逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

パレスチナ人の不幸のすべては神話(旧約聖書)に由来

2014年08月01日 | 政治

(400年以上前の戦国時代末期、『鳥取の飢え殺し』で知られる壮絶な兵糧攻めの鳥取城籠城戦のきつ過ぎるゆるキャラ「かつ江さん」)

『度重なるイスラエルのガザ侵攻の理不尽』

マレーシア機が撃墜された7月17日夜にイスラエル軍がガザに侵攻して5年半ぶりにハマスとの間で本格的な地上戦に突入したが、これは前回の2008年12月末から2009年1月中頃まで続いていた大規模侵攻の再来である。(それ以外にも2012年に大規模な空爆を行っている)
しかし今回のイスラエル軍の侵攻ですが、前回とは違い出口がまったく見えないのです。解決策が無いのですから前回以上に戦闘が長引くのは確実な情勢である。
(5年半前08~09年にガザに侵攻して1,166人を虐殺している。対してイスラエル側の死者は13人だった)
常に『100倍返し』を信条とするイスラエル軍ですが今回は5年半前の4倍の損害を出している。
田中龍作ジャーナルでは、
『特筆すべきは戦死したイスラエル兵士の年齢が若いことだ。IDF(イスラエル軍)や「エルサレムポスト」などによると、戦死した兵士の年齢は18~23歳が目立つ。経験が浅ければ死ぬ確率も高くなる。』
(パレスチナ側だけではなく)『イスラエル軍も消耗しているのではないだろうか。』と書いている。
ガザのパレスチナ難民は兵糧攻めで周りを完全に封鎖されて7年間も経っている。(膨大な犠牲もかえりみず停戦を拒否するハマスの要求とはパレスチナ人を苦しめている検問所の開放である)
屋根の無い監獄であるガザに完全に閉じ込められたパレスチナ人ですが閉塞感や絶望感は想像を絶する。最早人間としての我慢の限界に達しているのでしょう。

『全ての不幸(殺戮と破壊)は旧約聖書に由来している』

2000年以上前に書かれた『旧約聖書』の記述をほとんど唯一の根拠として、欧米のスラブ系白人ユダヤ教徒(アシュケナジー)によって中東のパレスチナの地に人工的に建国された宗教国家ですが、『イスラエル』と言う名の紀元前の古代国家と同名であるが、勿論数千年前のアラブ人のセム族のユダヤ人国家イスラエルとは何の関係も無い。
アラブ人で無いユダヤ人などは中国製のグッチやシャネルのブランド品と同じで、どれ程性能が良くても基本的に真っ赤な偽物である。
仏教(Buddhism)はインド人のゴータマ・シッダッタ(釈迦)を開祖とする宗教であるが、今の仏教徒(Buddhist)がインド人とイコールでは無い様に、今のイスラエルの白人ユダヤ教徒(アシュケナージ)はユダヤ人ではない。
三島由紀夫の割腹自殺の驚愕のスキャンダルで世間が騒然となる中で『ホモの情死である』『社会が騒ぐような問題では無い』と冷静に判断したアルコール依存症の専門家(精神科医)で作家の『なだいなだ』の遺作である『常識哲学』では、
アルコール依存症は英語でアルコーリズムと言いますが、イズムの語尾はクリスチャニズムでもソシアリズム(socialism)でも同じ。日本ではキリスト教とか社会主義とか訳されているが、イズムを『中毒』(あるいは依存症)という言葉で統一したら良いとの、愉快で独創的な指摘をしている。
それならキリスト教はキリスト中毒、マルクス主義はマルクス中毒となる。
なだいなだ氏は『常識とは、過去の偏見の集積である』と喝破しているが、常識的な判断を一度疑うことが大事でしょう。
オウム真理教や統一協会、創価学会などの破壊的カルト宗教ですが『中毒』とか『依存症』であると考えると眼から鱗で、破壊的カルトの意味が実に分かりやすい。
キリスト教は『キリスト中毒』であり、もちろんユダヤ教は『ユダヤ中毒』(またはユダヤ依存症)である。
この『ユダヤ教』という宗教(ユダヤ中毒)によって作られた『国家』(イスラエル)ほど、パスカルの『人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない。』という言葉の正しさを証明して見せているものはない。
現在ガザで行われている悲惨で愚かな蛮行の出発点、根本原因とは何か。?
それは、猛烈に不愉快な『一つの神』を持つ一部族の『破壊的カルト宗教』だったユダヤ教と、そのカルト宗教の教義を記した『旧約聖書』にその原因の本質があった。
ニューヨークやロンドンでイスラエル軍の大虐殺に抗議するデモが起きていたとき、何とも対照的にイスラエル国内では『パレスチナ人を殺せ』と絶叫するユダヤ人のデモが頻発していたのである。

『旧約聖書とは何か』

旧約聖書とはユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典でも有る。
キリストの事跡を書いた新約聖書はページ数にして少なく中身が薄い。パンフレット程度である新約聖書に比べて、分厚い書物であるいわゆるバイブル(聖書)とはユダヤ教の経典のことなのです。聖書の大部分はユダヤ教の旧約聖書だった。
2000年以上も骨肉の醜い争いをしているユダヤ教とキリスト教の違いとは、イエス・キリストの存在を認めるか認めないかだけ。これは信じる宗教の中身は同じだが池田大作の権力の有る無しで何十年も大喧嘩している創価学会と日蓮正宗(本山)との関係と同じである。
『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』(ヤハウェ)の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。
『偽書』
人類の歴史には出処の怪しげな文章が突然に見つかり、発見者の立場を強力に支持するような重要な情報をもたらしてくれる。
しかし、入念に、時には勇敢に調べてみると、その文章は贋作で有る事が判明する。
でっちあげをする側の動機は非常に判り易く、旧約聖書の申命記がその典型と言えるだろう。
この文章は、エルサレムの神殿に隠されていたところを、紀元前7世紀にヨシア王によって発見された事になっている。
宗教改革闘争のさなかにあったヨシア王は、自分の考えを全て支持してくれる新しい聖書の部分(申命記)を奇跡的に発見したと言うわけだ。

(旧約聖書・申命記 7章1-4)
『お前たちの神がこれらの民をお前たちに与え、それをお前たちが征服するときは、彼らを徹底的に破壊するのだ。
彼らを相手にしてはならない。憐れみも掛けてはいけない。』 

旧約聖書の『ミカ書』は『正義を行い、慈しみを愛せ』と教えている。
『出エジプト記』には、『殺してはならない』と書いて有る。
『レビ記』には、『自分自身を愛するように隣人を愛せ』と書いて有るし、『福音書』には『汝の敵を愛せ』と教えている。
このように良き教えが沢山書かれていると人々に信じられている『聖書』の教えを奉じる者達が、どれほどまでに多くの血の海を作ってきたかも聖書には書かれているのである。
『ヨシュア記』や『民数記』の後半には、カナン(パレスチナ)全域で行われた大量殺戮の事が記されている。
町という町で、男ばかりか女子供、はては家畜までが皆殺しにされるという出来事が、さも嬉しそうにすばらしい事として書かれているのだから驚きだ。基本的に無茶苦茶なのである。
エリコの町は『聖戦』の為に跡形も無く破壊された。
『ヨシュア記』には、
『息の有る者はことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった』
この大量殺人の理由はただ一つ、殺した側(ユダヤ人)のこんな言い分だけた。
『遥か昔に、神は我等の先祖に約束された。息子に割礼をほどこし、一定の儀式を執り行うならば、この土地を我等に下さると』。

(士師記 21章10-24)
そうして彼らは1万2千の兵士をヤベッシュ・ギリアッドに送り、女子供も含め、そこの住民を皆殺しにしろと命令した。
『これがお前たちがやることだ』彼らは言った。『すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ』。

(エゼキエル書9章5-7)
それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ。』
彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした。

(民数記第31章18節)
『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。
彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い。』

(ヨシュア記第6章21節)
モーゼの時代に始まった民族浄化は『ヨシュア記』において血まみれの成果をもたらす。
『ヨシュアはエリコを攻めた。崩れ落ちる城壁・・・エリコの戦いにおける古のヨシュアにかなうものなんて無い』
いにしえのヨシュアは、イスラエルの民が『男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすまで、休む事が無かった』。

聖書の物語における『神』と言う人格は、約束の地(パレスチナ)の占領に伴う大虐殺や民族殲滅について、何らかの疑念や罪の意識を感じていた形跡は全く無い。

『申命記』第20章における神の命令は、情けの欠片も無くあけすけである。
彼(神)は自分自身にとって必要な地に住んでいる人間と遠くはなれたところに住んでいる人間とを明確に区別した。
後者は平和的に降伏するように勧告しなければならない。
もし拒絶すれば、男は殺し、女は繁殖の為につれさられた。

この比較的人道的な扱いと対照的に、あまりにも不運な事に、すでに約束された生存圏(レーベンスラウム)に定住してしまっている民族に対しては、一体どんなことが用意されていたのか読んでみると、
『あなたの神、主の嗣業として与えられれる諸国の民に属する町々で息の有る者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。』

『旧約聖書は人間の尊厳に対する侮辱』

宗教があっても無くても、善いことをする善人はいるし、悪い事をする悪人もいるだろう。
しかし、善人が悪事を為すには『宗教』が必要である。
人間は、宗教的な確信を持って行っているとき以上に、完璧かつ快活に悪を為す事は無い。
旧約聖書で自らは『神』を名乗っている人格(ヤハウェイ )はユダヤ人にとっては『神』かもしれないが、ユダヤ人以外の別の民族にとっては神ではなく極悪な『魔物』か凶暴、残忍な『鬼畜』と解釈されても致し方ない性格を持ている。
もしオウム真理教が理想国家を建設し、半世紀にわたって超大国アメリカ合衆国の対外軍事援助総額の半分以上を独占して成長すれば、今日のパレスチナの悲劇は誰にでも当然予想された範囲内の事柄であろう。

『現代イスラエルの道徳観(宗教観)』

信者(内集団)だけに都合のいい神様で、人殺しを合理化する宗教は、歴史が有るか無いか、信者が多いか少ない等の違いがあっても、間違いなく(オウム真理教と同じような)破壊的カルト宗教でしょう。
旧約聖書の略奪や集団強姦や虐殺や民族絶滅を合理化するトンデモナイ鬼畜のような残虐な神は、大昔の架空の話で現在のイスラエルやイスラエル人とは全く関係ない』との意見も有るでしょうが、それでは今のイスラエル人の宗教教育(道徳教育)とはどのようなもので有るだろうか。?

『神は妄想である』宗教との決別 リチャード・ドーキンス(著)によると、
イスラエルの心理学者、ジョージ・タマリンの驚嘆すべき研究として下記の記述がある。
タマリンは、イスラエルの8歳から14歳までの生徒1000人以上に、『ヨシュア記』のエリコの戦いについての、下記の記述を紹介した。

ヨシュアは民に命じた。
『鬨(とき)の声を上げよ。主は貴方達にこの町を与えられた。町とその中に有るものは、ことごとく滅ぼし尽くして主に捧げよ。』
・・・『金、銀、鉄器、はすべて主に捧げる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。』
・・・『彼等は、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした』
・・・『彼らはその後、町とその中のすべてのものを焼き払い、金、銀、銅器。鉄器だけを主の宝物倉に納めた』

タマリンは、その後子供達に単純な道徳的な質問を行った。
『あなたは、ヨシュアとイスラエルの人々は正しい振る舞いをしたと思いますか?』
その答えは驚くべきものでA(全面的な是認)が66%の絶対多数。
B(部分的な是認)8%の少なさで、C(全面的な不同意)26%との二極分化した回答が帰ってきた。
次に示すのは全面是認(A)グループの典型的な三つの回答であるが、ヨシュアによる大虐殺を正当化するために挙げた理由は、何れも皆宗教的なものであった。

(1)
『私の意見では、イスラエルの人々は正しく振る舞いました。
理由はこうです。神は彼らにこの土地を約束し、征服する許可を与えました。もし彼等がこういうやり方で振舞わず、誰も殺さなかったとしたら、イスラエルの人々は異教徒に同化してしまう危険があったでしょう。』
(2)
『私の意見では、これをしたときヨシュアは正しかったと思います。
なぜかというと、イスラエルの民が同化して、そこにいた人々の悪い生き方を覚えることが出来ないようにするために、神が彼らを根絶やしにするようヨシュアに命じたからです。』
(3)
『この土地に住んでいた人々は異なった宗教を持っていて、ヨシュアが彼らを殺したとき、この宗教を地上から抹殺したのだから、ヨシュアは正しい事をしました。』

では全面的不同意(C)グループはマトモな判断をしていたのだろうか。?
次にその中から典型的な意見を紹介しよう。
いくつかの場合には、屈折した宗教的な理由から同意しなかったのである。

(1)
ヨシュアがエリコを征服するためには彼は町に入らなければなりません。
『私は間違っていると思います。だって、アラブ人は不浄で、もし誰かが不浄な土地に入れば自分も不浄になって、アラブ人にたたりを一緒に引き受けることになるからです。』
(2)
ヨシュアが動物や財産を含めてすべてを破壊してしまい、イスラエル人のためにその戦利品として残さなかった。
『私はヨシュアは正しく振舞わなかったと思います。動物は殺さないでとっておけば、後で自分たちの役に立てられたはずです。』
(3)
『私は、ヨシュアは正しく振舞わなかったと思います。彼にはエリコの財産を残すことが出来たはずだからです。もし彼が財産を破壊しなければ、イスラエル人のものになっていたでしょう。』

タマリンは面白い対照群として『ヨシュア記』を、内容を変えず名称だけ変えた同時代の中国に置き換えた『リン将軍の征服の物語』として、別のイスラエルの子供達に答えてもらった。
すると結果は正反対となり(A)全面是認はわずか7%で、75%の絶対多数が(C)の全面的な不同意と答えている。
大虐殺を非難する子供たちと、大虐殺を容認する子供達の間の、決定的な違いを作っていたものはユダヤ教と言う名の一神教『カルト宗教』であった。
『汝の敵を愛せよ』と言う、これ等宗教的な、内集団で通用する『道徳意識』は、外集団に対する『敵意』と表裏一体のものだったのです。

『イスラエル軍(IDF)の目的とは』

世界で一番攻撃的で危険なIDF(イスラエル軍)ですが日本と名称が同じで自衛隊(Defense Forces)を名乗っている。
対してパレスチナのハマスの方は『イスラム原理主義組織の』との枕詞が必ずマスコミ報道では付けられるが、ハマスは選挙で選ばれたパレスチナの正当な代表である。
ハマスに必ず『イスラム原理主義組織』とつけるなら、当然イスラエルにも枕詞として『ユダヤ教原理主義組織』と付けてバランスをとるべきである。
基本的に欧米のマスコミ報道は大きく偏向している極端なダブルスタンダード。ハマスはイスラム原理主義の穏健派であるが、対するイスラエルのネタニエフ政権はユダヤ原理主義の過激派である。
そもそも今回の大虐殺の始まりは、何ものかによるイスラエル少年3人の誘拐殺害が発端だった。
3少年殺害を『ハマスの犯行だ』と断定したイスラエルは600人以上(1000人近く)を逮捕して家屋や施設を徹底的に破壊。ユダヤ教のラビなど6人がパレスチナ少年を車で拉致、生きたまま焼殺するなどイスラエルの蛮行にパレスチナの怒りが高まっていた。
ガザ地区ですが7年前から完全封鎖で、イスラエルが徹底的に締め上げていたが5年前にも地上侵攻して1166人を虐殺している。
『イスラエル少年3人の誘拐殺害』ですが、これは明らかにわざと大騒動を引き起こすことが目的だったと考えられる。
イスラエル3少年はヒッチハイク中に誘拐され銃殺されているので殺害犯は車と銃を持っている。
殺し方から見れば車の所有率が低く銃を持たないパレスチナ人ではなく、常に銃器を持ち歩く西岸のユダヤ人違法入植者の可能性の方がはるかに高い。
政治的な動機で考えれば、ハマスの犯行の可能性よりもIDF(イスラエル軍)を無理やり騒動に巻き込む目的で、ユダヤ原理主義過激派の犯行の可能性の方がはるかに高いのである。
ユダヤ原理主義の主張とは旧約聖書に書いてあるカナン(パレスチナ)に住むユダヤ人以外の他民族絶滅(全住民のジェノサイド)なのですから恐ろしい。
しかし、幾ら何でもIDF(イスラエル軍)としては数千人の虐殺は出来ても180万人ものガザ市民全員の虐殺は出来ない。
21世紀の現在では、数千年前の旧約聖書の記述の現実化は無理なのである。
半世紀前のイスラエルの建国では旧約聖書の通りにイスラエル軍がパレスチナ人を女子供まで無差別に虐殺したが、中東ではこのような場合、『とりあえず逃げる』のが最善、最良の選択肢なのです。今のガザ市民のほとんどはイスラエル建国の虐殺による戦争難民なのです。
戦争が終われば当然パレスチナ難民には帰還権があり、元々のイスラエル国内に帰る権利がある。しかしパレスチナ人が元々の土地に帰ればイスラエル自体が消滅する。
イスラエルとしては仕方なく今のように延々と戦争(虐殺)を続ける以外には道が無い。
『旧約聖書の記述がすべて正しい』と信じる限り、ガザ侵攻のイスラエル軍の蛮行は必然だったのである。

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3 コメント

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日本必勝原理主義 (ネプギアソリッド)
2014-07-30 23:26:12
例えば北方領土の問題。
1951年サンフランシスコ条約により、日本は南樺太・千島列島の領有権を放棄しました。
しかし、日本人の99%が日本固有の領土だと「前提」の上で考える。
歴史認識や領土問題で、なぜか「日本は悪くない」
「相手側に問題がある」との前提でしか議論や思考がされない。
(違う意見をいう人は極左や朝鮮人に自動的に成る。)

これは政治や議論じゃなくて「宗教原理主義」だと思います。
フリーチベットを叫ぶ人が大和民族はアイヌや琉球を民族浄化してない、それを言う人は中国の手先だと断言してくる。
神話をリン将軍の話に置き換えたら否定されたのと同じで、「日本だから正しい」という発想が蔓延している。
共産主義で反党が無条件に悪なのと同じで、
大日本を批判したら理屈抜きに反日であり悪である。原発再稼働といい、今の日本国は宗教国家ですね。
返信する
「中毒」あるいは「依存症」 としての日本原理主義 (宗純)
2014-07-31 15:06:20
ネプギアソリッドさん、コメント有難う御座います。

『志村建世のブログ』2014年07月28日『なだいなだ遺作「常識哲学」を読む(1)』では、
『アルコール依存症は英語でアルコーリズムと言いますが、イズムの語尾はクリスチャニズムでもソシアリズムでも同じというのも面白い話題でした。日本ではキリスト教とか社会主義とか訳されているが、中毒という言葉で統一したらよかろうと学生たちに話したというのです。
キリスト教はキリスト中毒、マルクス主義はマルクス中毒となるし、「依存症」としてもいい。そう考えたら常識的な判断に役立つかもしれません。』
アルコール依存症の専門家(精神科医)で作家の『なだいなだ』ですが、有名作家の三島由紀夫の割腹自殺の驚愕のスキャンダルで世間が騒然となる中で唯一、、『これは不愉快なホモの情死である』、『社会が騒ぐような問題では無い』と冷静に判断したので、其れ以来のなだいなだ氏のファンなのですね。
なだいなだ氏は『常識とは、過去の偏見の集積である』
との愉快で独創的な指摘をしている。
本当に真理が知りたいなら、無条件で信じるのでは無くて、疑いなきもの(アプリオリ)こそ、一度疑う必要があるのです。
今の日本の右傾化による日本原理主義の蔓延ですが、これをなだいなだ氏の言葉を借りて、『日本中毒』であるとか『日本依存症』だと思えば、『なるほど』と納得です。
返信する
ドーキンスの勘違い (宗純)
2014-08-01 14:03:34
『神話をリン将軍の話に置き換えたら否定された』の部分ですが、
イスラエルの教育を受けた子供達ですが、大虐殺とか略奪などの極悪非道なことでも、
イスラエルが正しいのと答えがA(全面的な是認)が66%
B(部分的な是認)8%で合計では74%。の絶対多数。
C(全面的な不同意)26%なので4人に1人程度の少数派。
B(部分的な是認)8%ですが、本来ならこれはAとCの中間派の筈ですが、実はAよりももっと過激でイスラエルの略奪を合理化しているのですから無茶苦茶。
これを中国など別のことであっても、
(A)全面是認が7%で、Bの部分是認(全部破壊せず略奪品として大事しろ)を含めれば25%、4人に1人の子供達が、無条件で大虐殺とか略奪を肯定しているのですから恐ろしい。
ドーキンスは、
「大虐殺を非難する子供たちと、大虐殺を容認する子供達の間の、決定的な違いを作っていたものはユダヤ教と言う名の一神教『カルト宗教』であった。」
ですが、これは
(C)の全面的な不同意と答えてい75%、4人に3人には当て嵌まるが、
残りの25%の子供には当て嵌まらない。
今のイスラエルですが、大昔の日本の軍国少年以上の恐ろしい非人間的な教育を行っているのです。
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