逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

自然崩壊する日本の原理原則

2018年09月17日 | 政治
渡邉英徳‏ @hwtnv

73年前の今日。1945年9月17日,三菱重工業長崎長崎造船所にて,製造中のまま放置された特殊潜航艇(日本軍の人間魚雷)「蛟龍」。カラーフィルムで撮影されたもの。

菅野完事務所‏ @officeSugano 15:27 - 2018年9月16日

いろんな原理原則がどんどん溶けていくね。

2018年9月14日午前に日本記者クラブ主催の自民党総裁選討論会が開かれ石破茂元幹事長に対して安倍晋三首相が反論するが、・・・

東京都千代田区の日本記者クラブで=
無意識なのか、何気なくカミングアウトしていた安倍晋三。(2017年2月に、はっきりと『自分や妻が関係していたら首相どころか議員も辞める』と言い切った過去の国会答弁での、自信満々の断言を完全に忘れているらしい)

安倍晋三「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない。ご家族の方がそういう発言をされたのは承知している」

安倍晋三『拉致問題を解決する、と言ったのは私ではありません』 ←ええーっっ!?

田中康夫‏ @loveyassy
拉致問題解決できるのは安倍晋三政権だけと一貫して言われていた😜
家族の方も相当高齢😭見通しはあるか💥
Ⓒ鮨トモ橋本五郎🍣特別編集委員

なのにデマカセ御飯答弁を1行も報じない各紙🚀
@asahi @mainichi @tokyo_shimbun @Yomiuri_Online
現場の「意識高い系」ヘタレ若手記者こそ忖度野郎だと判明❣
7:09 - 2018年9月16日


安倍晋三『私がトリクルダウンなんて言ったことは有りません』ええっー!?


菅野完事務所さんがリツイート
Hironobu SUZUKI‏ @HironobuSUZUKI · 2015年2月2日
トリクルダウン、トリクルダウン、トリクルダウン、トリクルダウン

甘利内閣府特命担当大臣記者会見要旨(今後の経済財政動向等についての点検会合について)
日時:平成26年11月14日(金曜日)20時00分~20時20分

骨折り損のくたびれもうけ『一周まわって元の位置』のムネオ騒動


2018年9月12日ウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」のウラジーミル・プーチン大統領(中央)、中国の習近平国家主席(右)、安倍晋三首相

何回も出ては消える(以外にしぶとい)『歯舞色丹二島返還の平和条約と水面下で連動していた北朝鮮問題』

日頃マスコミに出ることが少ない外務省を舞台にして、2001年就任の小泉純一郎首相の生みの親(最大の功労者)である田中真紀子外務大臣のスカートを踏んだ外務次官とか疑惑のデパートのムネオ騒動とか平成のラスプーチン佐藤優とか種々雑多な前代未聞のスキャンダルが2002年1月ごろから百花繚乱、
小泉政権初期に意味不明の大騒動が起きているが、実はこれも今回と同じ種類の歯舞色丹の二島返還交渉の隠蔽工作だったらしいのである。
1956年鳩山一郎首相当時と同じで、平和条約締結で(森総理らが鈴木宗雄を密使として水面下で交渉して)合意したが、矢張り寸前で横槍が入って頓挫している。
この半世紀ぶり2回目の二島返還での平和条約の締結寸前での再度の白紙撤回の不祥事の猫だまし(隠蔽工作の煙幕)が世間をアッと言わせた突然の小泉純一郎首相による北朝鮮のピョンヤン訪問(2002年9月17日の日朝共同宣言)と日本人拉致問題の発表だったらしい。
その後この二島返還の挫折の話は思わぬ展開を見せる。マスコミを総動員した挙国一致の北朝鮮バッシングが日本列島に吹き荒れた結果、国民世論は病的に右傾化してしまい、『戦後レジームからの脱却』をスローガンに極右国粋主義の安倍晋三が圧倒的な国民の支持で成立するのですから怖ろしい。



2年前の読売新聞 『北方領土、2島返還が最低限…対露交渉で条件』(2016年9月23日 金) 

政府は、ロシアとの北方領土問題の交渉で、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを最低条件とする方針を固めた。平和条約締結の際、択捉、国後両島を含めた「4島の帰属」問題の解決を前提としない方向で検討している。
安倍首相は11月にペルー、12月には地元・山口県でロシアのプーチン大統領と会談する。こうした方針でトップ交渉に臨み、領土問題を含む平和条約締結に道筋をつけたい考えだ。複数の政府関係者が明らかにした。択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持する。その上で、平和条約締結後の継続協議とし、自由訪問や共同経済活動などを行いながら、最終的な返還につなげる案などが浮上している。(今2年ぶりに読み返してみると丸々今回のプーチン提案と同じ内容だった)

『1956年の鳩山一郎も入れると通算4回目』今度こそ二島返還の平和条約がとうとう成功するのか、
★注。
2年前の読売新聞の記事と、今回ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムで『いま思いついた』との唐突なプーチン大統領の日露平和条約の提案ですが、丸々同じ内容だったのである。多分、ムネオ騒動で表に出ることが無かった2001年の小泉首相時代の日露平和条約ともヤッパリ同じ内容だった。それなら今回は『3度目の正直』でとうとう現実化しそうである。


(おまけ)
『プーチンの北方領土棚上げと安倍首相の屈服に、領土問題が大好物の極右論客・安倍応援団はどう反応したのか?』2018.09.16.リテラ

「年内に平和条約を締結しよう。一切の前提条件を付けずに」 9月12日、ロシア・ウラジオストクでの東方経済フォーラムで、プーチン大統領が言い放った一言は「安倍外交」を粉々に打ち砕いた。
日本政府の立場は“北方領土問題の解決なくして平和条約なし”が、北方領土問題を棚上げしての平和条約締結を告げられたのである。
安倍首相の「残念ながらいままで領土問題が解決せず、平和条約を締結できなかった。いままでのアプローチを変えていくべきだ」とのスピーチを受ける形で、「シンゾウはアプローチを変えようと言ったが、いま、この案を思いついた」とプーチンが返したのである。
普通に考えれば、とんだ赤っ恥だ。
聞いていた安倍首相は不思議な笑みを浮かべた。
プーチンに1本取られた安倍首相は北方領土返還を求めているであろう支持層から「大失敗」の烙印を押されるのが当然だろう。
苦笑するしかない、安倍応援団の極右論客たちの反応
これまで「北方領土を返還しろ!」「戦争してでも取り返す!」などとがなりたててきた御用文化人や子飼い政治家の面々が、このプーチン発言以降、水を打ったように静まり返っている。
安倍首相の外交手腕を褒めちぎる自称ジャーナリストの有本香は、〈北方領土、竹島は、戦争してでも取り戻す。その気なくして何にも始まらない、ってことはわかり切っているはず〉。「国民全員が『あの島を取り返すんだ』という意識を持たなければいけない。返ってこなくて当たり前だと思った瞬間、北方領土だけでなく尖閣諸島もとられる」などと述べているがプーチンの「前提なしの平和条約締結」以降、日露関係について一切の言及なし。
百田尚樹、竹田恒泰、和田政宗も勇ましい発言から一転して沈黙
まるで“日露首脳会談やプーチン発言などなかった”かのような反応は有本だけではない。ほかの安倍応援団文化人も、揃いも揃って同じだ。
百田尚樹は〈内地からわざわざ沖縄に行き、米軍基地に侵入して、「米軍出ていけ!」という活動家にお願いしたい。北方領土か竹島に行って、「ロシア出ていけ!」「韓国、出ていけ!」と叫んでもらえないだろうか〉と意味不明なツイートをしていたが日露首脳会談後は北方領土を完全スルー。
竹田恒泰は〈日本政府はもっと厳しい態度で臨むことはできないのだろうか。ロシアのやっていることは、他人の土地建物に無断で侵入占有して、自分のものにしてしまう「強盗」と何ら変わりない〉だったが、「日本人って正直者だからありえないことをボンと言ってみて様子をみるとかしないんですよね」などと苦し紛れのコメントをするだけ。
自民党広報副本部長の和田政宗参院議員も〈憲法9条を改正し、不法占拠をされている竹島、北方領土についてはいつでも取り返せる体制を作るべきです。その上で、平和的な解決を交渉によって目指すべきです〉が、〈安倍晋三総裁に同行しています〉〈控室でもリラックスされていました〉と安倍首相の写真をアップしている。領土問題そっちのけで、安倍晋三総裁選対広報としてガンバっている。 
まさかここまでわかりやすく馬脚を露わすとは……。
官邸、去年の竹島海洋調査について韓国に抗議
いかにも「保守派」らしく「北方領土を返せ!」と勇ましく吠えてきたアチラの人たちは、親分の安倍首相がプーチンから一本取られたのを目の当たりにしても、絶対に安倍首相の無能さを批判したりはしない。
結局、北方四島の問題へ取り組む姿勢などポーズに過ぎず、安倍首相をお守りすることが何より大事なのだ。
もはや“エセ右翼”どころか“アベ教の信者”だが、しかし、そんな倒錯した安倍首相の周辺でもっとも噴飯ものなのは、やはり、官邸を置いてないだろう。菅義偉官房長官はプーチン発言について「平和条約を締結して日露関係の発展を加速したいとの強い気持ちの表れ」と肯定する。
さらに、14日「昨年11月28日、調査の実施を把握し、外務省北東アジア課長から在日韓国大使館の参事官に抗議した」などと言い出した。
去年の話をわざわざ今頃持ち出したのは、あきらかに北方領土問題での“大失態”を隠すためのカウンター情報。あまりにトホホではないか。
いずれにしても「地球儀を俯瞰する外交」「価値観外交」の安倍首相の無能さを満天下に知らしめただけでなく、その取り巻きである応援団の軽薄さと御都合主義をも暴露させた。これが「保守派」を自認する安倍界隈の本質である。
(抜粋)
9月16日 リテラ編集部

『アメリカの顔色一つ(今年11月の米議会選挙「中間選挙」の推移)で決まる、今後の日本の外交方針』

左翼ネットメディア(リテラ)が指摘する注目点。極右国粋主義の安倍お友達言論人の全員が、今回みんな仲良く沈黙する不思議ですが、敗戦後の今迄の日本政府の戦後処理(平和条約の交渉過程)を歴史的に考察すると少しも不思議ではない。全ては繫がっていたのである。
日本の保守本流に極めて近い河野一郎首相の1956年の日ソ共同宣言と、その続き(完全版)だったらしい森 喜朗首相(鈴木宗雄や佐藤優)の対ロシア秘密交渉が、極端な対米従属を特徴とする新自由主義の小泉純一郎の誕生で挫折すると、その反動として今度は右翼国粋主義と北朝鮮バッシングに走る日本。(閣僚経験が何も無い安倍晋三が小泉後継の総理大臣になれた原因とは日本人拉致問題だったことは明らかである)
1972年のニクソン大統領の電撃訪中があったから、その結果として日本と中国の国交が回復したようにロシアとの平和条約締結も北朝鮮問題の解決もアメリカこそが主役だった。
すべては今後のアメリカのトランプ大統領の動きが握っているので、今年11月の米議会選挙(中間選挙)の推移『勝敗』次第では大きく前進するか、今までのように挫折するかが決まる、まさに天下分け目の『天王山』、運命の分かれ道なのである。
(★注、
日本のマスコミではトランプ政権がロシア疑惑とか弾劾騒動で苦戦している風に報じているが、実は上院の改選議席は6年前のオバマブームに便乗して民主党が大勝して共和党の3倍も持っているので今回は5割当選でも大敗になる。最初から中間選挙の結果は、『トランプ政権の勝利』で決まっていた。だから安倍お友達が今回は全員沈黙しているのである)

孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 2018年9月17日
構図はこうです、①サンフランシスコ条約で日本は千島つまり、南千島の国後択捉を放棄、②米国:放棄されたものの帰属に日本の発言力はない、③ルーズベルトがソ連の参戦を要請、千島の獲得を認める、トルーマンも追認、つまり連合国側は千島をソ連領にすることを承認

孫崎享のつぶやき 2018-09-18

北方領土問題で押さえるべき歴史的背景、ヤルタ会議、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約(日本国は、千島列島の権利、権原及び請求権を放棄する 首席代表吉田茂は演説し、国後・択捉は南千島と定義)日ソ共同宣言、ダレスの恫喝等
1;ヤルタ会議
1.
米国は日本本土を攻撃する時期に来たが、日本を滅ぼすにしても、自軍の戦死者を最小にしたい、関東軍が日本本土に帰ることになると、戦死者の出る可能性は高まるので、ソ連軍が関東軍を攻める展開にしたい。それでルーズベルト大統領はスターリンに参戦を要請すると同時に、千島列島をソ連が取るのを承認する旨述べる。
2.
戦争中ルーズベルト大統領が死亡し、トルーマンが後を継ぎますが、トルーマンは1945年8月書簡でソ連が千島をとるのを承認する。
2:(1)「ポツダム宣言で「日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする」とし、日本はこれを受諾する。
1.
連合軍最高司令部訓令第677で1000以上の島を日本の管轄とするが、千島を除外する。
3:サンフランシスコ講和条約
「日本国は、千島列島の権利、権原及び請求権を放棄する」。

『日露平和条約締結は日本の決断次第──そろそろ2島返還で決着の時だ』ニューズウィーク日本版‏@Newsweek_JAPAN · 3時間前

<プーチン発言は間違っていない。日本政府はサンフランシスコ講和条約で国後・択捉を一度は放棄している>
プーチン露大統領が12日、ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムで「年内の平和条約締結を」と発言したが、時事通信の記事によると、「プーチン氏が平和条約締結の期限を提案したのは初めて」(2018年9月12日付)。
「プーチン氏は平和条約締結後に北方領土の色丹島と歯舞群島の引き渡しをうたった1956年の日ソ共同宣言に言及した上で、「日本が履行を拒否した」と述べ、その結果、戦後70年にわたって交渉が続いていると主張」。
実際には一理も二理も、プーチン発言は正しい。
千島全島を放棄した日本
1945年8月9日、日ソ中立条約のソ連が満州、朝鮮北部、南樺太、千島への侵攻を開始した、ヤルタ協定(1945年2月)によって、「ドイツ降伏後数か月以内に、ソビエトは日本に宣戦布告。見返りとしてソ連は、日露戦争で失った土地―南樺太、千島を獲得すると連合国が合意したからだ。日本が降伏する以前に、千島・樺太の運命は日本の知らないところで決定されていた。
GHQによる7年間の占領期間を経て、「サンフランシスコ講和条約(1952年)」が締結され、日本は独立を取り戻した。問題になるのはこの条約内のこの文章。
(第二条c)日本国は、千島列島並びに(中略)樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
はっきりと書いているように、日本は主権回復(独立)と引き換えに、南樺太は当然のこと千島列島も放棄している。
国後、択捉をいったん放棄した日本
サンフランシスコ講和条約で放棄した「千島列島」とは、当然、国後島・択捉島を含む占守島までの全千島である。事実、1951年9月7日、吉田茂首相はサンフランシスコ講和条約で「放棄した千島列島には、北千島と南千島(国後島・択捉島)が含まれる」と明言した。
1956年の日ソ平和条約交渉の日本側の重光葵全権大使(鳩山一郎内閣の外相)は、、国後・択捉の両島を諦めて平和条約を併結する方針だったのである。
ところが急変し、国後・択捉・歯舞群島・色丹の「四島一括」の強硬路線に転換した。冷戦下にあって日ソ和解を嫌うアメリカの横やり、つまり有名な「ダレス恫喝」(沖縄を返さない)が強く影響したのだ。
態度を急変させた日本
結局、『日ソ共同宣言』がなされ日ソの国交は回復したが、平和条約の締結ができないまま、この異常な状態が70年以上続いたまま現在に至る。
政府は「ダレス恫喝」の前までは、国後・択捉の放棄を承認し、2島返還で決着(重光)という方向に動いていたが、その方針を1956年2月以降、強硬路線に転換したのは日本自身だったからである。
政府は「千島列島そのもの」の定義を1956年以降、無理矢理変更したのである。
わが国固有の北方領土という作られた物語
佐藤優は、
本書を読めば、現在、日本政府が不動の真実のごとく国民に提示している歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島返還という立場が、実は五五~五六年の日ソ国交回復交渉の過程で作られた物語であることがよくわかる
(前略)サンフランシスコ平和条約で日本は、国後島と択捉島を放棄していないという新しい物語なのである。政府が作った物語が、国民に定着する場合もあれば、そうでないこともある。歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島が、わが国固有の北方領土であるという物語を日本国民は信じ、五六年が経過した。そして、この物語は、当初から日本政府が四島返還を要求していたという神話に転化した。(中略)私も日本は今後もロシアに対して、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の返還を要求するのは、当然のことと考える。ただし、日本政府が1951年に国後島と択捉島を放棄したことがあるという歴史的事実を神話によって覆すことはできない。
結局、2島返還しか道はない
以上を総合すれば、日露平和条約の締結は、1956年の日ソ共同宣言で同意した「平和条約締結後の2島返還」での―日露の国境線を最終的且つ不可逆に解決すること―を日本側が飲むかどうかの決断に懸かっている。
(抜粋)




コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日韓条約と同じプーチンの平... | トップ | テスラの刑事捜査前日だった... »

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そんなに公約してまセン!と改竄して済ます政府 (ローレライ)
2018-09-17 11:28:12
そんな公約してませんと改竄して済ます政府は外交では通用しない。
返信する
Unknown ()
2018-09-17 20:36:55
安倍では外交にならない
信用が立たないものには政治はできない
返信する
怖い恐ろしい (フクロウ)
2018-09-18 03:18:26
八王子堀之内震源地、怖い
返信する

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事