逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

マックス・ウエーバーと 「九条原理主義」

2010年12月01日 | 憲法

『理論としての憲法九条、情念としての9条』

国家の戦争と武装を放棄した日本国憲法九条は『戦争のある世界をありのままに認識』してるのだろうか。?
昔は多数派だった護憲派の『九条原理主義』なら『自衛隊=軍隊』なので自動的に『自衛隊の解散』となるのだが今では極く少ない少数派になっている。
多数派の『普通の世間的な護憲意識』では『戦争のある世界をありのままに認識しつつ「地上の平和」を望んでいる』のだろうか。
一般的に革新派の知識人は9条が『思想の力』であると主張しているのだが、こういうのは左派的な人が好む発想ではあるが『9条』は、そもそもの出発点は『情念』であったのです。
長い戦乱に飽き飽きしていた多くの人々は、日本人が元々持っていた『殺し合いは嫌だ、戦争は駄目だ』という素朴な情念と、アメリカの最もリベラルな部分の理想の論理が偶然、圧倒的な力の空白が生んだ間隙という時間的な狭間で、たまたま表向き合致した時にだけ可能な奇跡的な不思議の『思想』が憲法9条だったのです。

『弛緩?から出発した9条』

敗戦直後に『9条』がなぜ当時の圧倒的な多数の日本国民に支持されたのだろうか。
そして何故、今まで長年日本国を守って生きた(日本人が守ってきた)『9条』の改正の動きがあるのか、その原因を歴史的に考察してみよう。
平和憲法『9条』は日本(国家)が引き起こした『戦争』が惨めで屈辱的な無条件降伏(敗戦)に終わり、より屈辱的で惨めな他国軍の全面軍事占領によって、国家の武装を解除されたことに因ってそれまでの緊張状態が融け、みんなが弛緩したところで出てきたもので、理論としてよりも情念に近いものとして受け入れたのかも知れない。
『刀狩』(兵農分離)の伝統がある非武装で平和志向の多くの日本国民は、国民皆兵の軍事優先の日本帝国の時代が続いても、長らく非武装による『弛緩』を忘れていなかったし、本当は今でも『弛緩』を求めているのではないだろうか。
だから、圧倒的な市民が9条を支持したのです。

それでは、国家の武装を禁じた憲法九条は『思想』(理念)か。はたまた『情念』か。何れであろうか。
何時でも主義主張や理論が先走る左翼は間違いなく『思想』(理想?)だと思っているはずです。
何しろ何時でも『思想』(理論)を優先させ、高邁な『理想』を語る考え方なので左翼になっているのですから、其れ以外の答えが出て来る事は少ない。
対して元々理論より情念が優先している右翼なら、これも間違いなく『情念』でしょう。
其れも怒りとか恐れとか恨みの感情であり、そこから発展した蔑視や敵愾心など真っ黒な『負の情念』ですね。
作る会など右翼の9条に対する態度は『反感』とか『反対』などの思想心情ではなく、癒しがたい憎しみや挫折感、尋常でない『恨みの感情』(情念)が感じられる。
何故そこまで右翼が9条に恨みの感情(負の情念)を持つかですが、これには必ず理論的根拠や歴史的な経過がある。(と理論優先の左翼の一人なので考える)

『マックス・ウエーバーの国家の定義に抵触する9条』

国家の武装(9条2項)や国家だけに許されている戦争(9条1項)を否定したのが憲法9条で、『9条がある限り日本国は半人前である』との考えが右翼や保守にはある。
それではこの右翼の考え方は間違いか。?私は十分に根拠がある話であると思っています。
9条の1項については第一次世界大戦後の世界の世論は概ねパリ不戦条約にあるように『戦争は不法である』の考え方でコンセンサスは出来ている。
ところが『戦争は違法』で世界各国が一致していたにも関われず、自衛戦争は(禁止されている)戦争でないとの論理(抜け道)で、第一次世界大戦より比べられないほど大きく悲惨な第二次世界大戦が引き起こされるのです。
この厳しい歴史の教訓(経験)から、国家の武装を禁じた日本国憲法9条2項が出来上がるのです。
そのために、アメリカによって日本の国家としての大事な部分(国軍)が去勢されていると見るのが右翼です。
これなら『右翼』が『9条』に根源的な憎しみを募らせる心理には十分に根拠があり理解出来る。
それでは『国家』とはそもそも『何もの』であるのか。?

『国家とは暴力装置のことである』

マルクスは『国家』とは警察とか軍隊などの暴力装置の事であると喝破するし毛沢東も『鉄砲から政権が生まれる』と言っているし、現実の今の政治の話でも日本を含むすべての国家のトップは同時に例外なく必ず国軍の最高司令官なのです。
オバマアメリカ大統領はアフガン増派に当たって文民の大統領ではなく『最高司令官として』とはっきり発言している。
こう考えていくと左翼も右翼も『同じ考え方』なのです。
長い人類の歴史上、国家の無い軍隊はあったが、軍隊の無い国家は何処にも無かったのです。
憲法『9条』とは人類史上かって存在しなかった、まったく新しい試み(思想であり情念)なのです。
言うなれば、ちっぽけな思想や情念なんかの範疇を遥かに凌駕する思想の中の思想、情念のなかの情念、人類社会の遥かな高みに聳え立つ絶対宗教である。
例えるならば『神』なのです。
元々日本にあった古来からの神々は明治維新の廃仏毀釈で殺され、明治時代に創られた国家神道の神は第二次世界大戦の敗戦後アメリカによって殺され、結果日本は無道徳無節操な国家が出来上がったとするなら、最後に残った『神』とは国家の本性(本体)ともいうべき国家の武装、国家の暴力を否定する『憲法9条』以外には考えられないでしょう。
それなら右翼が企んでいる3度目の『神殺し』を決して許してはいけない。
今の世界はイスラム原理主義やアメリカのキリスト教福音派原理主義などの『情念』が騒動の種を世界に振りまいていますが、これに対して思想や理論だけではパワー不足で勝てません。
これ等の危険な原理主義に対抗するだけの力があるのは宗教としての『九条原理主義』以外には無い。(我ながら論理が強引ですが、何しろ9条は『神』(宗教)ですから当然です)

『個人の武装を主張しない「右翼」は胡散臭い』

一般的な普通の良識的考えである、非武装の9条は弛緩で武装は緊張との説は、我々護憲派の人々では異論は無いかも知れませんが、改憲論者は正反対だと思っているはずですよ。
何しろ全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンは『枕の下に銃を入れていると、安眠出来る』と語っている。
この考え方は憲法9条があるために、外国(北朝鮮)が攻めて来ると思って心配で心配で眠れない日本の改憲派と共通する感性でしょう。
武装しているれば安心して弛緩できるが、非武装では(誰かが襲って来ると思っているので)不安で不安で緊張しているのです。
アメリカではこの『武装していないと襲ってくる』との考え方は大は国家から小は市民一人一人まで共通の考え方で一貫していて、ある意味立派で筋が通っている。
日本の右翼のように国家の武装を言って個人の武装を言わないのは胡散臭いし主張自体がニセモノで間違いである。
民主主義国家ならば、国家に武装権があるなら、なおさら個人には武装する権利があると考えるべきです。
この考え方はアメリカでは多数派で、本当に第三次世界大戦(ヨハネ黙示録にあるハルマゲドン?)が必ず起こると思っている人々が沢山いて数千もの民間武装組織(ミリシア)が常時軍事訓練に励んでいるし、核シェルターを自家用に用意して食料や武器弾薬を備蓄している人もいる。
世界の常識である公的医療保険でさえ反対する人が大勢いるアメリカは『自助努力』、『自己責任』がモットーの世界なので、『自主防衛』が基本的な考え方であるのですね。
昔訪ねた知人のアラスカ山岳会員の家には壁一面に銃が飾ってあり拳銃やライフル以外にも軍用M16自動小銃まであった。
ところが不思議な事に日本では国家の武装を主張する人はいても個人の武装を主張する人は一人もいませんが、これは主張が一貫していない。物事の根本を理解しておらず基本的に間違いである。
何故なら国家の武装(自主防衛)の基本思想は、他人に頼らず『自らを自らが守る』ことである筈で、それなら国家の武装の必要があるなら、それ以上に個人の武装が必要になる。
それなら皆が家の下を掘ってシェルターを作り水と食料、手斧とかボーガン、猟銃を用意する必要が生まれる。
此処で一番大事な注意点は一瞬の手抜きも駄目で、片時も油断せず24時間常時周りを監視すること。
家の境界を超えて入ってくる不審者は、たとえ親しい隣人でも無断の時は散弾銃で警告のために一発お見舞いするべきなのです。
これでは周りの隣人すべてに嫌われるが、何よりも大事な自分の安全の為です。
この程度の不利益は仕方ないと諦めて、我慢しなければならないのです。
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チキンホーク (疑問に思う人)
2010-11-30 12:38:30
腰抜けのタカ派をこう言いますが、日本の場合の大半を占めるのは、こういう連中かと。大岡昇平の言葉を借りるなら、部下を死地に駆り立てた醜悪な参謀共と同レベルって感じかなと。
岩下俊三のブログでは、必要なのは武器ではなく覚悟であるという感じのことが書かれていましたね。結局、口だけで覚悟がねえんですな。
2度目です (にゃんたつ)
2010-11-30 15:21:50
ときどき拝見させていただいておりました
逝きし世の面影さんの洞察は嫌いではありませんでしたが主張や考えをはっきりと述べない方だなぁと常々思っていましたが(表面しか読んでないからかな?)今回は分かりやすくてなんか嬉しかったです
「日本の青空」ご覧なりましたよね
軍が何の目的で何を守もるのか? (宗純)
2010-11-30 16:40:59
疑問に思う人さん、コメント有難う御座います。

どうも記事に書いてある内容を誤解されたようです。私の書き方が悪かったのでしょうか。?
軍隊とは『国家』を守るものですが、では此処で言う軍が守る『国家』とは具体的に『何』を指しているのでしょうか。
例えば我が日本国の自衛隊ですが、これが守っている『モノ』とは何か。?
国民の生命と財産だと誤解していませんか。?
それは大間違いですよ。
栗栖 弘臣第十代統合幕僚会議議長は明確に次のように述べています。
『自衛隊が国民の生命、財産を守るというのは誤解である。自衛隊とは国家(具体的には国体)を守るものである』と断定しているのです。
我が日本国で法的な建前上、国民の生命と財産を守っているのは『警察』ですね。
だからこの自衛隊最高幹部の言うことは困ったことに『間違っている』とはいえないだけでなく正しいのです。
そしてこの軍隊が守る『国家』とは必ずしも我々一般市民とは同じでは無い。
司馬遼太郎の『歴史の中の日本』の有名な話ですが、
対ソ連軍用に満州に配備されていた虎の子の戦車部隊を敗戦直前の1945年の夏に本土に呼び戻して関東平野に配備して上陸する米軍部隊を迎え撃つ本土決戦の準備をしていた。
この時に敵軍(米軍)に追われて逃げ惑う一般市民のどうするかの扱いを聞いた戦車隊将校に対して参謀本部の答えが『ひき殺せ』なのですね。
軍隊の任務は自国民を守ることではないのですよ。
そしてこの事実は自衛隊の最高幹部の栗栖弘臣が語るように、少しも変わることは無く今の自衛隊も全く同じなのです。
潜水艦なだしおが遊漁船第一富士山丸と衝突して沢山の人が死んだのですが、
戦時でも無いのにこの時に自衛隊の隊員が衝突時にとった最初の行動とは自分の艦の安全点検であって、緊急に行う必要があった目の前の人命救助ではないのです。
名前の通り自分を衛る為の部隊ですよ。
自衛隊の守っている第一番目は自分自身である自衛隊(軍)なのですね。
これは何も自衛隊に限らず、全ての軍隊に共通する特色であるのですが、軍隊が守る『国家』の意味(中身)とは,何のことは無い『軍隊』であるのです。
まさにマックス・ウエーバーが言ったように公的に正しいとされる暴力装置(軍隊)が国家の正体であるのですね。
『軍隊=国家』なのです。
だから自衛隊は自分自身(軍)を最初に守る必要があるのです。
観察眼が 鋭い (宗純)
2010-12-01 11:17:42
コメント有難御座います。素晴らしい注意力ですね。

にゃんたつさんのように、このブログの記事が『主張や考えをはっきりと述べない』ことに気が付いている人は少ない。
それどころか正反対に『一方的に断定している』だの『判断、主張が独断的』だの『過激すぎる決め付けである』などと見ている人の方が遥かに多いのではないでしょうか。
このブログで、白黒を『はっきりと断定しない』のは意識的に行っているのです。
何しろ今程度の書き方でも、これまでに書いた事実(記事内容)のせいで沢山の読者(支持者?)も獲得したのは良いのですが、沢山の敵も生まれてしまったのですね。
だから表現を緩和する目的で、書きたいことを書いているようで実はなるべく曖昧にして角が立たないように気を使っているのです。
今程度でもかなり問題であるのです。
科学教教祖の阪大の菊池誠物理学教授のお粗末な主張を書いたら信者らしき人からはしつこく絡まれる。
護憲左派ブログ界の恥部である水騒動ではkojitakenなどの解同の犯罪的偽装を指摘して、執念深く未だに恨まれて嫌がらせを受ける始末。
『逝きし世の面影』を非難中傷するのは罵倒でも宣伝になるので密かに喜んでいるのですが、失礼にも何年も前の昔の古いHNである『布引洋』を口汚く呼び捨てにする。
この無礼な振る舞いですが当方の家は祖父の代まで親父が左翼道楽で潰してしまうまで代々続いていた『網元』だったのです。村上水軍の舟印程には有名ではないが、丸の中に布と書く『布引』は地元の一地方では由緒ある舟印なのですよ。
それがkojitakenなどの不真面目な部落解放同盟のインチキ活動家に汚らしく罵倒されたのでは御先祖に対して申し訳ない気分です。
彼等は必死に偽装しているのですが頭かくして尻隠さずで、
解同の命綱である稀代の悪法である人権擁護法で検索してみれば幾つもヒットするのですから大笑いですね。
それにしても他の護憲左派には偽装左翼の悪党連中の正体がどうして見えないのでしょうか。?
何故彼らが若手保守政治家の城内実 を執拗に執念深く罵倒するかですが、彼が一番この人権擁護法について詳しいからですね。
だから繰り返し繰り返し何の権限も持っていない野党の下っ端政治家でしかない城内実程度の政治家を口を極めて攻撃しているのです。
これは政治ブログとして、まったく政治的な無意味な意味不明な首を傾げる発言であるのですが、どんな不思議な行動でも種明かしすると何とも馬鹿馬鹿しい限りです。
誤解してました (疑問に思う人)
2010-12-01 12:57:56
考えてみれば、日本軍も国民2千万人ほど殺して、国家(自分達)を守ろうと本土決戦を企図しましたし、沖縄県民の身に起きたことを考えれば、さもありなんですね。
しかし、軍隊=国家であるならば、軍隊を持たない日本は国家ではなく、壮大なフィクションであったりするような。
虚しい (にゃんたつ)
2010-12-01 13:31:44
逝きし世の面影さんのブログを読むようになっていろいろ考えさせられています
正義は使用者によってその形が変わってしまうから絶対の正義は無いと思われるし、科学というものも事実の積み重ねである以上、間違いでさえも含めて科学といわなくちゃいけないんですね
紆余曲折して辿り着く道のりこそが科学というか、絶対に正しい事を知っているのは神しかいない
でもカルトじゃないから今の私の基準は「愛」があるかと「多数の幸福にどれだけ近いか」ですかね
国家の存在自体がフィクションの可能性 (宗純)
2010-12-01 17:12:23
疑問に思う人さん、にゃんたつさん、コメント有難う御座います。

ウエーバーは19世紀の政治学者なので勿論20世紀の日本国憲法9条なんかは知らない。
だから彼の社会科学の『国家の定義』には9条に関しては全く考慮していないので、ウエーバー的には『軍隊を持たない日本は国家ではなく』との考えも出て来ますが、
この例は自然科学での18世紀のニュートンのエネルギー不滅の法則、万有引力の法則のニュートン力学が、20世紀のアインシュタインの相対性理論により否定された歴史と同じような話ではないでしょうか。
原理や法則の一部は間違いであると否定されたが、それでも一般的な状態では今でもニュートンの物理学の通りであるのですね。
何ら間違っていない。
アインシュタインの相対性理論は、ニュートンが扱ったよりも遥かに巨大で高い次元の話しなのです。
それなら、まさにウエーバーの国家の定義に反する日本国憲法9条とはアインシュタインが「相対性理論」により、万人の宇宙観を変え、思想、哲学にまで影響を及ぼしたのと『同じ意味』があるでしょう。
9条とは国家理論として社会科学の最高峰として、今までの社会常識に真っ向から反する大変なものであるのです。
『科学』とは、全ての物事の『正誤』を独占的に判定している唯一普遍性がある存在であるのですが、『善悪』までは判断しない。
ところが『9条』は例外的に正誤だけではなくて全人類に対して『正義』と『未来』を指し示しているのです。これは良く考えてみれば物凄い話ですよ。
現実から乖離した原理主義 (もえおじ)
2010-12-01 23:34:03
ごく最近の調査では、中国人の多くは、軍国主義は日本の伝統文化であり、常に存在し続けていると考えています。「日本の本性は変えがたい。日本の文化的伝統はすなわち軍国主義思想であり、遅かれ早かれ復活する」「日本の軍国主義思想が消えたことはない。靖国神社への参拝がその証明だ」「日本の軍国主義思想は根深い。尖閣諸島問題を機に復活するだろう」などのコメントが寄せられています。

また、韓国では「2009年10月に開かれた韓米定例安保協議会(SCM)で、韓国政府が米国政府の『核の傘』提供の削除、及び、共に日本を『仮想敵国』と表現することを求める」主張がされました。 韓国にとっては、「日本は仮想敵国」なのです。

私はパリ不戦条約も憲法第九条も支持しますが、それによってあたかも平和が担保されるがごとき物言いは妄言です。 1928年の「パリ不戦条約」は期限が明記されていないため、今日においても国際法として有効であるとされていますが、加盟国の多くが自衛権を留保しており、また違反に対する制裁もないためその実効性は乏しい。 憲法第九条にしても、中国や朝鮮半島の現実を見ると、日本が憲法第九条を保持しているから緊張を生まないなどとはとても考えられません。

現実的には、憲法第九条は日本の軍事大国化を抑える留め具程度の役割にしか過ぎません。
少年警察隊創設 (現田石)
2010-12-02 01:17:03
たとえば憲法9条のもとの日本で、15歳以下の少年・少女たちからなる少年警察隊を創設し、年少の彼らに幼稚園や小学校の警備の補助を任せたり、警察と軍隊の違いを実践経験に基づいて教育したりする制度を設けたらどうでしょうか。自分たちを自らで守ることだからやりがいがあるでしょうし、実際の地域社会の安心感を高めるのにも費用効果が高いと思います。
軍隊は国家アイデンティティ (愚樵)
2010-12-02 05:56:15
国家の存在自体がフィクションだという可能性は高いと私も思います。

そもそも国家とは、外敵があって国家なのですね。生活を共同で営む共同体というだけでは、国家とはなりえません。共同体に外敵が出現し、城壁で囲うようになったのが「国」。「中華」も「夷狄」があってこその「中華」。ですから、現代において、中国や韓国が日本を「仮想敵」とするのは国家としては当然のこと。「仮想敵」がなければ軍隊は必要なく、国家はアイデンティティを保てない。つまり、「仮想敵」という虚構が国家という存在を際立たせているわけです。

同じ「暴力装置」でも警察が国家アイデンティティの拠り所となりえないのは、警察が「仮想敵」という虚構に対応した存在ではないからです。

以上のように考えることができるならば、日本の「9条」は不思議な存在です。宗純さんが言われるように「9条」は情念。ということは、これはアイデンティティに近いものであるということ。「仮想敵」を否定して、なお国家という虚構が存在しえる。それはおそらく、日本という「邦(くに)」の在り方に拠る所が大きい。さらにいうなら、天皇という存在が大きい。

「仮想敵」をアイデンティティとの源泉とし軍隊を保持する国家が群立する国際社会では、「仮想敵」はリアルな軍事的脅威です。敵がいくら虚構だといっても、リアルに軍事力を持てば、それはリアルな脅威。そういった国際社会の中で現実に国家として存在していこうとするならば、アイデンティティはともかく、軍隊はどうしても必要でしょう。「9条」を擁する日本はリアルな部分をアメリカに負ぶさることで戦後、存在してきた。ここは事実ですし、日本が陥っているジレンマでもあります。

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