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逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「ふしぎなキリスト教」不思議な橋爪大三郎

2013年06月26日 | 宗教

『待ち望まれていた科学的解説本「ふしぎなキリスト教」』

西洋近代文明を理解するためには、まずキリスト教を理解しなければならないのは明確な事実である。
ところが歴史的に日本人は長年一番大事な『キリスト教』の理解を惰ってきた。
正しくは一生懸命真面目に、必死になって『何とか学ぼうとした』が、とうとう最後まで『不思議なキリスト教』の本質を『理解出来なかった』のである。
日本人が長年理解することに失敗した難物中の難物『キリスト教』に対して、科学的な解明が出来れば、これ程素晴らしいことは無い。
成功すれば日本人にとっては世紀の大発見であり画期的な出来事である
このたび満を持して、現代を代表する社会学者との触れ込みの橋爪大三郎と大澤真幸の対談形式で『ふしぎなキリスト教』が出版され、この種の本としては異例の30万部を超えるベストセラーとなっている。(3012年の中央公論の新書大賞を受賞)
そもそも資本主義の成立(近代經濟)と、西欧キリスト教との關係は密接で殆ど一卵性双生児のような不思議な関係がある。
十分量の『資本の蓄積』は資本主義成立の為の必須要件であり、禁欲的な質素倹約、勤労精神のプロテスタント(宗教)が大きく影響しているとドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)で解き明かす。
輪転機をフル回転して、年100兆円のドル札を刷りまくるアメリカFRBのQE3が最早限界に来ていることは誰にでも分かる。
資本主義が全般的危機に見舞われている現代だからこそ、その近代資本主義の根本(精神的な出発点)となっているキリスト教の社会学的な解説が待ち望まれていた。

『羊頭狗肉、看板に偽り有り』

普通この手の本を出版を待たずに予約して初版本を手に入れるなど私的には無いのだが、異例中の異例で橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』を読んだ感想だが、期待が大きかった分だけ落胆も大きかった。
橋爪大三郎東京工業大学名誉教授は、大量の放射性汚染物質を撒き散らした原発や無差別テロのオウム真理教を無条件に賛美した毒キノコが死んだときに、歯の浮くよう吉本隆明賛美の言葉を並べていた大馬鹿者である。
アホ臭い極左の成れの果て。今現在愚かな過ちを繰り返し恥をかいている子供達の最後の希望とは、将来『歳をとり大人に成ったら、今より少しは賢くなる』ことである。
ところがゲバ棒を振り回すなど若い時にお馬鹿で恥ずかしいことをした報いは恐ろしい。
『若い時愚かだった者は、いくら歳をとっても馬鹿が治らない』では、夢も希望も無いではないか。
橋爪大三郎、大澤真幸の両氏はアホな子供の最後の夢を打ち砕く最悪の悲惨な例であろうか。
『ふしぎなキリスト教』は社会学者が行ったキリスト教の科学的視点による解明だと思ったら、実は社会科学を悪用したキリスト教徒の姑息で胡散臭い自己弁護の羅列だった。
読めば読むほど本当に腹が立つ。金返せ。!!

『二年ぶりに橋爪大三郎の「ふしぎなキリスト教」を読み返してみる』

西洋思想の根幹を成すキリスト教(一神教世界)的な観念論世界での価値や真理は、歴史的に超越的なものとして成立している。
ところが、すべての物事を『ありのままに、そのまま受け入れる』(無制限の現状肯定)という日本的な『かんながらの道』には超越的な動機は少しも含まれていない。
日本のキリスト教人口は1%の少数だが、不思議なことにネット空間に限れば(人口比とは違い)非常に多い。
『逝きし世の面影』ブログのモットーは、『偶然と必然』の生物学者ジャック・モノーの『人間にとってどんなに不安で絶望的なことであろうとも、それが科学的で客観的な知識であるならば無条件で受け容れるべき』であり、これは丸っきり日本の古来からの『かんながらのみち』そのものである。
超越的な一神教精神の対極にある姿勢なので、時々は真っ向から正面衝突する。
古くはアメリカ在住のプロテスタントの無政府主義者のejnewsさんからの不思議なコメント群『神は妄想である』 コメント集。①~⑩
最近では科学を否定して宗教化する愚樵空論との論争と決別。今年に入ってからは『堕胎は人殺し』と会話を拒否して口汚く罵るホームレス支援のブログ主とか、突然『ダーウィンの進化論は間違いである』と主張して意味不明の罵倒を繰り返す自称獣医さんの出現と、キリスト教系一神教モドキと大喧嘩に。
内容が余りにもアホ臭いので笑って済ますべきなのでしょうが、これだけ連続すると偶然とも思えない。
彼等は何故、これ程攻撃的なのだろうか。

『二重人格?不思議な被害意識と攻撃性』

普段は温厚な人格者で至って論理的であるのに、何かの原因で突然180度豹変する不思議。彼等は何が気に入らない(腹が立つ)のだろうか。
明らかに無理無体で理不尽な攻撃している加害者なのに、逆に『自分はいわれなく他から攻撃されている』(被害者)と感じているらしいのですから、ますます理由が分からなくなる。
突然の脳梗塞などの病気としか思えない。『無茶苦茶な破壊的カルト信者』で済ませば簡単だが、それでは話がそこで終わってしまう。
最初は認知症による痴呆を疑ったのだが、病気では無いらしい。
ジキルとハイド、正気と狂気の錯綜する彼等に共通するキーワードこそ『キリスト教』であった。
『いったいこの連中、何を考えているのだろうか』とにわかに興味が沸いてきて、一度は内容がアホ臭いし腹立たしいので手放した橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』を、もう一度読みたくなってきた。
厳しい父親ではなく、出来の悪い子供を溺愛する母親の態度(悪い部分は無視して良いところだけを見る)で読み返してみると目から鱗で、全く別の不思議なキリスト教が見えてきたから、何とも愉快である。
2年前は期待して読んだから腹が立った。ところが今回まったく何も期待しないのでそれなりに面白い、キリスト教徒の数々の謎の一端が垣間見れる。

『科学の根本を否定する、狂信的な一神教信者の無茶苦茶な主張』

(2年前の時点では)キリスト教の根本教義である奇蹟は自然科学と真っ向から対立するが橋爪大三郎は、
『よく、この科学の時代に奇蹟を信じるなんて、と言う人がいますが、一神教に対する無理解もはなはだしい。科学をつくった人びとだからこそ、奇蹟を信じることができるんです。科学を信じるから奇蹟を信じる。これが、一神教的に正しい』
『奇蹟は、むしろ科学の側に属している』
『これはヴェーバーが強調していることで、このことを理解しておくべきですね。このことは、一神教文化圏の常識だし、国際常識です』
と無茶苦茶の連続で批判する言葉も無い。
科学については、
『科学と宗教が対立する、と考えることのほうがナンセンスです。科学はもともと、神の計画を明らかにしようと、自然の解明に取り組んだ結果うまれたもの。宗教の副産物です』
『しかし、よく考えてみると、自然科学というものは、やはりキリスト教の文化、とりわけプロテスタンティズムから生まれてきている』
『理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです』
『実際、いまでも高校や中学の理科で習うことの多くは、この科学革命の時期に確立したアイデアです。その中心はニュートンの物理学でしょう』
『いまはしばしば科学者が宗教批判を熱心にやりますが、科学革命の担い手は、むしろ熱心なキリスト教徒、しかもたいていプロテスタントでした』
『だから、キリスト教徒、それも特に敬虔なキリスト教徒が、優秀な自然科学者になる』
『理性を通じて、神と対話するやり方のひとつが、自然科学です』
と、無知な社会学者モドキが口から出まかせ言いたい放題。

『科学の上位に君臨し、科学と敵対したキリスト教の暗黒史』

橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』では、ガリレオ・ガリレイの地動説やダーウィンの進化論は自説に都合が悪いので一切無視するご都合主義。
欧州では日本国では考えられない不思議ですが、科学と宗教が数百年にわたって血生臭い抗争を繰り返していた。(地動説のジョルダーノ・ブルーノは1600年宗教裁判で火あぶりになっている)
最終的に科学の側が宗教に勝利して一神教のくびきから脱するのは、150年前のダーウィンの進化論論争の結果である。(バチカンがガリレオ・ガリレイの地動説を正式に認め謝罪するのは冷戦崩壊の翌年の1992年、ダーウィンの進化論は1996年で、つい最近の出来事である)
科学はアルキメデスの原理などキリスト教成立の遥か昔のギリシャ文明など歴史は古くて長い。圧迫したのはキリスト教で、これを継承保存して後世に伝えたのはイスラム教のサラセン帝国やオスマントルコである。
活版印刷や羅針盤や火薬などヨーロッパ近代化の三大発明は世界から千年から数百年遅れであり、すべて中国など先進地域の模倣であった。
キリスト教の欧州は、長らく『野蛮未開な辺境の地にとどまっていた』が科学的で正しい世界歴史なのです。
ところがルターの宗教改革によりプロテスタントとカトリックの血みどろの武力抗争が発生。このキリスト教の全般的危機の時に『世界が聖書の記述のとおりである』事実を証明しようと努力した結果、副作用として科学技術が欧州で発展する。
橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』とは、ネットウョの『日本の侵略ではなくアジア解放だった』(悪くなかった)との御粗末な歴史修正主義の別バージョン『キリスト教は科学を弾圧していない、逆に進歩させた』(悪くなかった)である。
これが二年前の感想である。
再度読み返すと、実は『ふしぎなキリスト教』は、橋爪大三郎の非科学的で論理的に矛盾する部分を完全無視して、すべての悪い部分に目を瞑り『良いとこ取り』すると、実に素晴らしい内容だった。

『日本人的には到底理解出来ない、不思議なキリスト教』

キリスト教に対する一番の不思議は、その過剰な攻撃性であろう。
アレキサンダー大王の古代から植民地化など帝国の領土拡大は不思議ではない。基本的に大日本帝国が行った様に自国に隣接する地域を次々併合するが、キリスト教のように遥か離れた地球の裏側まで征服しようとはしなかったし、アステカ帝国やインカ帝国の徹底的な破壊のように言語や文化や民族を、根本から抹殺することもなかった。
自由貿易を旗印にしたイギリスのアヘン戦争やアメリカの奴隷制やインデアン絶滅戦争は日本国の幕末の出来事なので、150年ほど前である。
インカやアステカの悲劇、インドや中国の大災難は『まさか、そこまではやらないだろう』と、キリスト教の持つ『過剰すぎる攻撃性』に気が付かなかった(油断した)ことが一因である。
幸いにも徳川幕府はアヘン戦争などキリスト教欧米列強の恐ろしさ(過剰な攻撃性)を熟知していたので、相手の無理難題をすべて飲んで攻撃を回避することに成功している。
一神教の神ヤハウェは、そもそも砂漠化がいちじるしいシナイ半島の荒ぶる火山の神で、戦争の守護神であった。
低地の農耕地や都市の周りの岩山で遊牧生活をしていた一部の戦闘的部族が『戦いの神』としてヤハウェを採用する。
日本の武士階級が戦いの神である九州国東半島の八幡神を『戦いに強い』との理由で岩清水や鶴岡八幡宮に祀り『武士の守り神』としたのと同じで、一神教のヤハウェはそもそも戦争をつかさどる残酷で血生臭い神だったのである。
それならこの神の攻撃性が異常に高いのは当然だった。何の不思議も無い。
キリスト教のGODは、基本的に人間を助ける日本の神様とは大違いで、リドリー・スコット監督描くところのSFホラー映画の傑作エイリアンの邪悪で凶暴な異星生物なのです。
橋爪大三郎は一神教の『神』の実体が、地球を破壊するパワーを持った理解不能で超越的なエイリアンであると喝破したので、他のキリスト教信者からは厳しい批判に晒されている。

『2000年間ユダヤ教を差別迫害し、1400年間イスラム教と争うふしぎなキリスト教』

日本人的な一神教に対する誤解として、ユダヤ教の神ヤハウェとキリスト教のイエス、イスラム教のアラーは別々の『神』だと思って仕舞うが、実はまったく違いが無いばかりか『一つ』の神である。
『同じ』なのである。では『何』が違うのか。
橋爪大三郎は『ふしぎなキリスト教』で基本となる教義が、三つの一神教で全く違いが無いことを強調しているのです。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、基本OSは同じだがバージョンが違うウインドーズの95とXPとビスタの関係なのですから別々の宗教と言うよりも一つの宗教の『別々の宗派』程度なのです。
それなら今のように宗派間で激しく争う理由が全く無いことになる。
特にユダヤ教とキリスト教との間には教義の違いは無く、実はまったく『同一の宗教』であった。
唯一の違いとは『イエスキリスト』がいるか、いないかだけ。
いないのがユダヤ教で、『イエスキリスト』がいるのがキリスト教なのです。
ちなみに『イエスキリスト』とは、イエスが名前でキリストが苗字ではない。イエス(ヨシュア)は当時はありふれた名前で、『キリスト』はヘブライ語の救世主(メシア)なので『メシアのイエス』(救世主の一郎)の意味である。
『ふしぎなキリスト教』では、無責任にも2000年間ユダヤ教を差別迫害し、1400年間イスラム教と争っている理由が一言も書いていない。
不親切の極みであり意識的な怠慢である。
第二次世界大戦とは宗教戦争でもありユダヤ人差別で600万人もが殺されているのである。
社会科学者が『キリスト教の不思議』に触れるなら、キリスト教のユダヤ教迫害に一言も言及し無いなど有り得るだろうか。
絶対に無い。
『手抜き』というよりも都合が悪いので、わざと無視して『隠している』のでしょう。
キリストの『有る無し』の違いだけで、ユダヤ教とキリスト教が同一宗教内で血みどろの抗争を2000年にわたって繰り返しているのです。

『なるほど。!そうだったのか』

ユダヤ教とキリスト教の摩訶不思議な関係ですが、これは同一宗教内どころか同一宗派内の宗門と信者組織とで、池田大作の『有る無し』の違いだけで30年間も見苦しい血みどろの抗争を繰り返している日蓮正宗本山(宗門)と創価学会との仁義なき抗争とそっくり同じ構造である。
どれ程奇想天外な手品でも、ネタ(原理)が分かって終えば『アホ臭い子供騙し』に、騙されていた人々が驚く。
江戸時代でもあるまいし。橋爪大三郎と大澤真幸は驚く無かれ隠れキリシタンだった。(現在の社会で耶蘇教信者では極めて珍しい。
ところが創価学会信者の場合は珍しく無く、社会的地位が高いほど自分が信者である事実を隠す)
隠れ信者2人が、自分たちが熱心な創価学会員である事実を誤魔化して、『現代を代表する社会学者』と自称して読者を騙して、『ふしぎな創価学会』を書いて、『日本人の神様と、池田大作は何が違うのか?』を説明しょうとした本だったのです。
なるほど。『ふしぎなキリスト教』の何とも不思議な反科学的な数々の間違いや非科学的な判断、キリスト教の奇妙奇天烈、辻褄が合わない教義に対する『贔屓の引き倒し』的な無批判の賛美など、到底一人前の社会科学者として有り得ない不思議の数々は、むしろ有って当然だった。

『日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教』

『池田大作より他に神はなし』
創価学会とは、数々ある日蓮宗系の弱小教団『日蓮正宗』の一信徒団体(法華講)に過ぎなかったが超巨大化し、1952年に信徒団体という特殊な形態のまま、東京都知事の例外的措置をもって宗教法人の認証を受けた経過がある。
一信者団体が教団から破門されて以後、その宗教法人としての認可が正当なものかどうか疑わしいが『池田大作より他に神はなし』と、自分の生みの親である筈の日蓮正宗教団を飽きることなく口汚く攻撃している様が見苦しい。
宗門と創価学会の異様で摩訶不思議な敵対関係であるが、宗教信者がその宗教(本山)を罵るなど、正誤に無関係に自動的に論理的自己否定になるので普通なら考えられない。
絶対に、有り得ない話である。
ところが、現実には『ありえないふしぎ』が目の前で起きている。
まさに『ふしぎなキリスト教』である
日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教であることが理解出来れば、キリスト教に疎い我々日本人でも『ふしぎなキリスト教』の数々の謎が簡単に解明できるでしょう。



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宗教の反民主性 (ネプギアソリッド(元90式))
2013-06-25 16:51:35
よく宗教右派やスピリチュアル界隈の人々は、「共産主義政権が残忍なのは宗教を否定して弾圧したから」と主張されます。


しかしキリスト教原理主義と共産主義は非常に近い物が有ると思います。(勿論、国家神道や幸福の科学でも)


指導者への異常な崇拝や、セクト主義、独善的、排他性、他人からの批判を認めない精神、等々。



反共を掲げる宗教右派は日本にもいくつか有りますが、自分たちが嫌いな全体主義と極めて近い体質のものばかり。


宗教が差別やジェノサイドを産んできた例は多いが、何故か「宗教の本質は全体主義だ」と言う人が少ないのが歯がゆいです。

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宗教は正統と異端の境界線を引きたがる (海坊主)
2013-06-25 21:23:56

エウゼビオスの『キリスト教会史』を読むと、原始キリスト教団の信者が「無神論者」として弾圧されていた初期の頃より正統と異端の線引きが始まっていたようです。

一つの価値観を共有しようとする集団において自らの勢力を正当化するために正統と異端を使い分けていると考えますと、ネプギアソリッド様がいみじくも述べられたように共産主義もそうと言えるし、ヨーロッパで不可として差別されてきたロマの集団の中に於いても同様であると言えます。

それにしてもこの世の中で最も面白いと思う出来事は、革命集団であったキリスト教団が革命を成就させてローマ教皇の座に付くと神の国の成就そっちのけで権力の座に付いて中世、近代、現代で栄華を享受していることです。イエスはこんな集団を望んでいたことはないでしょう。かれらこそ、異端でしょう。
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余りにも近く、余りにも似ているキリスト教と共産党 (宗純)
2013-06-26 11:29:30
ネプギアソリッドさん、海坊主さん、コメント有難う御座います。

一神教と言うのは我々日本人的には実に不思議な精神構造で、最悪の敵は我々部外者から見れば違いが全く分からない(違いが小さすぎる)異端者なのですよ。
同一宗教内の多数派とほんの少しだけ考え方が違う少数派が『異端者』と呼ばれるのですが、異端は最悪の罪なので、極刑で火あぶりなのですね。
ところが異教徒は、最悪は国外追放なのですから、ある意味は無罪放免に近いのですよ。
一神教では、日本人的に見て罪と罰とが到底吊り合っているとは思えない。
私などの一神教徒で無い部外者には、いくら説明されてもこの部分が到底理解出来ないのですね。
だから、これが原因して(日本人ではキリスト教が理解出来ないので)日本の一神教徒は1%の極少数の例外なのです。
ところが日本国では仏教系の創価学会(公明党)が色々な部分が一神教に近いのです。
ところが創価学会よりも、もっと近いのが宗教とは一番遠い筈の科学的社会主義を標榜する日本共産党なのですよ。まあ何とも不思議な話ですね。
一神教的世界観と共産党
2010年08月31日 | 共産党
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/1064d4ede07813b26d609495efadf05a
宗教と共産主義と科学との不思議な関係
2010年08月26日 | 共産党
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0588c75949f96fbcc1fe07e36b45d4c3
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キリスト教と攻撃性 (海坊主)
2013-07-01 23:14:00
今一度、記事を読み返してみました。

「キリスト教に対する一番の不思議は、その過剰な攻撃性であろう」

これは布教活動と経済活動が一体化したことが成した業ではないでしょうか。スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結して地球を二分割しようと目論み、時のローマ教皇がそれにお墨付きを与えたという歴史的事実があるように、植民地争奪はキリスト教の布教活動と一対であったと私は思います

異国で未開の土地、ヨーロッパ人と異なる文化・風習、外見の相違、土着宗教に対する嫌悪、これらのような差別的な見方が現地人から富を略取することを容易にしたことでしょう。ヨーロッパ人にとって最大の権威であるキリスト教がその差別を正当化したと私は見ています。当時の経済活動は軍事的な強奪であり、宗教的な権威を背景とした略取であったでしょうから。

話は変わりますが、宗教問題として片付けられている諸対立は、実は経済問題ではないかと私は考えています。宗教の衣を被って隠れているような気がするのです。
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最後に勝利を手にしたしたプロテスタント (宗純)
2013-07-02 15:29:37
海坊主さん、コメント有難うございます。

基本的に歴史は必ず勝者によって書かれているので、負けた側は、良い部分は消され悪い部分は誇張され、逆に勝者側はこの反対。180度のダブルスタンダードで後世に伝られるので、お馬鹿の『作る会』の『自虐史観で間違っている』との言い分も一部は根拠がある話なのですね。
アメリカ軍のやった都市への無差別空爆とかその究極的な悪事の集大成としてのヒロシマナガサキへの原爆攻撃などは間違いなく非人道的な悪逆非道な戦争犯罪です。
西洋史では、カトリックとプロテスタントで血を血で洗う抗争を繰り広げて、最終的にはイギリスとかオランダなどプロテスタント側が勝利する。
特に今の欧米のマスメディアの主流は英米などアングロサクソンのプロテスタント系です。
カトリックのスペインやポルトガルの悪事は記録されているが、実は桁違いに悪いプロテスタント側の悪事は出来る限り小さく描かれているのですよ。
今アメリカではメキシコに代表される中南米のカトリックの白人とインデアンとの混血のヒスパニック系が差別されているのですが、カトリックでは一応人種差別はあったが人間として扱ったので当然の出来事として混血が進んだのですよ。
対照的に北米ではプロテスタント系とインデアンの混血は進んでいない。プロテスタントですが『人間ではない』としてジェノサイドを働いたのです。
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プロテスタンティズムと資本主義 (宗純)
2013-07-02 16:04:06
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義の成立にプロテスタントの影響を指摘しているのですが、
ルネサンス期を通じてずっと長い間、フランスが欧州一の文化を誇っていた。
エリザベス一世の時代のパリは欧州一の大都会だが、当時のロンドンは田舎町ですよ。
それでは何故フランスでは無くて産業革命が最初にイギリスと起こったかのいうとルイ14世がプロテスタントの権利を保障したナントの勅令を廃止してしまったので、迫害を恐れたプロテスタントの商工業者が周辺のオランダとかイギリスに移動したことが大きいらしい。
日本では宗教と職業は一致し無いのが普通ですが、インドのカースト制のように職業と身分制度は一致していた。
欧米世界ですが、商工業者とプロテスタントのように宗教と職業が一致している場合が多くて、この場合には宗教闘争が自動的に階級闘争に変化して過激化して革命が起きる。
今の中国のウイグル族とかチベット族の深刻な暴動騒ぎですが、これも実は民族紛争や宗教紛争の装いをした階級闘争とか労使紛争らしいのです。
イスラム教のウイグル族とかチベット仏教のチベット族の民族資本家とか商工業者、商店主の比率が極端に低いので、漢族に搾取されているとして暴動を起こす。
これと対照的なのが朝鮮族で、学歴とか収入が漢族の平均よりも高いので、同じ少数民族でも民族紛争が起きていない。
ウイグル族とチベット族ですが、どちらも学歴とか収入が低いだけではなくて他民族との通婚が宗教の問題で困難で、孤立する傾向があるようですね。暴動には、宗教と文化と経済か密接に絡んでいるので根が深いのです。
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