(75年前の今日)1945年9月2日,戦艦ミズーリの艦上で,日本の降伏文書に署名するコンラッド・ヘルフリッヒ提督。隣にはマッカーサー元帥が立っている。カラーフィルムで撮影された写真。
日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民 – 2020/7/18富田武 (著)
「日ソ戦争」はソ連軍170万、日本軍100万が短期間であれ戦い、日本側の死者は将兵約8万、民間人約25万、捕虜約60万を数えた、明らかな戦争であった。
本書は、現在まで「触れたくない敗戦史」ゆえに放置されてきた日ソ戦争(1945. 8. 9-9. 2)の全体像を初めて描くものである。旧ソ連の公文書と日本側資料、日本人兵士の回想の三つの視点から戦闘現場の詳細を追った「第二部 日ソ八月戦争」を軸に、軍事的側面を中心に、これまで断片的にしかわかっていなかった戦争の真実を著者は明らかにしていく。
ソ連側の戦略はいかなるものであったか。それに対する日本と関東軍の実態は? 日本軍とソ連軍の兵士はどのような思いで戦闘にあたっていたのか。満蒙開拓団はじめ居留民がこの戦争に巻き込まれていった実態は? さらに、ヤルタ会談前後から広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦まで、また日本敗戦後の日本軍捕虜などの取り扱いやシベリア抑留、東京裁判、731部隊の処置に至るまで、米ソの動向と思惑も併せて、現在に連なる諸相を、本書は考察していく。参謀の戦史に代わって兵士の戦史にアクセントを置き、日本敗戦後75年目にはじめて明らかになる真実を、ここに記す。
今週の本棚 沼野充義・評 日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民=富田武・著 毎日新聞
徹底解明「終戦」でなかった8・15
◆『日ソ戦争 1945年8月 棄(す)てられた兵士と居留民』(みすず書房・4180円)
第二次世界大戦はどのように終結したのだろうか? 一九四五年五月、ドイツが無条件降伏し、七月末には連合国首脳がポツダム宣言を発表、なおも戦い続ける日本に対して降伏を迫った。ところが日本政府はこれをすぐには受け入れず、「黙殺」すると発表した。国際的にはそれが「無視」「拒否」と受け止められ、アメリカは八月六日と九日、広島と長崎に原爆を落とし、これが決定的な打撃となって、日本は八月一五日、天皇の玉音放送によって降伏の受諾を公表した。つまり、日本の戦争は八月一五日に終わったことになる。それでは本書が表題に掲げる「日ソ戦争」とは一体何なのか?
この本の主題は、戦争の本当の終結のために、アメリカによる原爆投下と同様に決定的な役割を果たしたのが、ソ連による対日参戦だったという歴史的事実である。八月九日、ソ連は日本との中立条約を破って対日参戦を通告、満州への侵攻を開始して関東軍を圧倒したのだが、それでも関東軍が正式に降伏したのは八月一九日であり、さらにソ連軍による樺太・クリル(千島)の侵攻・占領作戦は九月初旬まで続いた。
(有料記事なので以下省略)
敗戦を75年間も認めたくない日本 2020年08月15日 | 政治・外交と天皇制
シベリア抑留研究の第一人者である富田武・成蹊大学名誉教授の「日ソ戦争 1945年8・15」は2週間前の、戦後75年・表現者たちの夏「ソ連にも敗れた日本」(毎日新聞8月12日水曜日)でも取り上げられている。
ソ連対日参戦で「即座に日本が降伏する」と知っていたアメリカ
たぶん、この毎日新聞「ソ連にも負けた日本」が今までの日本のタブー中のタブーを恐れず、初めての第二次世界大戦の終戦(日本の降伏)を真面目に本気で取り上げたマスメディアであると思われる。(★注、その意味では歴史的な大事件である)
アメリカのルーズベルト大統領はソ連軍参戦こそが「日本降伏」の決め手だと知っていたので、ドイツ敗北(5月9日)から3カ月目のソ連赤軍の対日参戦は早い段階から計画されていたのである。(★注、玉音放送の1945年時点では本土決戦を予定した日本軍は兵力の半分を温存していたのである。アメリカのトルーマン大統領が言うように日本全土が地上戦になれば米兵の損害は100万人。沖縄戦のような事態なら日本人の損害は1000万から2000万人)
「目前の最大の危機」今では歴史上の出来事だが75年前は全く違っていた
日本の国体(天皇制)にとって1918年のロシア帝国の最後の皇帝ニコライ二世など300年続いたロマノフ王朝全員の処刑は目の前に迫った最大の危機だったのである。恐ろしいソ連赤軍だけには降伏したくないので必死で抵抗した。ところが、1日どころか一分一秒でも早くアメリカ軍に降伏したかったのである。(★注、8月9日未明のソ連軍参戦を聞いた日本は即座に御前会議を開催してポツダム宣言を受諾「無条件降伏」を決定、10日早朝には連合国に連絡している)
「敗戦日本の最大のタブー」一回目は清水の舞台から飛び降りる勇気が必要だがコロンブスの卵で二回目は簡単
毎日新聞「今週の本棚」8月29日(土曜)徹底解明「終戦」では無かった8・15では、2週間前の8月12日、戦後75年・表現者たちの夏「ソ連にも敗れた日本」記事に初めて登場した、今までの「日本軍降伏はアメリカ軍の原爆投下による8月15日」の俗論を排して、「ソ連軍の対日参戦が日本に降伏を決断させた」事実を取り上げていた。
北では日本軍100万Vsソ連軍170万が死闘を繰り広げ、南では日米両軍が仲良く降伏を準備していたグロテスク過ぎる1945年8月
降伏を呼びかけるためにソ連軍から派遣された軍使(日本人捕虜)は日本軍将校に斬殺されたが、そのことは日本側の公式記録からは削除された。(毎日新聞8月29日付け「今週の本棚」から)
日米合作だった「日本降伏」 2018年09月21日 | 社会・歴史
1945年8月19日,沖縄・伊江島を経由し,正式降伏受理の打ち合わせのため,マニラに向かう日本の使節団。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。
(沖縄県伊江島で日本軍の白色緑十字の一式陸攻から降りてアメリカ軍の用意していたダグラスDC-4に乗り換えるところ)
伊江島に着陸する日本軍の白色緑十字の一式陸攻を護衛するアメリカ軍機(B-25 Betty’s Dream)の一連の画像はアメリカ軍によってカラーフィルムで撮影されていた
まさに、「今回も冗長」で、半分ぐらいに短くまとめると随分読みやすくなりますよ。
延々と、牛のよだれのような前スレなるコメントは、
一応読ましてもらいましたが、まさに難行苦行の類。あれではダメです。
それに比べればですが、このコメントは随分すっきりしていて読みやすい。
新進気鋭の政治学者白井総ですが、客観的な事実や理論を優先する典型的なインテリ(カシコ)の代表なので、永続敗戦論は実に良くできている。共産党委員長志位和夫の歴史判断の100倍以上素晴らしい。
ただし、白井聡のようなカシコの言うことが全部正しくて、その逆の、頭が空っぽで目が節穴の低能ネトウヨの主張が全部間違いだと、原理原則は何処にも無い。
それどころか、口から出まかせ真っ赤な嘘に見えるあのネトウヨのアイドル百田尚樹とか小林よりのりですが、彼らの主張の大部分は「正しい」真実の断片なのですよ。
嘘ではなくて事実だから大勢の信者が生まれたし、その意味では百田も小林も結構賢い。
真実の欠片を真実全体だと誤解させて、結論を180度ひっくり返す姑息で汚い手口ですね。真実だから大勢が騙されるのです。この「本物の真実ではないが、嘘でもない」部分を左翼は見落としている。
前スレなる長文ですが、イデオロギーを優先して歴史を修正する百田尚樹の左翼版。それは客観的な歴史事実とは違い過ぎる。
先ずアメリカに対する認識が???今の米軍が世界最強、空軍と海軍で飛びぬけた破壊力を持っている唯一の覇権国家であることは事実だが、陸軍兵力が致命的に劣っていることは朝鮮戦争やベトナム戦争を見れば明らか。
マッカーサーは日本占領の4個師団7万人の全アメリカ軍を朝鮮戦争に送ったが金日成の朝鮮軍に呆気なく蹴散らされて敗走しています。戦局が転換するのはソ連が欠席する安保理で国連軍の錦の御旗を手に入れて戦争を国際化したから。
そもそもアメリカはアフガンやイランとの戦争のような空海軍の優勢を利用して短期間で破壊や殺戮することは得意だが、陸軍力が圧倒的に弱いので、長期間占領を続けるのは不可能なのです。
アメリカの場合、圧倒的な軍事や経済、政治権力に目が向きがちだが、実はアメリカの力の源泉とはジャズやロック、ハリウッド映画やミッキーマウスなどの文化全般を含む圧倒的な情報宣伝などマスコミのソフトパワーと並外れた諜報能力。これで白を黒に、黒を白に変えて世界を支配してきたのです。
そもそもアメリカを超大国にしたWW1でもWW2でも同じで、アメリカは後出しジャンケンですよ。漁夫の利を得ただけ。国家存亡の本物の戦争をアメリカは一度もしていない。
WW1はイギリスフランスとドイツとの覇権争いで、ややドイツが優勢だったが力が拮抗していてどちらも相手を圧倒する力がない。戦線が膠着し厭戦気分で本来なら休戦になる戦争末期に突然「戦争を終わらせる最後の戦争」との詭弁でアメリカは参戦して戦勝国になっただけ。
この時、ドイツ国内に敵兵が突入して本土決戦を行っていない(日本と同じで戦ったのはドイツ国外)ので、多くのドイツ人は「ドイツは負けていない」と考えたので、ナチスのヒットラーの演説を熱烈に支持したのです。
第二次世界大戦で戦ったのはドイツとソ連が主役。ソ連がアメリカのジュニアパートナーだったとの歴史認識は明らかな間違い。アメリカの方がジュニアパートナーというか、ソ連が主役てアメリカはわき役
両国が国家存亡をかけての戦った地獄の独ソ戦が無ければ、陸軍が脆弱なアメリカはドイツに勝てないでしょう。ソ連軍の存在こそが第二次世界大戦そのものであり、アメリカは戦争をしなかったので「勝った」のです。本土決戦の意味が分からないのは当然で、これは日本敗戦後にマスコミがそのように大宣伝したからですね。
そして、永続敗戦論も間違いではないが、正しくは今の日本は朝鮮戦争レジーム。1945年から朝鮮戦争開戦の1950年の5年間は信じられないような、何でもありの激動というか、密かに何回もクーデターが繰り返されていて、大日本帝国の復活以外のすべての可能性があり、その意味では現在の日本とは考えられる最悪のパターン
靖国神社の解体も目前で、共産党政権まで含めて、すべての可能性があった。
内容自体は前スレを念頭に書き出していました(其の侭になっていました)ので、そのやり取りを受けてのものと理解して下さい。
また、前スレの方は、今度はタイトルに即した議論を、大掛かりに展開しました。
この際文章の上手下手はカットしてですね(笑)、議論の内実で判断して下さい。 今回も冗長と叩かれちゃうかな。
〉論点が一貫せず欲張りすぎ。言いたいことが沢山あるのは分かるが、半分ぐらいに文章をまとめる必要があるでしょう。長すぎるし、内容的に散漫。
これは、さすがです。 実はこの小文自体は10年近く前別々の処で書いたもので、長年埋もれた侭にしていたのですが、白井聡氏の「永続敗戦論」や「国体論」も出た事だし、何となく、出し遅れの古証文みたいな感も自分ではしてるのですが、そのまま引っ張り出して仕舞いました。 書き直して、論旨を整えた方がよかったと、反省しきり。
だがそれにしても、結局レスが大幅に遅れることになったのは、以下のコメントをみて、一気にその気が萎えたからです。
>実は真っ赤な嘘ではなくて、真実だったからなのです
遺憾ながら、そのような見方には興味は無いし、説得力も感じませんので、議論自体は控えさせてもらいます。
そのような認識で議論の共有は不可能と感じますので。
ただね、乗り掛けた船のこともあり、我が論を補強する為の視点を付け加えておきます。
本文を含めて判断する限り、沖縄や樺太を本土決戦の前哨戦だったとの位置付けのようですが、果たしてそうか?
カイロ、ポツダム宣言を読めば、日本の領土で在り続ける可能性は低いのですよ。 その様な場所に、本土と同じ論理や心理が働くものかどうか。 むしろこの時期、本土と切り離す論理や心理及び力学が働いた。 ”捨て石”とはそういう意味であった、と解するべきではないでしょうか。
>実はこれが日本の最後の切り札というか最終兵器
そのようなファイティングポーズは、内部の引き締め以外には、対外的には見せ金みたいなものと解すべきでしょう、少なくとも以下の事実に接したら。
大本営作戦課課長、即ち実質的な戦争指導者であった瀬島龍三が何故この時期にモスクワに、しかも二度に亘って行ったのか?
ー特にこの「時期」ということを考え合わせたら、やはり、「日本の最後の切り札」はソ連だった、と考えるのが自然ではないですか。
瀬島はこの後囚われの身となり、シベリアに抑留されるわけですが、この間何が在ったのか?今に至るまで明らかにされておりません。 言うならばブラックボックスに入ったままです。
後に昭和天皇は、”瀬島はご苦労であった”と、この元作戦参謀に、直に労いの言葉をかけております。
帝国の主権者であり、戦争の最高指導者であった昭和天皇の片鱗を示すもの、と考えておりますが、その内容が何であれ、瀬島に与えられた「密命」は”ミッション:インポッシブル”だったのだなあと、改めて思う次第です。
ところで、これまで述べてきた事で分かる通り、事ほど左様にこの種の議論に欠けてるというか、劣弱なのが国際政治の観点です。
これは、遺憾ながら、宗純氏におかれても然り。