逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

危ないバラク・オバマ回顧録

2021年02月27日 | 宗教

オバマ大統領回顧録(チンギス・ハーンとユダヤ教のモーゼを混同していたらしいバラク・オバマ)

第44代アメリカ大統領ロングインタビュー

バラク・オバマ「私はドナルド・トランプよりチンギス・ハンに敬意を抱いている」

異例づくしの大統領回顧録
バラク・オバマが私に説明していたのは、戦争犯罪のイノベーターであるモンゴル帝国皇帝チンギス・ハンの都市攻めの仕方だった。

「与えられた選択肢は二つでした。『いま門を開くなら、男たちはすぐに殺すが、女子供の命は助けてやる。ただし女は連れ去り、子供は奴隷にする。一方、抵抗するなら、お前たちは油でじっくり釜茹でにされ、皮を剥がされることになる』」

心配されるバラク・オバマ59歳の認知症

不出来なゴーストライターの妄想ではなくて本物のオバマ回想録であるとしたらですが、副大統領のジョー・バイデンどころか大統領だったバラク・オバマの認知症の方が深刻なレベルである。

それは世界帝国を築いたチンギスカンではなくて、旧約聖書に書かれているモーゼの有名な逸話だったのである。

旧約聖書には予言者モーゼのユダヤ人が出エジプト後に約束の地カナンを征服するため先住民族を皆殺しにする極悪非道のジェノサイドを嬉々として記述しているのですが、モーゼとチンギスカンの両者を普通は混同するはずが無いのである。

ユダヤ人もモンゴル人も世界から見れば少数民族

もし『いま門を開くなら、男たちはすぐに殺すが、女子供の命は助けてやる。ただし女は連れ去り、子供は奴隷にする。一方、抵抗するなら、お前たちは油でじっくり釜茹でにされ、皮を剥がされることになる』
の二択なら、例外なく言われた相手は死にもの狂いで抵抗する。

だからユダヤ人(モーゼ)は狭いパレスチナの地しか占領出来なかった。

対してチンギス・ハーンは抵抗するものには残酷だったが、降伏するものにはモンゴル皇帝の権威と納税や徴兵の義務以外は極めて寛大で領地や宗教、風俗、文化など全てを認めたので世界最大の大帝国の建設に成功している。モンゴル軍は出来る限り戦争を回避することで帝国の力を温存し、勢力拡大を続けたのである。

元寇とは言うが侵攻軍の主体は朝鮮や南宋の軍

鎌倉時代に元は二度も平和的な服属を求める書簡を日本に送ったが、日本側が使者を殺したので攻めてきたが、外交音痴の鎌倉幕府の責任は大きい。(当時の航海術では台風の時期とぶつかる)

オバマ大統領が陰で密かに推進していていた悪逆非道のアメリカ軍傭兵組織ISIS(イスラム国)の蛮行とチンギスカンを混同している可能性も有る。

いずれにしても単なる反トランプの汚らしいヘイトスピーチのプロパガンダでは無くて、オバマが本気で信じているとしたら居眠りバイデンよりも深刻な痴呆症であることは疑いない。

★注、未だに極悪民主党やリベラルメディアは意味不明の不可解なトランプバッシングを続けているのですから、去年の11月3日に終わっているはずのアメリカの大統領選挙が、困ったことに今でも終わっていないらしいのですから恐ろしい。(それならアメリカ大統領選と連動して蠢いている正体不明の新コロ(SARS-CoV-2)騒動も当分終わりそうにない)

 

『全ての不幸の元は旧約聖書』

2000年以上前に書かれた『旧約聖書』の記述をほとんど唯一の根拠として、欧米の白人系ユダヤ教徒(アシュケナジー)によって中東のパレスチナの地に人工的に建国された宗教国家が、『イスラエル』と言う名の紀元前の古代国家と同名であるが勿論何の関係も無い。

この『ユダヤ教』という宗教によって作られた国家(イスラエル)ほど、パスカルの『人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない。』という言葉の正しさを証明して見せているものはない。

現在ガザで行われている悲惨で愚かな蛮行の出発点、根本原因とは何か。?
それは、猛烈に不愉快な一つの神を持つ一部族の『カルト』だったユダヤ教と、そのカルトの教義を記した『旧約聖書』にその原因の本質があった。

『旧約聖書とは何か』

ユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典の一つでも有る『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。(★注、イエス・キリストに関する事績を書いたパウロやマルコなど4つの福音書が主体の新約聖書だけだと薄いパンフレット程度なので、オウム真理教以上に危ない破壊的カルト宗教であるユダヤ教の経典「旧約聖書」がないとキリスト教自体が「宗教」として成り立たないのである)

『偽書』

人類の歴史には出処の怪しげな文章が突然に見つかり、発見者の立場を強力に支持するような重要な情報をもたらしてくれる。
しかし、入念に、時には勇敢に調べてみると、その文章は贋作で有る事が判明する。
でっちあげをする側の動機は非常に判り易く、旧約聖書の申命記がその典型と言えるだろう。
この文章は、エルサレムの神殿に隠されていたところを、紀元前7世紀にヨシア王によって発見された事になっている。
宗教改革闘争のさなかにあったヨシア王は、自分の考えを全て支持してくれる新しい聖書の部分(申命記)を奇跡的に発見したと言うわけだ。

(旧約聖書・申命記 7章1-4)

『お前たちの神がこれらの民をお前たちに与え、それをお前たちが征服するときは、彼らを徹底的に破壊するのだ。
彼らを相手にしてはならない。憐れみも掛けてはいけない』 

旧約聖書の『ミカ書』は『正義を行い、慈しみを愛せ』と教えている。
『出エジプト記』には、『殺してはならない』と書いて有る。
『レビ記』には、『自分自身を愛するように隣人を愛せ』と書いて有るし、『福音書』には『汝の敵を愛せ』と教えている。
このように良き教えが沢山書かれていると人々に信じられている『聖書』の教えを奉じる者達が、どれほどまでに多くの血の海を作ってきたかも聖書には書かれているのである。

『ヨシュア記』や『民数記』の後半には、カナン(パレスチナ)全域で行われた大量殺戮の事が記されている。
町という町で、男ばかりか女子供、はては家畜までが皆殺しにされるという出来事が,さも嬉しそうに書かれているのだ。
エリコの町は『聖戦』の為に跡形も無く破壊された。
『ヨシュア記』には、
『息の有る者はことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった』
この大量殺人の理由はただ一つ、殺した側(ユダヤ人)のこんな言い分だけた。
『遥か昔に、神は我等の先祖に約束された。息子に割礼をほどこし、一定の儀式を執り行うならば、この土地を我等に下さると』。

(士師記 21章10-24)

「そうして彼らは1万2千の兵士をヤベッシュ・ギリアッドに送り、女子供も含め、そこの住民を皆殺しにしろと命令した。
『これがお前たちがやることだ』彼らは言った。『すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ』。

(エゼキエル書9章5-7)

「それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ」
「彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした」。

(民数記第31章18節)

『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。
彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い』

(ヨシュア記第6章21節)

モーゼの時代に始まった民族浄化は『ヨシュア記』において血まみれの成果をもたらす。
『ヨシュアはエリコを攻めた。崩れ落ちる城壁・・・エリコの戦いにおける古のヨシュアにかなうものなんて無い』
いにしえのヨシュアは、イスラエルの民が『男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすまで、休む事が無かった』。

聖書の物語における『神』と言う人格は、約束の地(パレスチナ)の占領に伴う大虐殺や民族殲滅について、何らかの疑念や罪の意識を感じていた形跡は全く無い。

『申命記』第20章における神の命令は、情けの欠片も無くあけすけである。
彼(神)は自分自身にとって必要な地に住んでいる人間と遠くはなれたところに住んでいる人間とを明確に区別した。
後者は平和的に降伏するように勧告しなければならない。
もし拒絶すれば、男は殺し、女は繁殖の為につれさられた。

この比較的人道的な扱いと対照的に、あまりにも不運な事に、すでに約束された生存圏(レーベンスラウム)に定住してしまっている民族に対しては、一体どんなことが用意されていたのか読んでみると、
あなたの神、主の嗣業として与えられれる諸国の民に属する町々で息の有る者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない』。(★注、トランプ憎しで凝り固まるまだらボケ状態のオバマは旧約聖書に書かれているユダヤ人(モーゼ)のこの部分をモンゴル帝国のチンギスハーンの言葉だと勘違いしたのでしょう)

(抜粋)

イスラエルの『戦争犯罪』は旧約聖書に由来 2009年01月15日 | 宗教

 

橋爪大三郎の「ふしぎなキリスト教」

西洋思想の根幹を成すキリスト教(一神教世界)的な観念論世界での価値や真理は、歴史的に超越的なものとして成立している。
ところが、すべての物事を『ありのままに、そのまま受け入れる』(無制限の現状肯定)という日本的な『かんながらの道』(★注、神道)には超越的な動機は少しも含まれていない。
日本のキリスト教人口は1%の少数だが、不思議なことにネット空間に限れば(人口比とは違い)非常に多い。
『逝きし世の面影』ブログのモットーは、『偶然と必然』の生物学者ジャック・モノーの『人間にとってどんなに不安で絶望的なことであろうとも、それが科学的で客観的な知識であるならば無条件で受け容れるべき』であり、これは丸っきり日本の古来からの『かんながらのみち』そのものである。
超越的な一神教精神の対極にある姿勢なので、時々は真っ向から正面衝突する。
古くはアメリカ在住のプロテスタントの無政府主義者のejnewsさんからの不思議なコメント群『神は妄想である』 コメント集。①~⑩
『堕胎は人殺し』と会話を拒否して口汚く罵るホームレス支援のブログ主とか、突然『ダーウィンの進化論は間違いである』と主張して意味不明の罵倒を繰り返す自称獣医さんの出現と、キリスト教系一神教モドキと大喧嘩に。
内容が余りにもアホ臭いので笑って済ますべきなのでしょうが、これだけ連続すると偶然とも思えない。
彼等は何故、これ程攻撃的なのだろうか。

『二重人格?不思議な被害意識と攻撃性』

普段は温厚な人格者で至って論理的であるのに、何かの原因で突然180度豹変する不思議。彼等は何が気に入らない(腹が立つ)のだろうか。明らかに無理無体で理不尽な攻撃している加害者なのに、逆に『自分はいわれなく他から攻撃されている』(被害者)と感じているらしいのですから、ますます理由が分からなくなる。
突然の脳梗塞などの病気としか思えない。

『無茶苦茶な破壊的カルト信者』で済ませば簡単だが、それでは話がそこで終わってしまう。
最初は認知症による痴呆を疑ったのだが、病気では無いらしい。
ジキルとハイド、正気と狂気の錯綜する彼等に共通するキーワードこそ『キリスト教』であった。
『いったいこの連中、何を考えているのだろうか』とにわかに興味が沸いてきて、一度は内容がアホ臭いし腹立たしいので手放した橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』を、厳しい父親ではなく、出来の悪い子供を溺愛する母親の態度(悪い部分は無視して良いところだけを見る)で読み返してみると目から鱗で、全く別の不思議なキリスト教が見えてきたから、何とも愉快である。

『科学の根本を否定する、狂信的な一神教信者の無茶苦茶な主張』

キリスト教の根本教義である奇蹟は自然科学と真っ向から対立するが橋爪大三郎は、
『よく、この科学の時代に奇蹟を信じるなんて、と言う人がいますが、一神教に対する無理解もはなはだしい。科学をつくった人びとだからこそ、奇蹟を信じることができるんです。科学を信じるから奇蹟を信じる。これが、一神教的に正しい』
『奇蹟は、むしろ科学の側に属している』
『これはヴェーバーが強調していることで、このことを理解しておくべきですね。このことは、一神教文化圏の常識だし、国際常識です』
と無茶苦茶の連続で批判する言葉も無い。
科学については、
『科学と宗教が対立する、と考えることのほうがナンセンスです。科学はもともと、神の計画を明らかにしようと、自然の解明に取り組んだ結果うまれたもの。宗教の副産物です』
『しかし、よく考えてみると、自然科学というものは、やはりキリスト教の文化、とりわけプロテスタンティズムから生まれてきている』
『理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです』
『実際、いまでも高校や中学の理科で習うことの多くは、この科学革命の時期に確立したアイデアです。その中心はニュートンの物理学でしょう』
『いまはしばしば科学者が宗教批判を熱心にやりますが、科学革命の担い手は、むしろ熱心なキリスト教徒、しかもたいていプロテスタントでした』
『だから、キリスト教徒、それも特に敬虔なキリスト教徒が、優秀な自然科学者になる』
『理性を通じて、神と対話するやり方のひとつが、自然科学です』
と、無知な社会学者モドキが口から出まかせ言いたい放題。

『科学の上位に君臨し、科学と敵対したキリスト教の暗黒史』

橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』では、ガリレオ・ガリレイの地動説やダーウィンの進化論は自説に都合が悪いので一切無視するご都合主義。
欧州では日本国では考えられない不思議ですが、科学と宗教が数百年にわたって血生臭い抗争を繰り返していた。(地動説のジョルダーノ・ブルーノは1600年宗教裁判で火あぶりになっている)
最終的に科学の側が宗教に勝利して一神教のくびきから脱するのは、150年前のダーウィンの進化論論争の結果である。(バチカンがガリレオ・ガリレイの地動説を正式に認め謝罪するのは冷戦崩壊の翌年の1992年、ダーウィンの進化論は1996年で、つい最近の出来事である)
科学はアルキメデスの原理などキリスト教成立の遥か昔のギリシャ文明など歴史は古くて長い。圧迫したのはキリスト教で、これを継承保存して後世に伝えたのはイスラム教のサラセン帝国やオスマントルコである。
活版印刷や羅針盤や火薬などヨーロッパ近代化の三大発明は世界から千年から数百年遅れであり、すべて中国など先進地域の模倣であった。
キリスト教の欧州は、長らく『野蛮未開な辺境の地にとどまっていた』が科学的で正しい世界歴史なのです。
ところがルターの宗教改革によりプロテスタントとカトリックの血みどろの武力抗争が発生。このキリスト教の全般的危機の時に『世界が聖書の記述のとおりである』事実を証明しようと努力した結果、副作用として科学技術が欧州で発展する。
橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』とは、ネットウョの『日本の侵略ではなくアジア解放だった』(悪くなかった)との御粗末な歴史修正主義の別バージョン『キリスト教は科学を弾圧していない、逆に進歩させた』(悪くなかった)である。

『ふしぎなキリスト教』の非科学的で論理的に矛盾する部分を完全無視、すべての悪い部分に目を瞑り『良いとこ取り』すると、実に素晴らしい内容だった。

『日本人的には到底理解出来ない、不思議なキリスト教』

キリスト教に対する一番の不思議は、その過剰な攻撃性であろう。
アレキサンダー大王の古代から帝国領土拡大は不思議ではない。基本的に大日本帝国が行った様に自国に隣接する地域を次々併合するが、キリスト教のように遥か離れた地球の裏側まで征服しようとはしなかったし、アステカ帝国やインカ帝国の徹底的な破壊のように言語や文化や民族を、根本から抹殺することもなかった。
イギリスのアヘン戦争やアメリカの奴隷制やインデアン絶滅戦争は幕末の出来事なので、150年ほど前である。
インカやアステカの悲劇、インドや中国の大災難は『まさか、そこまではやらないだろう』と、キリスト教の持つ『過剰すぎる攻撃性』に気が付かなかった(油断した)ことが一因である。
幸いにも徳川幕府はアヘン戦争などキリスト教欧米列強の恐ろしさ(過剰な攻撃性)を熟知していたので、相手の無理難題をすべて飲んで攻撃を回避することに成功している。
一神教の神ヤハウェは砂漠のシナイ半島の荒ぶる火山の神で、戦争の守護神で、一部の戦闘的部族が『戦いの神』としてヤハウェを採用する。
日本の武士階級が戦いの神である九州国東半島の八幡神を『戦いに強い』との理由で『武士の守り神』としたのと同じで、一神教のヤハウェはそもそも戦争をつかさどる残酷で血生臭い神だったので攻撃性が異常に高いのは当然だった。何の不思議も無い。
キリスト教のGODは、基本的に人間を助ける日本の神様とは大違いで、SFホラー映画エイリアンの邪悪で凶暴な異星生物なのです。
橋爪大三郎は一神教の『神』の実体が、地球を破壊するパワーを持った理解不能で超越的なエイリアンであると喝破したので、他のキリスト教信者からは厳しい批判に晒されている。

『2000年間ユダヤ教を差別迫害し、1400年間イスラム教と争うふしぎなキリスト教』

日本人的な一神教に対する誤解としてヤハウェとイエス、アラーは別々の『神』だと思って仕舞うが、実はまったく違いが無いばかりか『一つ』の神である。
『同じ』なのである。では『何』が違うのか。
橋爪大三郎は『ふしぎなキリスト教』で基本となる教義が、三つの一神教で全く違いが無いことを強調しているのです。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、基本OSは同じだがバージョンが違うウインドーズの95とXPとビスタの関係なのですから別々の宗教と言うよりも一つの宗教の『別宗派』程度なのです。
それなら今のように宗派間で激しく争う理由が全く無いことになる。
特にユダヤ教とキリスト教との間には教義の違いは無く、実はまったく『同一の宗教』であった。
唯一の違いとは『イエスキリスト』がいるか、いないかだけ。
いないのがユダヤ教で、『イエスキリスト』がいるのがキリスト教なのです。
ちなみに『イエスキリスト』とは、イエスが名前でキリストが苗字ではない。イエス(ヨシュア)は当時はありふれた名前で、『キリスト』はヘブライ語の救世主(メシア)なので『メシアのイエス』(救世主の一郎)の意味である。
『ふしぎなキリスト教』では、無責任にも2000年間ユダヤ教を差別迫害し、1400年間イスラム教と争っている理由が一言も書いていない。
不親切の極みであり意識的な怠慢である。
第二次世界大戦とは宗教戦争でもありユダヤ人差別で600万人もが殺されているのである。
社会科学者が『キリスト教の不思議』に触れるなら、キリスト教のユダヤ教迫害に一言も言及し無いなど有り得るだろうか。
絶対に無い。
『手抜き』というよりも都合が悪いので、わざと無視して『隠している』のでしょう。
キリストの『有る無し』の違いだけで、ユダヤ教とキリスト教が同一宗教内で血みどろの抗争を2000年にわたって繰り返しているのです。

『日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教』

『池田大作より他に神はなし』
創価学会とは、数々ある日蓮宗系の弱小教団『日蓮正宗』の一信徒団体(法華講)に過ぎなかったが超巨大化し、1952年に信徒団体という特殊な形態のまま、東京都知事(★注、石原慎太郎)の例外的措置をもって宗教法人の認証を受けた経過がある。
一信者団体が教団から破門されて以後、その宗教法人としての認可が正当なものかどうか疑わしいが『池田大作より他に神はなし』と、自分の生みの親である筈の日蓮正宗教団を飽きることなく口汚く攻撃している様が見苦しい。
宗門と創価学会の異様で摩訶不思議な敵対関係であるが、宗教信者がその宗教(本山)を罵るなど、正誤に無関係に自動的に論理的自己否定になるので普通なら考えられない。
絶対に、有り得ない話である。
ところが、現実には『ありえないふしぎ』が目の前で起きている。
まさに『ふしぎなキリスト教』である
日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教であることが理解出来れば、キリスト教に疎い我々日本人でも『ふしぎなキリスト教』の数々の謎が簡単に解明できるでしょう。
(抜粋)

「ふしぎなキリスト教」不思議な橋爪大三郎 2013年06月26日 | 宗教

 


グーグル八分?が強まりgooでは検索できない「逝きし世の面影」ブログの記事

2月21日 ~ 2月27日
172
20448PV |9770UU

とうとう1週間のアクセス数が1万人台を切った10年ぶりの珍事が起きていたので、これは矢張り記録しておくべきである。(★注、ますます突然ブログが強制封鎖される可能性が高まっており、大事だと思える記事は各自の判断でコピーして保存して下さい)

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オバマのまーゼ信仰告白! (ローレライ)
2021-02-27 13:44:01
オバマのモーゼ信仰告白はイスラム国のルーツの告白である!
返信する
Unknown (太田)
2021-03-17 16:36:52
旧約聖書は旧約(古い約束)であり、ナザレのイエスが「最高の生け贄」として人類の原罪のために捧げられたので、現代の政治の正当化にはならないんです本来は。

むしろ、宗教対立の皮を被った民族対立だと思います。
イスラエル国は、ユダヤ人追放をしたかったイギリス帝国主義の亡霊なんでしょうなあ。
ちなみに、共産主義とカトリックやルター・カルヴァン原理主義は親和性が高いのは興味深いですね。

私は前にウェスレー神学やアルミニウス主義について
本を読んだことがありますが、空中携挙だとかシオニズム、ディスペンセーション(7つの時代区分。キリスト教版唯物史観?)とは真っ向から反対する内容でしたね。
返信する
困った話だが、 (宗純)
2021-03-18 16:58:48
日本国で唯一、一神教教的な創価学会(公明党)は日本の宗教とか党派の中では一番嫌われているのですが、
実は日本共産党は創価学会よりも本物の一神教(キリスト教)よりも一神教度数が高いのですよ。
しかももっと困ったことに共産党自身は自分が一神教度数が高いので→「みんなに嫌われている」との原因と結果の事実関係(単純な因果関係)に一切気が付かない不幸。困った話です。


一神教的世界観と共産党
2010年08月31日 | 共産党
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/1064d4ede07813b26d609495efadf05a

今とは大違いで、日本にキリスト教徒がいない原因は『神の言葉』を一回も聞いたことが無いからだとの信念で、明治大正期にはキリスト教の宣教師が街角で辻立ちして説教をしていたのです。

これを見つけると必ず無神論で唯物論哲学、社会主義者の私の父は哲学問答を吹っかけて困らしていたららしいのですよ。徹底的に矛盾点を追及してぐうの音も出ないほど遣り込める。
この無神論は徹底していて昔の日本では宗教は極近くにあり明治時代の日本には小さな町内にもいたる所に小さな祠や鳥居、地蔵尊などの宗教施設があったのですが、小さな子供時代にわざわざ小便をかけて回ったらしいのですよ。(困ったやつですね)
第一次世界大戦末期にロシア革命の混乱に便乗して日本軍はソ連のシベリアに出兵するのですが、当時のシベリアの田舎町のロシア人農民はとんでもなく熱心なキリスト教信者であったのですが、運悪く占領軍兵士の私の父は徹底的な無神論者だったので取り合わせが悪すぎる。
田舎町の一つしかない十字路に差し掛かるとこれ等ロシア人達は必ず十字を切って神様に祈りをするのですよ。
大都会なら前に進めないが何しろとんでもない田舎町の話で、都会人の無神論者にとっては悪戯の恰好の標的なのです。
わざと相手に見えるように地面に十字を書いてからつばを吐きかけたり足で踏みつけるなどの大人気ない振る舞いをするのですが、相手のロシア人は顔を真っ赤にして拳を握り締めて、怒りの為に手をぶるぶる震わせているのが面白いので何回もやったらしいのですよ。(大人気の無いとんでもなく悪いやつですね)
ですが考えてみれば相手は武装した占領軍兵士で絶対的な存在なので誰も止められない。
これ、間違いなく今のアフガンやイラクで若い純真なキリスト教徒の米兵が現地のイスラム教徒に対して同じような悪戯を間違いなくやっていまよ。
しかしこれでは心底住民の怒りをかって、こんなことでは戦争は勝てるはずが無いのです。占領軍は一時的には勝つが最後にはボロ負けして当然だったのです
返信する

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