
アオリ運転での警察のアオリ捜査をアオリ報道 31日「あおり運転」実況見分の常磐自動車道で車三台の事故
『警察とマスメディアが二人三脚で目いっぱい煽りに煽る』官制フェイ・クニュース?何かのスピン・コントロール?
傷害事件にもならない軽微な暴行事件で、全国に指名手配、実況見分では高速道の片側車線を全面通行止めにして各新聞社がヘリを多数飛ばして撮影する大騒ぎ。対向車線のドライバーまでが驚いて急ブレーキを踏んだ巻き添え交通事故が発生していた。警察やマスコミの不可解な対応には呆れるやら驚くやら。
今回、警察が主導してマスメディアが全員追従、煽りに煽る前代未聞、空前絶後の意味不明の珍事が発生していたのである。(今までの警察なら喧嘩相手が怪我をした障害事件時には捜査するが、通常なら、些細な怪我に至らない程度の暴行云々で警察は介入しない)
★注、
政府(警察)やマスコミですが、何かの『キャンペーン』を密かに発動しているらしいのである。
これは政治家橋下徹を生み出した18歳少年に『殺せ。!殺せ!』の大合唱(集団ヒステリー)。死刑キャンペーンのインチキくさい馬鹿騒ぎのような極端な『厳罰化』の流れで、アオリ運転の警察のアオリ捜査をアオリ報道かも知れないが、それにしても無気味だ。
『関東大震災で震源地から遠い東京では荷車に家財を満載して避難した』
火事が多かった江戸は火災時の家具持ち出しを厳重に禁止するが、短期間に先人の知恵が失われ東京警察は逆に被害を拡大さす。関東大震災で、1カ所としては最悪の3万8千人(全東京市の死者6万9,000人の過半数以上の55パーセント強)が死亡した陸軍被服廠跡(東京都墨田区=当時は本所区)に相生警察署が避難民を誘導したために被服廠跡には多くの人々が荷車に積んだ家財とともに集まったが、火災旋風が起きて家財に引火。一万五千坪の被服廠跡の敷地に一坪当たり一・九名もの遺体が散乱、死体が山積みになる。関東大震災の東京市の死者6万9,000人中で焼死を除く死者数はたった2%(1,400人)だった。
『関東大震災時に政府(警察)とマスコミが二人三脚で広めた流言飛語』
2018年9月1日付け毎日新聞『関東大震災で起きたこと』 によると、1923年9月1日正午前の炊事中に関東大震災が発生し大火を逃げ惑う中、早くも午後3時すぎに「社会主義者や朝鮮人が放火した。日本人を襲いに来る」 「井戸に毒物を入れたらしい」 との流言飛語流言が広がり 夕方には東京・横浜の各町内で自警団を編成した住民たちが、竹やりや日本刀、長い棒の先にトビくちが付いた消防具(トビ口)などを手に 「朝鮮人を殺せ」 と叫ぶ光景が目撃され、夜には方々で虐殺が始まった。 数日間にわたり、朝鮮人に間違われた中国人や日本人、方言が通じない地方出身者、会話が不自由な聾唖者なども殺された。正確な人数は不明だが震災犠牲者十万余人の6%(6千人)が殺されている。
★注、
警察の避難誘導の大失敗を隠すスピン・コントロールの朝鮮人暴動のフェイクなので、朝鮮人大虐殺の範囲や時期、規模から警察主体の官制流言飛語だった可能性が一番高いのである。
関東大震災後の朝鮮人大虐殺50周年の1973年(昭和48年)墨田区の東京都立横網町公園に立てられた『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑』
因果は巡る糸車『築地市場の移転と、朝鮮人大虐殺 』
東京の築地市場ですが、元々東京の日本橋にあった中央市場が関東大震災で被災して大勢が死んだことから築地に移転した経緯がある。 その築地市場の移転を『立ち止まって考える』として都知事選挙で勝利した小池百合子は、その後、東京瓦斯の跡地で地下水が汚染されている豊洲移転に転じると共に今まで歴代都知事が続けていた関東大震災時に起きた朝鮮人大虐殺への追悼文寄稿を取り止める。一見無関係に思える築地市場の移転と、朝鮮人大虐殺とか地下水脈では一体不可分に繫がっていたのである。
『朝鮮人大虐殺犯人は「不逞鮮人を退治したんだから恩賞を貰いたい」と裁判になって、一応有罪判決が出るも恩赦ですぐに釈放』
朝鮮人虐殺:褒美を求めた加害者、冗談と笑いが飛び交う法廷、町村ぐるみの減刑運動 2018-10-14 『読む・考える・書く』から
冗談と笑いが飛び交う法廷
そもそも司法当局に真相を究明するつもりがないのだから、必然的に裁判もいい加減なものとなる。殺人、それも残忍な大量虐殺事件の裁判だというのに、法廷ではしばしば冗談や笑いが飛び交っていた。[5] 東京日日新聞(10月22日夕刊)熊谷事件公判:
裁判長も笑い被告も笑う
〇〇〇芳之助は東京三の輪の鮮人がやられていたのを見色々の風評を聞き鮮人は皆悪いことをするものと思いましたと昂奮して述べ立て、犯罪事実について四日夜熊谷町で夜警中酒を飲んでいる内、鮮人襲来の噂を聞いて飛び出した旨を述べたが、裁判長は被告の用いた二尺に余る日本刀を示して「夜警の為にはチト大業おおぎょうではないか」と笑い被告も笑いながら「外ほかにいいのがありませんでしたから……熊谷寺にゆくと誰ともなく『やっちまえ』というたからたおれていた鮮人を刺しました」と予審の申し立てをひるがえし裁判長から「お前は首を落とす積もりで再びやったというぢゃないか」と叱られると「そうです。そうですが首は落ちませんでした」といい、石を打ちつけた事については、「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。満廷もクスクス笑う。事件をさばく廷とは思われぬ光景だ。(略)
東京日日新聞(10月23日)熊谷事件公判:
■ 町村ぐるみの減刑運動、そして恩赦
上記の検挙方針の結果、捕まったのは実際に手を下した者たちのほんの一部に過ぎなかった。例えば村の住民総出で被害者を叩き殺したような場合、数人の村人にすべての罪をかぶせたりしたようだ。[6]
村の者が総出でやっちゃった 大宮市片柳 高橋武男 六十六歳
私が中学の四年のときでした。古いことなのでうろ覚えですけれど。うちの村としてはずいぶん丁寧にとむらい、墓まで作ってあります。寺でも無縁仏にせずお盆の時には供養しています。 (略) 片柳では一人だけでした。どういう風な経路で逃げてきたか、まぎれ込んできたかわかりません。当時は村の者総出でやっちゃったわけなんですが、俺がやった、と名乗りでる人がいないと困るので、強制したわけじゃありませんが、五人ばかり犯人をだしまして、裁判にもなりましたけれどね。その五人の人たちも今は全部亡くなっちゃいまして……。丁度私のオヤジが自治会長をやってまして、ずい分未決の時さし入れなどして大きわざしました。私のオヤジの同級生だった宮崎ハジメさんに弁護をお願いしたりして、結局、刑が確定したのは、懲役三年、執行猶予二年か三年ついたと思います。
それだけに、いわば地元の代表として罪を問われた被告たちの裁判では、無罪や減刑を勝ち取るべく、町や村をあげての支援が行われた。[7]
「ともかく熊谷町の安寧等につとめてくれたというので、これらプロレタリヤの被告諸君に二人の町営弁護士をくっつけてあるのみならず、当日は特に町の助役までが法廷に出馬に及んで傍聴人に入廷許可証を与える騒ぎだ。△もう一つおまけに三◯銭なりの昼飯のごとき一行の会計係がこれを支払い、その他往復の回数券まで他人まかせだ。△何しろ白州からお呼びだしをうけても着て来る衣裳がないため柱時計を質に入れて木綿羽織を引かけて来たという程のプロレタリヤ諸君の事だから費用一切の他人まかせは嬉しいだろう。けれどこれではまるで“熊谷町営の刑事被告人”のようなものだ」(「東京日日新聞」大正二一年一◯月二四日)
このほか村を代表した「受難者」に裁判費用のいっさいを負担することを村議会が決議したところ、町内の各戸から寄付金をつのり費用を弁じたところ、傍聴人の面倒見から被告の家計費の補助をした役場などもあり、「身代被告」「町村経営被告」「寄付被告」などの新語が新聞をにぎわしたことに因果を含められた被告らの姿をみることができょう。権力をもつ者はのがれ、ないものは捕われ、過誤失錯でも査問された。免れて恥なしとは権力者のためにある言葉である。
こうした騒動を経て茶番劇のような裁判は進行したが、結局大部分の被告は執行猶予となり、実刑判決を受けた者も最高刑で懲役4年という軽さだった。その上、翌年には皇太子裕仁(昭和天皇)の結婚という大イベントがあり、服役していた加害者の多くが恩赦により釈放された。[8]
松尾尊兊氏は、大正一二年一〇月一日より翌年二月末日までの法律新聞により次の事実を紹介している。すなわち、一二件、一二五名の被告中無罪二名、執行猶予九一名、実刑三二名、そのうち最高刑は四年(二名)にすぎない。そのうえ、これらの実刑被告の多くは翌年一月二六日、皇太子の結婚の際の恩赦を受けており、実質収監は三ヵ月余にすぎなかったのである。(略)
朝鮮人虐殺:褒美を求めた加害者、冗談と笑いが飛び交う法廷、町村ぐるみの減刑運動2018-10-14 『読む・考える・書く』から抜粋
伊藤聡 @campintheair
インパール作戦化する東京五輪、などと言われていますが、大東亜戦争における日本軍の敗北を研究した名著『失敗の本質』(中公文庫)に、小池東京都知事が寄せた推薦文をお読みください。
都知事、『失敗の本質』によれば、インパール作戦は「軍事的合理性以外のところから導き出された決断が最初になされ、あとはそれに辻褄を合わせたものでしかなかった」(p162)ことが敗因だと説明されております。ぜひご再読いただき、賢明な判断をなされることを期待します。
『何をどうやって間違ったかっていうことは、 だいたい失敗に共通することで 要は「楽観主義」「縦割り」「兵力の逐次投入」 とかですね』
この小池百合子 東京都知事の推薦文は日本軍が連戦連勝していた開戦から半年後の、ガダルカナル島の争奪戦の大敗にはピッタリと当てはまる。
ところが『玉音放送』の1年前の1944年、連戦連敗、日本列島の最後の防衛ラインのサイパンも陥落して、負け続ける日本軍の最後の大博打である、インドの要衝インパール奇襲作戦には少しも当て嵌まらない。
ぼろ負けなので、『勝ったら、止める』(破滅するまで、永久に止められない)
ほぼ日本兵の全滅を前提として計画された無謀なインパール作戦の目的とは、敗戦必死の昭和天皇の『もう一度勝ってから(有利な条件での)戦争を止める』(連合国に降伏する)なので現場の司令官である牟田口の罪よりもヒロヒトの判断の方が天文学的に大きい。(★注、ただし、誰一人も『昭和天皇の責任が一番重い』との真実を口に出さないので辻褄が合わなくなる)
バブル崩壊から30年。
ゆっくりと死につつある日本の今後ですが、真珠湾奇襲の開戦から半年後で連戦連勝していた当時のガダルカナルの大敗では無くて、間違いなく負け続けている現状では、『もう一度勝ってから、→止める』のインパール作戦の可能性しか残されていない。(賭博で負けてスッテンテンになるのは、ヒロヒトのように『勝ったら、止めよう』と思うからだった)
クリントイーストウッド演ずる主人公の姿に、先日の「隠された戦争協力ー朝鮮戦争と日本人」で、自ら朝鮮の民間人に発砲したと告白した老ベテランの姿が重なり、いたたまれない気持ちになりました。
一番気の毒なのは、米兵に撃たれ死んでいった朝鮮人であることは間違えないのですが、同時に罪の重さに死ぬまで苦しんだ老ベテランの一生を思うと、戦争の不条理を思わずにはいられません。
BSの経済ニュースを見ていたら、現政権の対韓国政策を支持するかとの問いに、なんと7割近い人が賛成と。開いた口がふさがらない。今の日本、腐ってる。朝鮮がどれだけ酷い目にあってきたか。日本人は、どれだけこのお隣の同朋を苦しめてきたか。恥ずかしい。