近い。
もしもコナンさんの説が正しいなら、日本国は何の心配もありませんよ。
何故なら『9条』の影響力は毎年毎年確実に薄れていて、数十年前とは大違いですよ。
今ではほとんど無いに等しい状態である。それなら今の日本は素晴らしい国になっていないと可笑しいのです。
それは郵便ポストの赤いのも日教組のせいだと信じているらしい阿呆の中山成彬と同じでも妄想なのです。
昔とは大違いで文部省や中山など自民党文教族の努力の結果、日教組の組織率は年々低下していて今では組合員ゼロの県も沢山有るのです。それなら今の日本は素晴らしい教育が出来つつあることになる。ところが現実は正反対ですよ。
基本的に『現実』から目を逸らして自分の脳内の間違った思い込みの似非理論から物事を判断しているのです。
それはアメリカの原理主義に近い考え方で、ほとんどそれでは『宗教』で非科学的すぎるのですよ。
ダーウィンの進化論とアメリカの福音派(原理主義)
2008年09月22日 | 宗教


Unknown 2010-12-04 15:51:41 コナン

宗純さん
お返事ありがとうございます。

1.についてですが、私の読み間違いといわれればそれまでです。
しかし、「いうなれば神」「例えるなら神」と「いきつくところ神」でさほどの違いはないと感じています。
例えとして使っただけと仰るのなら、その後の「神殺し」という社会通念上、用語だけで極悪人扱いされるような表現で改憲派を表現するのはいささか大人気ない所業に思われます。
9条を神と崇めて1文字たりとも触らせないとノタマウ方もいますから、やはり単なる比喩としての「神」ではなく、宗教的な精神的な「神」だと思われます。
ま、こんな言葉遊びはどうでもいいです。
問題は、憲法は国民が国家を縛るものであり、国民を縛るものではないとのお説ですが、なるほどと思える反面、いささか浅慮なのではないかと思われます。
宗純さんが国家と国民の関係をどのように考えているか疑問ですが、私は憲法によって国家を縛り、それをもって国民は生活の土台を得ていると解釈しています。
国家が馬だとすると国民が騎手で手綱が憲法です。
歪んだ憲法によって国家の活動が歪められれば、国民の生活の土台が揺るぐこととなります。
私が苦痛を感じるのはここです。
憲法によって私が直接縛られてはいませんが、国家の活動が歪められているので私は昼夜問わず苦痛を感じています。
お言葉を返す形になりますが、
>『憲法とは何であるか』と『憲法』に対する認識が根本的に間違っている
のは宗純さんの方ではないでしょうか。
あまりに思考の深みにはまって、単純な国家と国民との当たり前の関係を完全に見失われているように思われます。

2.について、私は宗教論について議論を深める教養をあまり持ち合わせていません。
多くの日本人と同じで、人々の生活習慣を微に細に束縛するウェットで粘着質な宗教は嫌いです。
ただ、宗教と道徳が密接な関係性があるのは否定しません。
特に日本は心の拠り所となる宗教観がないため、道徳規範が薄弱になっています。
特に最近は強く感じます。
しかし、今回の話の筋は間違っていませんか。
「9条は宗教」というのはあくまでも「例え」で使ったが、しかし、宗教と科学は密接な関係があるから分ける必要もない。
そんなことをいうであればなぜ、宗純さんは9条を支持するのに政教分離憲法に噛み付かないのですか(過去に批判しているかどうかしらないで書いています)。
宗教と道徳は密接不可分であるのなら、政治と宗教を分けることは、政治が道徳性を失う原因となります。
反9条の人は個人武装容認主義者と決め付けてレッテルを貼る前に、ご自分たちが「政教分離を容認している」矛盾に気付かなければならないのではないでしょうか。
道徳的支柱のない日本国憲法で「神がかり的な9条」を支えているのは、やはり「情念」だけですか。
それはとどのつまり道徳的基盤の欠如した情念であり、単なる苦痛回避的な短絡的願望の具現化ではないでしょうか。
(思慮深く考え抜かれて議論を重ねに重ねて編み出されたものではなく、敗戦焼け野原という極限状態に置かれ、正常な思考力・判断力を伴わない時期に制定されたという意味)
今、日本人は平和で豊かな状況にあり、少なくとも思考環境として問題はありません。このような状況の下で深く考え抜いてあるべき日本国憲法を決めるのが本来の形だと思います。
日本人の手のみで一度も憲法改正していないという事実は、相当に重く受け止めなければなりません。
もちろんそういう過程を経て、9条を継続したいと望む日本人が多ければそれはそれでいいのでしょう。
しかし、先人が決めたことを無条件で強要され変更も叶わないという後世代の人間の中には、重ねて言いますが苦痛で仕方のないものも多いと思います。

3.について、
9条の影響力が薄れていくことと、日本が素晴らしくなることは同義ではありません。
まず、これがなくなれば日本は良くなるというような単純社会ではないことは当たり前ですよね。
悪の組織のボスをやっつけても、手下の悪党どもが野放しになっては治安は回復しませんから。
むしろボスの影響力が弱まるくらいでは、組織の統制のたがが外れて悪党なりの規範すら守られない最悪の事態になるなんていうこともありえます。
日本が素晴らしくない原因として「9条こそ諸悪の根源」と書きましたが、未だに1文字も直されていません。
どんなに(精神的な)影響力は弱くなってもまだまだ絶対的な憲法なのです。
そして私は9条=日教組などと思っていません。
9条支持者でも、自衛隊という曖昧な存在(世界的には明確に軍隊)と行動規制について、政府答弁を重ねて言葉遊びではぐらかすのではなく、解釈の余地を残さないくらい、はっきり憲法に明示する努力をしようともしません。
要するに神から与えられた啓示のごとく盲目的に現9条を奉っているだけではないでしょうか。
9条改正を考えるだけでも腫れ物に触るような状況では、どう考えても「諸悪の根源は未だ健在ナリ」でしょう。


残念ながら、単なる嫌がらせです (宗純)
2010-12-04 17:34:52
基本的な知識が不足しています。『神殺し』とは日本国に対する梅原猛の主張なのですが、もともとの原典を知らないらしい。

何が主張したいのか、さっぱり理解出来ないレベルであり、
『憲法9条に対する』癒しがたい憎悪以外には思考程度が低すぎて不愉快です。
これ等の疑問ですが、既に今までの記事で詳しく解説している。
その為に関連した過去記事を紹介したのですが、何ら気にした気配すらない。
今回も言葉の上げ足取り程度であり、真面目に何かの物事を考える姿勢が感じられない。
此処にコメントして頂くためには、矢張り一定の社会科学の基礎知識が必要ですが、
残念ながらコナンさんは私が紹介した記事を読む気もなければ、先にコメントした文章も読む気が無いと判断しました。
今回私がコナンさんの疑問に対して、親切心で書いた長文のコメント内容を完璧に無視している。
今回のコメントですが無責任であるだけなら許せるが『悪意だけの無内容なコメントである』としか判断できない。
『いうならば』や『例えるなら』と、全く違う意味の、御自分が勝手に解釈した『いきつくところは』が同じと主張では、真面目な会話は成り立ちません。
たんなる議論の為の議論や、反論の為の反論でる。続けてもお互いの時間の無駄であり不愉快です。
客観的事実の正誤には関心があるますが、コナンさんであれ誰であれ、『何を考えたか』などの他人の『内心』には何らの関心もありませんし、議論する気も全くありません。

そもそもブログは個人のものであり、そのコメント欄はブログ管理者個人の全面的な管理に任されています。
何を書いても良い掲示板でも2ちゃんねるでもないことを失念しているのではありませんか。
このブログでは元々オタイトルの無いコメントは塵コメントとして削除するローカルルールがあり何度も何度も注意しています。
コナンさんのコメントは本来は最初から問題であるのですが例外的に掲載したものですが、今回は前回以上に思考水準の劣化が見られ、しかも意味が薄い上に長い。
これでは他の読者に迷惑であり、ブログ管理上たいへん問題で、このコメントは残念ながら一定限度掲載した後に削除します。


コメントの規則、目立つように提示していただくと助かります。 2010-12-04 23:31:38 コナン

宗純さん。
「嫌がらせ」とはこれまた随分な評価ですね。
私もいろんなサイトやブログで議論に挑み、罵倒されたり散々な目にありますが。
>何が主張したいのか、さっぱり理解出来ないレベル
と評されたのは本当に初めてですね。
基本的に人を論理立てて諭すことに近い商売をしておりますので、このように評されることは意外です。
ましてや、自称「理論優先の左翼の一人」としておられる方が、私の疑問の趣旨すら理解できないとは考えられません。
とても理性的に対応いただいているとは思えません。
他の読者の反応もまだないのに、他の読者の迷惑と決め付けたり、常軌を逸しています。
これは完全に推測ですが、どうやら何か逆鱗に触れてしまったようですね。
どこがその鱗だったのか今更探っても仕方のないことですが・・・。

でもまあ、今回、不利を承知で私がコメントしてみたのは、かねがね9条護持の人間は、宗教にはまったような人かもしれないと薄っすら考えていたところ、宗純さんが正に9条は宗教だと評してくれたので、そのように正直になってくれるならば私も議論の余地があるかなと思った次第であります。
しかし、帰ってきた返答は、まさに挙げ足取りの応酬ごとくなってしまい、「例える」と「いきつく」は明らかに違うから議論できないとか、「神殺しの日本」を知らないような無教養な奴とは議論できないとか、一見知識人を装っていますが、中身は子供のような対応かと存じます。
明らかに私よりも知識があるとのご主張するのであれば、矮小な議論を避け、本質的議論に移行することぐらい、造作の無いことではないでしょうか。
正直、ここまで器の小さい人間だとは思っていませんでした。
なんというか、うまい表現ではありませんが、哲学家気取り団塊左翼のエッセンスの塊みたいです(あくまでも世代は推測ですが)。
現実の政治問題を話題にしておきながら、最後は哲学の砦に立てこもる。
実害が無いならいいのですが、日本では最大の選挙権力世代であり、中には教育者なんかにも紛れていて、実にやっかいな存在です。

なお、「神殺しの日本」の原書を知らなくても、そもそも梅原がそういう用語を使ったのも、戦前戦後の日本を揶揄するための作為的でショッキングな見出しであり、その意図自体、私が認識した「大人気ない所業」と遊離する話ではありません。
そもそもあなたと宗教論争をする気はない旨を最初に書いていますので、自分の宗教過去記事を読んでからコメントしろというのは、正直横柄過ぎるのではないですか。

そして、私は9条に悪意をもっているかといわれればイエスなんですが、もしそうであるのなら、世界中の人々はどうなんだろうかと考えています。
日本に9条を押し付けた当のアメリカは戦争放棄などお構いナシです。
他の文化的に進んでいるといわれる欧州諸国だって同様です。
中国やアフリカなどの民度の低い国は触れる必要もないくらいです。
思うに、9条信者は世界中の国々を上から目線でみているんでしょう。
「俺たちは平和を希求し戦争を放棄した偉い国」「他の国は9条のような憲法をいまだに制定できない平和後進国だ」と。
それはそれでびっくりですが、もしそんなことは考えていないというのなら、結局9条はファッション平和です。「平和の振り」をしているだけです。
9条を本当に心から信奉しているのなら、諸外国にも9条を制定するよう働きかけるべきでしょう。
当然世界から相手にされないでしょうから、日本の中だけで中擁するような狭小な理屈をこねくり回して自己正当化の作業を生涯にわたって繰り広げているだけではないでしょうか。
ある意味哀れみを感じないといえば嘘になります。
万が一有事になったら、私や私の家族を救えない(救ってくれるはずの自国軍が機能しない)、そんな生活を私を始め、多くの日本人が強いられているのです。
私のコメントが不愉快というのは一時的なことですが、9条のせいで私や家族や他の多くの日本人が常時感じている不安感は永遠と続くのですから、そのくらいどうってことないでしょう。
それを知っておきながら、宗教論とか国家論で煙に巻くその思想体質はどこで形成されているのかいささか興味があるところでもあります。
「自分の身や家族の身を守りたい」こういった人間が当たり前にもつ気持ちを踏みにじってまで守りたい宗教って何なのでしょうか。
もう少しお天道様に胸を張って生きていけないものか考えたりもします。

まあ、ここは宗純さんの独裁仮想国家のようなもので絶対権力を行使できる場ですから、気に入らないコメントはどんどん削除して抹殺しても私は何も文句は言えません。
ただ、いろいろブログの対応をみていますが、かなり品位の低い対応かと存じます。
よくある対応としては、
A:ブログ趣旨と合わないのでコメントを書かないように語りかけ、コメントは残し、読者に自制を促す。
B:ブログ趣旨と合わないコメントは残すが完全無視する。
C:ブログ趣旨と合わないコメントを排除するためコメント許可制にする。
D:ブログ趣旨と合わないコメントは一方的に削除する
E:ブログ趣旨と合わないコメントは主が勝手に改竄してコメントを蹂躙する。
(過去に一回だけ最低のE対応を受けたことがありますが、さすがに戦慄を覚えました。)
今回いきなりD対応を受けるのでしょうが、ま、それもブログ主の自由です。
ブログ主の品格というか心の清濁度が問われるところでしょう。

なんなら、ここはブログ主が不愉快になるような虞がある異論反論コメントを絶対にしてはいけないと、コメントルールに予め明記しておいた方が親切でしょう。
そして、ここでは宗純さんがまさに「現人神」です。
何をされても文句はいえません。
どうぞ全て削除なさってください。
そして宗純さんが愉快になれるようなコメントで一杯にできるようこれからも霊験あらたかな玉音放送を続けてください。
もう私がコメントすることもないでしょうが、今後もがんばって9条教の布教に努めてください。

(ブログ主)
マックス・ウエーバーと 「九条原理主義」の記事中、
・・・元々理論より情念が優先している右翼なら、これも間違いなく『情念』でしょう。
其れも怒りとか恐れとか恨みの感情であり、そこから発展した蔑視や敵愾心など真っ黒な『負の情念』ですね。
作る会など右翼の9条に対する態度は『反感』とか『反対』などの思想心情ではなく、癒しがたい憎しみや挫折感、尋常でない『恨みの感情』(情念)が感じられる。
何故そこまで右翼が9条に恨みの感情(負の情念)を持つか・・・
、とか
『個人の武装を主張しない「右翼」は胡散臭い』
一般的な普通の良識的考えである、非武装の9条は弛緩で武装は緊張との説は、我々護憲派の人々では異論は無いかも知れませんが、改憲論者は正反対だと思っているはずですよ。
何しろ全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンは『枕の下に銃を入れていると、安眠出来る』と語っている。
この考え方は憲法9条があるために、外国(北朝鮮)が攻めて来ると思って心配で心配で眠れない日本の改憲派と共通する感性でしょう。
武装しているれば安心して弛緩できるが、非武装では(誰かが襲って来ると思っているので)不安で不安で緊張しているのです。
と書いたのですが、
良識ある読者の中には『そんなアメリカ南部の田舎町で日本人高校生にマグナムを浴びせかけて殺したプアー・ホワイトの野蛮な愚行と同じ日本人は現実にはいないでしょう。』考えたかも知れないがネット世界ではいるのですよ。
あまりのピッタリのタイミングであるので、志村建世さんのコメントまで『やらせである』と勘繰る疑い深い人もいるくらいですから『完璧な自作自演のやらせ』に見えるくらいに素晴らしい。
9条に恨みを募らすネットウヨの一人芝居の見本で、中身が薄い水増しの6500字(当方の返事を入れると1万字)の汚物的大作で、コナン氏に感謝しつつ記事にして大事に残して置きます。
コナンさん、本当に有難う御座いました。

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6 コメント

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他人事でない塵屋敷 (宗純)
2010-12-05 13:01:10
当ブログの削除とは、ブログ記事のコメント欄からの削除を意味していて、ゴミとして『捨てる』ことではないのですよ。
どんなものであれ折角送って頂いたものであるので、全ての削除コメントは資料として別の場所に大事に保管しています。
特に今回のお馬鹿で能天気な平和ボケのネットウヨコメントは自分の今回の主張の裏付けとして、これ以上に貴重なものは無い。コナンさん、本当に有難う御座いました。
9条のお蔭で日本国は65年もの長きに渡って一人も殺さず一人も殺されていない。
だから戦争の実体を全く知らない、こんな酷い平和ボケの右翼モドキのアホも生まれるのです。
私の経験した戦争は幼すぎて寒かったとか腹がへってひもじいとかの飢餓の記憶しかないが、現在の日本の食糧自給率は40%。
今の自衛隊にやれることはアメリカ軍のパシリぐらいで、これでは間違っても全面戦争を日本国は絶対に戦えないのです。
それにしても、どんなものでも『何時かわ役に立つ時が来るかもしれない』と思って他人から見れば如何見てもゴミにしか見えない代物でも絶対に捨てれない習慣は、此の頃マスコミで放送され非難されているゴミ屋敷の住人と同じ心象風景であり我ながら困ったことです。
返信する
左翼のコミュニケート能力 (一知半解)
2010-12-05 23:14:01
こんばんは。
普段はROMさせていただいて居りますが、ちょっと今回のブログ主の言動には一言言いたくてコメントいたしました。

今回の記事は、「左翼は異論者とのコミュニケート能力が低い」ということを自ら証明する”良”記事ですね。

私もいろいろ左翼の方々とは議論させてもらっていますが、ホントに左翼と言うのは、コミュニケート能力が乏しいですね。

コナンさんがコメント管理の例をAからEまで挙げてますが、私もAの対応をされたことは殆どないですね。あったとしてもBどまり。
自らの主張に不利なコメントを表に出さない対応等は、しょっちゅうですよ。

しかしながら、今回ブログ主自ら、そのやり取りを記事にまとめておられるのには感心しました。

今回のように議論をまとめてもらえば、第三者にも両者の主張を見比べて判断を下すことができます。
おかげで私にも左翼のコミュニケート能力の低さを再確認することが出来ました。
そうした機会を与えてくださり、ありがとうございました。

最後に、コナンさんの「一見知識人を装っていますが、中身は子供のような対応」とか「哲学家気取り団塊左翼のエッセンスの塊みたい」というブログ主批評には、私も頷かざるを得なかったことを付言しておきます。
返信する
Unknown (地雷をほるな)
2010-12-06 03:26:06
こんなの自分から相手にしないことです。
9条は日本人の8割方が支持しているのに、諸悪の根源呼ばわり。戦後の日本の歩みのどこが不満なのでしょうね。国民が食うものにも困っていたところから、経済発展を成し遂げたのに。
右翼ジャーナリストが、金よりも心の時代なんて言い出した頃から、すべてが停滞を始めて金も心もボロボロの時代になりましたが、アメリカさんは大喜びですよ。日本の台頭をストップできて。
9条批判以前に、9条がなかったら80年代迄の日本の経済発展も許されなかったし、今現在アメリカの許可なく憲法改正はできませんから。東西を問わず、世界には未だに大日本帝国軍の恐怖がトラウマになって残っていると考えるべきです。
この状況をどう考えるんでしょうね。コナンくんは。
返信する
記事自体が1万字 (宗純)
2010-12-06 13:33:52
一知半解さん、はじめまして。
ブログ記事の容量一杯で当方のコメントを書く余裕が全くありません。
仕方なく、
このこの様にコメント欄に記事を掲載した理由を付け足したのですが、・・・・
読めば誰にでも判ると思いますが、
これはコナン氏専用の記事でありコメント欄であるのですよ。
一知半解さんであれ誰であれ、肝心の主人公を差し置いてコメントするなどは、厚かましい出過ぎた不真面目な態度であるとは思わないのでしょうか。?
>『ホントに左翼と言うのは、コミュニケート能力が乏しい』<
ことは骨身にしみて感じています。
これは事実なのです。論理優先の左翼が論理的思考が出来ない現状では、実に情けない語るに落ちた話であると思っているのです。
そのことは全く同感であるのですが、
ネットウヨとは『乏しい』どころの程度では納まらずに、贔屓の引き倒し的な行為を常時行っており『ゼロどころかマイナスである』ことはこのコナンコメントを読めば誰にでも判ります。
この人物の最後の書き込みを本当に読んだのでしょうか。??
記事では、自主防衛』の精神を書いてあるのですよ。
理論的一貫性のためには、アメリカ人のように国家の武装以上に個人の武装の重要性を説明していて、個人の武装を言わない日本の右翼の間違いを指摘している。
お馬鹿コメントは記事書いたように当方の記事の内容を補強してくれているので、これ以上無い理想的な『素晴らしいコメント』で感謝感激であるのです。
ところが正反対に『観念的9条論』と解釈しているのですから、大笑いですよ。
>『私も頷かざるを得なかった』<などとは、
山本七平と同じでお粗末で不真面目な部分は目を瞑って、自分に都合よく面白そうな部分だけをつまみ食いしているのではありませんか。
確かにイザヤ・ベンダサンの一部分は確かに面白いし真理の一端も突いているのですが唐突にお粗末極まる自説に強引に繋いでいるので興ざめです。
コナン氏6500時もの長文ですが9条憎しに怨念以外には内容が無い。
山本七平マンセーなら当然であるのですが、この人物の真実の姿が見えていないのですね。

もう少し『左翼のコミュニケート能力の低さ』程度には、最低限の読解力を高めてください。
此処がコナン氏専用であるこを理解出来ない現状では、何をかいわんやで、まったく会話になっていません。
よって次回からのコメントは自粛して頂きたい。他の読者の迷惑です。
返信する
地雷をほるなさん、はじめまして (宗純)
2010-12-06 13:43:44
コメント有難う御座います。
当ブログにはブログ環境の維持と管理上、タイトルや名前の無いコメントは塵コメントとして削除するローカルルールがあり次回からの投稿では忘れずにご記入下さい。

コナン氏のコメントは、あまりに悪意が見え見え、しかも内容が不真面目、悪意いがいの中身が無いのに、牛のよだれの様な延々と長すぎるコメントなので、中に含まれる極一部の素晴らしい『部分』に気が付いて居ないのではありませんか。?
この人物はコメントで、

>『万が一有事になったら、私や私の家族を救えない(救ってくれるはずの自国軍が機能しない)、そんな生活を私を始め、多くの日本人が強いられているのです。』
『9条のせいで私や家族や他の多くの日本人が常時感じている不安感は永遠と続くのです』
『「自分の身や家族の身を守りたい」こういった人間が当たり前にもつ気持ちを踏みにじって』<

など、当方の記事どうりの美味しすぎる素晴らしいコメントだと思いませんか。?
読解力ゼロの阿呆な漫画中毒のコナン君。私の記事のタイトルだけを読んで何時もの軍事知識に疎い護憲派と勘違いして脊髄反射的に『反応』しているのですね。
私の記事は長文なので、そこに何を書いてあるかまでは理解できていない。それどころか、そもそも読んだ形跡すらない。
だから記事に補強コメントをしてくれているのです。
カモが葱だけでなく鍋と箸まで用意しているような、こんな美味しい「有り難い」ことは滅多に無いのですよ。
長すぎるアホコメントの中の判りやすく『美味しい部分』だけを切り取って記事にした方が判りやすいのですが、見本にしたいような典型的なネットウヨの妄想なのです。
これは面白いと長すぎて判り難いが、あえて全文掲載しているのです。
返信する
読み間違いを防ぐ目的で (宗純)
2010-12-08 09:50:50
題名を一部変更し、記事の並べ方を変えてみました。
幾ら論理的判断が出来ず読解力に問題が有るネットウヨでも『コナンさんの方に分がある』と事実と正反対な阿呆臭い解釈できないだろうと思っていたのですが、・・・・
一知半解さんは、まるまる正反対に理解しているのには口があんぐり。
しかしこれは論理上は当たり前なのです。
そもそも正しく論理的な判断が出来ないから護憲左翼ではなく、非論理的なネットウヨになっているのですね。
ですからネットウヨは何ら問題ではないのですが、問題は護憲派で、いくらなんでも間違うとは情けない。
ネットウヨなどが間違えた原因を考えたのですが長すぎるのでしょう。
1万字なので最後まで読んだら最初の私の書いた纏めが脳内からこぼれ落ちた。それで最後のコナン氏お馬鹿コメントだけしか頭の中には残らなかったのですね。
誰にでも判りやすいよう、最初の文章を、ブログ記事の最後にまわして見ました。
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