逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

日野皓正児童虐待事件を「東大話法」の安冨歩だけが激怒

2017年09月02日 | 社会
安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 8月31日
なるほど、日本のジャズは、立場ジャズなんだな。この人は、立場ジャズのも大御所だからキレたんだな。で、逮捕、投獄されたんだよね?】
___日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた

安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 9月1日
【あの、こんな暴力行為をなんで警察は放置しているの?逮捕投獄しろよ。】
「中学生にビンタ」日野皓正に擁護論も 「悪いのは生徒の方」「同情するよ」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

安冨歩(やすとみ あゆみ)さんがリツイート
@sash24468062 · 9月1日
この社会に根付く思考は、私自身にも深く根付いている。すべてを悪とは言わないが、ときおり呪いのように感じる。連鎖を止められるのは「私」というひとりから。

@yamasugi_moto · 9月1日
少年は逸脱演奏しましたが、殴るほどの行為では、少なくともアドリブ命のジャズではあり得ない と思いました。監督の指示に従わない小僧っ子に切れたんでしょう。それだけの話。

@kentarotakahash · 9時間前
暴力は擁護しないが、生徒の演奏も擁護しないんでしょう? で、「どちらにせよ、生徒も先生もどっちもどっちだと思います」と書いたのですから、先生の暴力行為と生徒の下手な演奏をトレードオフできる程度のものと断じた訳です。
それは暴力の矮小化であり、社会的には擁護の効果を持つのですよ。

@kentarotakahash · 16時間前
集団の体験授業の中に「二人だけの関係」を作り出していたって、想像の通りだったな。特定の生徒に目をかける…だけだって問題なのだが、それを愛のムチまでエスカレートさせる暴力教師だった。

@kentarotakahash · 16時間前
報道陣に対して居直り、「これからもやるよ。ビンタもね」と明言する暴力教師に、世田谷区はこれからも指導を委ねるのだろうか?

@kentarotakahash · 16時間前
今回のことの最大の問題は、区の教育イベントの場で公然と暴力行為が行われたこと。それが社会的に容認されるならば、他の教育現場にもそれは広がり、より深刻な例を生み出すだろう。

@kentarotakahash · 16時間前
日野皓正というミュージシャンにそれを理解させるのは無理だろう。オレとアイツの関係ならば許される愛のムチとしか考えていない。
だが、それを許せば、いつかどこかで子供が死ぬ。

   安冨歩(やすとみ あゆみ)さんが愚者の旅『ダメですよ.もちろん、』をリツイート
安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 7時間前
なら、こいつを逮捕投獄すべきでしょう。

安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 3時間前
うああ。。。
狂気だ。
あんな暴力を当然だというから、閉塞するんだよ。

斎藤環‏ @pentaxxx · 17時間前
日野氏の功績は、日本語圏には「正 し い 暴 力」への篤い信仰がこれほどまでに蔓延していることを白日の下に曝してくれた点か。
ひきこもり暴力的支援業者が支持されるわけだ。あ、個人的には例の行為は「醜悪」の一言。指導として適切かどうかなんてどうでもいいです。

@kentarotakahash · 5時間前
「ビンタは当たってない」世田谷区教育委員会 → 映像流出 → 「行き過ぎた指導あった」世田谷区教育委員会
「軽く触っただけ」日野皓正 → 映像を見た記者に一度ビンタして、もう一度と突っ込まれる → 「痛がってない」日野皓正 → さらに突っ込まれる → 「血出てないでしょ」日野皓正

日本は【\(^o^)/オワタ】

★注、
日本の首都東京の世田谷区教育委員会が管理する中学生が主役の音楽会で、テレビカメラまでが入っているような公式の場所での暴行事件が何のお咎めも無いなど、わが日本国には良識も法律も無い野蛮な無法国家なのか。
今回の暴行事件はテレビでも大きく取り上げられている。
ところが、これを批判する論調はほぼ『東大話法』の安冨歩教授など極少数、対して暴力を容認するのはネットの匿名空間では満ち溢れているのですから嘆かわしい。

「教育的指導」の理由を説明する日野皓正

『正しい』とされるルールや権威に対する反抗精神こそがジャズの神髄だったのに・・・<逸脱>を嫌い暴力を容認する日本ムラの住民たちの不幸

『日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた』

2017-08・31
ジャズトランペッターの日野皓正がコンサート本番中に舞台上で中学生のドラマーからスティックを取り上げ、さらに往復ビンタという暴行に及んだ件について、元ジャズミュージシャンという立場から考えてみました。
日野の行為が児童虐待であることは間違いない。
それでも日野擁護論があり、その根拠とは中学生ドラマーが場を乱した、ルールを破った、指示を無視したから殴られて当然ということらしい。
ジャズ演奏での出来事なので、ジャズ的に『どれほどの非があったか』と専門的な見地が必要となるが、ジャズミュージシャンの意見が出ない。
それも当然で、下手なこと言って大御所中の大御所に睨まれたら仕事が出来ないということで、ジャズをやめた元ジャズミュージシャンが解説したいと思います。

少年がルールを無視したとされる問題の場面は<トレーディング>というセクションでの出来事で、楽曲の後半でドラマーとソロイストが交代で任意の小節間ソロを披露する場面です。
ここは、ある意味ドラマーが目立つためのセクションで「ここぞ!」という場面で、当然かっこよく目立とうとするし、そうあるべきところです。
少年が問題とされる行為をしたのはこのセクションであることを押さえておく必要があるでしょう。

ジャズという音楽の<精神>を理解しないと問題の本質が見えてこない
ジャズには<逸脱>という暗黙の精神が存在する。
これは「ちょっとぐらい人と違っててもいいんだよ」といったレベルではなく「逸脱しなければジャズじゃない」といったほとんど強制に近い最重要項目だった。
これは、「礼節を重んじない者は日本武道をやる資格がない」と同じで、ジャズが面白いのは、この<逸脱>が単なる精神論ではなく、音楽的手法として存在していることです。

例えば「アウト」という技法がそれ
「アウト」とは、コードにない音(外れた音、指示されていない音)をわざと使って独特の浮遊感や緊迫感を出すジャズの必須テクニックです。
メロディやハーモニーにおける「ジャズっぽさ」というものはこの「アウト」の産物であり、<逸脱>の成果です。リズムにおいてもジャズでは少し遅らせたり揺らしたりし、正しいリズムから<逸脱>することがよしとされます(これは目指す演奏によって違ってきますが)。

歌もそう
ジャズシンガーで譜面通りに歌を歌う人はいません。
ジャズを歌う場合は正しいメロディから<逸脱>し、その場その場で自分らしく作り替えることが必要となります。
このように、ジャズという音楽にはあらゆる演奏(歌)、あらゆる場面に<逸脱>が求められるのです。
そうした<逸脱>の歴史がジャズの歴史と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、日本人のジャズが面白くないというのは日本人含め世界の共通認識ですが、なぜかというと<逸脱>したがらないからです。
仮に<逸脱>するとしても、過去の前例やその場の空気、指導者のGOサインを見てからようやく、という人がほどんどです。
日本のジャズシーンに仮に<逸脱>があるとすれば、それは根回しされ事前に許可されたものです。
そうでないと空気が読めないと、使ってもらえなくなる。
プロのジャズミュージシャンでも、誰かが<逸脱>したら怒る人がよくいます。日本人にはそういう人が多い。

ジャズのルール
ジャズは<逸脱>する音楽ですが、同時にそこからの<回復>も必要です。<逸脱>しっぱなしではめちゃくちゃになるだけです。
コードやリズムからいっとき<逸脱>しても、また元にひょいと戻れるスキルも絶対に必要とされます。この<逸脱>と<回復>をきっちり使いこなせるのが一人前のジャズミュージシャンです。
<逸脱>は勇気さえあれば誰でもできますが、そこからの<回復>はスキルや経験値がなければ難しい。

少年の行為は、
1、ドラムが目立つセクションで
2、尺を守らずに<逸脱>し
3、そこから<回復>できずに場が崩壊してしまった。
というものですが、この少年はジャズの精神をしっかりと持っている立派なジャズミュージシャンだった。
彼が<逸脱>したのはトレーディングの場面のみで、それは自分が<逸脱>してもいい場面をきちんとチョイスしていたことの裏付けとなります(トレーディングはドラムが目立つ場面)。
そして、「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、<ジャズ的>には全然ありです。
ただしその後に<回復>できなかった点は叱責されてもいいが、中学生ということを鑑みれば仕方ないで十分済ませられます。
それにしても、この少年の勇気には脱帽です。
考えてみてください、日本人の中学生が世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破りジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)
この一点だけ見ても彼がそこらへんのプロよりも立派な「ジャズミュージシャン」であった。

ここで疑問が生じる。
ではなぜジャズミュージシャンである日野皓正は少年を称えずに暴行を加えたのか?
日野の怒りは<ジャズ的>に不当であり、バンドメンバーの誰かが本番で打ち合わせと違うことをやりだしたなんて彼の長いキャリアで数え切れないほどあっただろうし、それを本番中になんとかまとめあげ着地させるスキルも持っているはずです。
そういった音楽的解決をせず、感情にまかせて舞台上で児童暴行に及んだ日野皓正を擁護する価値はありません。

「世界的ジャズミュージシャンが怒るほどだから、少年の行為が<ジャズ的に>間違っていたんだろう」と考える人もいるでしょう。
それは権威主義というものです。
この少年は今回の事件にめげずに、今後も本番でどんどん<逸脱>してほしいと思います。
それこそがジャズなのです!
(抜粋)

『所詮は紛い物だったメイドイン・ジャパンの安直なコピペというか、浪速の葦は伊勢ノ浜荻の逆さま現象と言うか、』

炭酸飲料の代表格『サイダー』はフランス語の『シードル』(CIDRE)が語源で、本来はアルコール度が高いリンゴ酒を意味していた。ところが、日本ではノンアルコールで砂糖と炭酸水とで出来あがっている。
ジャズの『逸脱』の根本精神を少しも知らないし、知ろうとも思わない傲慢で愚かな人物が日本では世間が天までも持ち上げてジャズの大家だとして国家から紫綬褒章を受章するなど、ブラックジョークというか、趣味の悪い笑えない『笑い話』の類である。
明治大正期に来日した欧米人が『CIDRE』(シードル)だと思って日本の『サイダー』を飲んで失望する話があるが、今回の逸脱に怒って暴行した日本人ジャズミュージシャンの事件は、ただただ『恥ずかしい』としか言葉も無い。
北アメリカのジャズにしても南アメリカのタンゴにしても同じで、ルーツをアフリカ大陸にもつ黒人奴隷の音楽だったが、ホワイト・ウォッシュの結果現在のような無難な形に収まっている。

『日本の野球とアメリカのベースボールは「中身が違う」というか、メイドイン香港のグッチとかシャネルの超高級ブランド品というか、』

しかし色々な問題で分かるように、規律と調和の日本人は世界で一番『逸脱』が嫌いだし、しかも歴史認識が希薄だったので今回のような『勘違い』が起きてしまった。(★注、歴史的成立過程を知らないから黒い地下水脈が流れ続けていることに気が付かない)
ところが、人類がゴリラやチンパンジーなど類人猿と同じ遺伝子を持っているように、抑圧された黒人スレーブのDNAは少しも昔と変わっていない。だからジャズでは逸脱(規範に対する反抗)がもっとも大切なのです。(逸脱したから殴ったジャズの大御所ですが、まさに奴隷主の発想)
黒人スレーブのDNAを無視したのでは話にもならない。
これはアメリカの演歌であるカントリーソング(マウンテンソング)がヒルビリーの文化や伝統を無視しては語れないとの同じ現象だが、日本では歴史的な問題には触れたがらないが、此処が一番の核心部分ではないだろうか。(今のアメリカのリベラルメディアで大騒ぎになっている白人至上主義とヒルビリーの問題とは表裏一体の関係にあるが日本では誰も語りたがらない)

(おまけ)

立川談四楼‏ @Dgoutokuji
談志は暴力を否定し「落語家は問題を言葉で解決すべきだ」と言い、弟子に手をあげる同業者を非難した。
テレビ等でも論戦では負けなかった。街で絡まれても言葉で言い負かした。
論戦に負けた酔っ払いがどうするかまでは計算になかったようで、時どき殴られ、「言葉で勝ち過ぎてもいかんな」と愚痴った。

町山智浩‏@TomoMachi
「なぜ、(体罰)今がダメで昔は良かったんですか? だれも明確な理由を言ってくれないんですよ」いやいや、昔からずっとダメでした。
旧日本軍ですら体罰は規則で禁じられていました。
みんな悪いとわかっていながら続けてきたんですよ。

スポーツ報知9/3(日) 松本人志、日野皓正の往復ビンタ問題で体罰の是非に言及「昔は良くてなぜ今がダメなのか」
「ダウンタウン」の松本人志(53)はジャズトランペット奏者の日野皓正(74)が、コンサート中にドラムを演奏していた男子中学生の髪をつかんで往復ビンタをした問題で、
「我々の世代は体罰受けてきたけど・・・なぜ、今がダメで昔は良かったんですか? だれも明確な理由を言ってくれないんですよ」
とフジテレビ系「ワイドナショー」で語った。


『日野皓正ビンタ事件で、中学生が非難され日野の体罰が支持される異常! 教育的にもジャズ的にも日野がおかしい』2017.09.05.LITERA(リテラ)

日野皓正は8月20日の「日野皓正 presents “Jazz for Kids”」で激高した日野が少年の髪を掴んで揺すった挙げ句、往復ビンタを食らわせた。
大人が中学生の少年に対して暴力を振るうなど言語道断。しかし、驚いたことにテレビにおいて日野を擁護する意見が溢れた。
8月31日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)では、梅沢富美男が「人前で日野さんが叩くなんて、おかしいじゃないですか。僕だってやりませんよ。よっぽどだと思います」「見ればわかりますよ。スティックとられてもまだ叩いてるんだから。それは舐めてますよ」と中学生の少年を非難。
9月3日放送『ワイドナショー』(フジテレビ)では、バカリズムが「あれ、何で止めればよかったのかなって」「たとえばハリセンとかならショーになるじゃないですか。でも、それで止めるとは思えないし」と、“あの状況ではやむなし”と肯定。「同じバンドメンバーだったとしたら、先生が止めなかったら、裏で殴ったかもしれない」と話した。
そんななかでも、もっとも強く体罰について語ったのは、松本人志だった。
松本は『ワイドナショー』で、“日野に叩かれたことによって少年が反省しているのなら指導として正しかった”と述べ、さらには“自分たちの世代は体罰を受けたが、なぜいまは体罰はありえなくなってしまったのか”と、体罰がいけないという社会の考え方そのものに疑義を呈しはじめた。

松本人志「なぜいまは体罰ダメで昔はよかったのか」発言の無知蒙昧
「なぜいまの時代に(体罰が)ありえないのかっていう、明確な理由を誰も言ってくれないんですよ。なぜいまはダメで、昔はあの、よかったんですか? 明確な理由がわからないんですよ」
「体罰を受けて育った僕らは、別にいま、なんか変な大人になってないじゃないですか。屈折していたり。何なら普通の若者よりも常識があるわけじゃないですか。にもかかわらず、なんか体罰受けて育った僕たちは、失敗作みたいなこと言われているような気がして、どうも納得がいかないんですよね」
日本の教育現場では「学校教育法」で禁止されている。だが、日本においては、松本のように「体罰なんか日常茶飯事だった」と語る者は多い。じつは、これが体罰がなくならない最大の原因なのだ。
教育評論家の尾木直樹は『尾木ママ、どうして勉強しなきゃいけないの?』で
“明治期の感化法で暴力が肯定された以外は教育界で体罰は認められたことはない”とした上で、こう指摘している。
〈それ(感化法)以外に教育界で体罰は認められたことがないにもかかわらず、「昔は先生にバンバンやられたよ」なんて、振り返る人が多いのも事実です。
それは軍事教練で、戦中に学校教育の中に軍人さんが入ってきたことが大きく影響しているんですよね。軍隊のやり方でビシビシと子どもたちを殴り始めて、それが教育だと勘違いして、軍人ではない教師たちも殴って言うことをきかせるようになってしまったんですよ〉
つまり、松本の世代を含め、この国の教育現場では戦中の軍事教育が延々と引き継がれてきてしまった、

とくにスポーツ界の根深い問題だが、暴力を伴う指導を受けて成功をおさめたアスリートは、そのやり方を肯定する者も多い。だが、その一方で、死にいたったり、重篤な怪我をさせられたり、心に傷を負った人はたくさんいる。
松本の論は結局、生き残った者の体験談、すなわち生存バイアスがかかったものでしかないのだ。
体罰とは、恐怖を与えることで相手に言うことをきかせるという立派な暴力である。それを教育と称して教師という大人から子どもにおこなう行為は非人道的なもので、日本の教育現場では「学校教育法」で禁止されている。だが、日本においては、松本のように「体罰なんか日常茶飯事だった」と語る者は多い。じつは、これが体罰がなくならない最大の原因なのだ。

中学生は正しい。ジャズ的でない行動をとったのは、むしろ日野皓正のほう

元ジャズミュージシャンのギター講師・八幡謙介氏は
〈「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、<ジャズ的>には全然ありです〉
〈それにしても、この少年の勇気には脱帽です。
 考えてみてください、日本人の中学生が世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破りジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)
 この一点だけ見ても僕には彼がそこらへんのプロよりも立派な「ジャズミュージシャン」であると思えます〉

ジャズを愛するタモリは、以前、「ジャズっていうジャンルがあるようで、ジャズっていう音楽はないの。ジャズな人がいるだけなの」と語っていた。例として草なぎ剛は「ジャズな人」だと言い、ジャズな人は向上心=邪心がなく、「いまを濃厚に生きること」がジャズであると説いた。

日野もステージ上で暴力を振るったあと、「いろんなハプニングが起きる、これがジャズです」と客席に挨拶して舞台を閉じた。確かに、即興演奏の果てに予想だにしない出来事が起こり、それを楽しむのもジャズの大きな魅力だ。
ならば、暴走した中学生の彼の演奏を、指導者として盛り上げオチをつける、そうした即興のプレイこそ日野には求められていたのではないか。
少年の暴走したドラムソロより、暴力によってハプニングを着地させようとした日野の行為のほうこそ非ジャズ的だろう。

日野皓正「トイレのスリッパがきちんと並んでいるのがジャズ」

日野は、
「僕は音楽を教えているつもりはないんですよ。少し語弊があるかもしれないけど、音楽の前に人間とはってことだと思うんです。東京の世田谷区で10年以上続けているドリーム・ジャズ・バンドという中学生ビッグバンドのワークショップがあるんですけど、ある時トイレに行くとスリッパが逆を向いている、皆を集めて「お前らは自分のことだけしか考えていないんだろ。次の人が履きづらいだろ。」「皆を思いやる気持ちがないヤツらには音楽(ジャズ)をやる資格はない。」ってね。次のときトイレへ行くとスリッパがきちんと並んでいる。うれしかったね、涙が出たもの、その時は。「これがジャズなんだぞ、覚えておけよ。」、「はい!」みたいな。あと、人と話しするときは相手の目を見て話せよとか、ありがとう、ごめんなさい、これが言える人間にならないとダメだぞとかね」

ジャズミュージシャンとは思えぬ、まるでPTAの役員だが、「スリッパ云々がジャズなのか?」。日野は「音楽」よりも前に、社会で生活するにあたって必要な「礼儀」といったものを教えたいと志しているのだろう。
「自分の意に沿わない人間には暴力を加えて服従させればいい」は教育ではない。

日野の騒動を見て、ネット上では「まるで『セッション』みたいだ」という声が多く聞かれた。
確かに、「度を超したパワハラ指導を行う教師と、それに耐える生徒のドラマー」という構図は、まさしく映画『セッション』そのままである。
3年も前の作品なのでネタバレを承知で書くが、『セッション』のラストではスタンドプレーで猛烈なドラムソロを見せる生徒のアンドリュー・ニーマンに対し、ついにテレンス・フレッチャー先生が折れ、その演奏を認めるところで幕を下ろす。
今回騒動に巻き込まれた少年も、どうかその心意気を忘れず、いつの日か、『セッション』のラストシーンを再現してほしいものである。
9.05.LITERA編集部(抜粋)



コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「三度目の正直」か!米副大... | トップ | 敗戦72周年 「戦後レジュ... »

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『音楽的に納めるれば伝説に成れた日野先生』 (ローレライ)
2017-09-02 16:50:07
『ドラムバトルなど』で『音楽的に納めるれば伝説に成れた日野先生』と言う所。
ミュージシャンのエピソードにありがちな話ですね (潔)
2017-09-02 17:20:18
日野氏の行動の是非はともかくとして、
件の中学生、今後音楽の道に進んだならば、
「衆目監視の中、演奏中に日野皓正にビンタされたドラマー」という
なかなか得難いエピソードを手に入れた訳です。
ある意味箔がついたようなものですから、
これに懲りずに頑張って欲しいですね。
連投申し訳ありません (潔)
2017-09-02 17:51:19
あと記事の、元ジャズメンの方、逸脱がジャズの神髄と言ってますが、モダンジャズ的なジャズカルテットなら確かにそうでしょうが、今回のようなビッグバンドジャズでそんな逸脱されたら(特に尺)、アンサンブルはメタメタになってしまいます。まして他の子とのソロ交換という事は、他の子の見せ場でもある訳です。逸脱より寧ろ協調性が必要な場面でしょう。
だからといって殴っていい訳ではなく、日野氏はベテランなんだからもっとスマートに解決して欲しかったですね。
Unknown (チャイロ)
2017-09-02 18:41:27
 「下手なことを言って大御所中の大御所ににらまれたら仕事が来ない」から引退した自分が解説する、という、この「解説」文章は非常に不愉快である。

 さすが「引退」しただけあってジャズ評論は不得手らしく、読んでいて失笑した。

 どんな表現にもアンサンブルが必要な場合とそうでない場合があり、どんなフリージャズを行う演奏者も自分の演奏について没入しながらクリアな意識を必ず持っている。そうでなければ対象物である楽器や声をコントロールすることはできない。

 土台、ジャズを「教育」場面にもってくる人間がアホだがそれに乗る日野テルも馬鹿だ。

しかし、専門家や演奏家はこういう話にコメントなどしない。
アホらしくてできるか。
関心を持たない。
そのくらい低次元の話である。

 引退した「しゃべりたがり」が評論する。
(どの世界でも同じだがな)。




私の意見 (天野)
2017-09-02 21:56:30
タイトルにもならない様なタイトルで申し訳ありません。
あんな舞台でビンタするようなハメになったのは、指導の仕方が下手なのか問題があったのか。つまり、名監督名指導者足り得ずということに思えます。
訂正です (天野)
2017-09-02 22:02:07
名監督×→名プレイヤー○
と訂正します。失礼しました。
Unknown (モモ)
2017-09-03 22:22:00
舞台にハプニングはつきものだと思うのですが、その場をどう収めるのかというところでアーティストの力量をうかがい知ることができますね。
日野という人以外のミュージシャンだったらどのような対処をしたのか?やはり髪を掴んで殴るのか?と考えると一流の人だったらそうはならないと思いますよね。
あの場を凍りつかせたのは日野という人の人格から出た「暴力」でありパフォーマーとしての力量のなさが問題視されるべきです。
人を率いる役には不適格の人物だと思います。
もしこれが日本の学校なくて、
アメリカとかで教えることになっていたら彼は同じことをしたでしょうかね?怖くてできないんじゃないでしょうか?
私は日本をいう土壌にあの様な暴力を許容してしまうシステムがあるのだと思います。
他人と自分の子 (農婦)
2017-09-03 22:53:15
私は人様には理解できない家庭的事情があり、的確ではないかとおもいますが、私は子育てにおいて大失敗、子供を地獄へ陥れました。ダガ私は弱い心であった為、子供3人を連れて心中し様と何ヶ月も考えていた時期もありました。できませんでした。aあれから30年、少しずつではありましたがようやく平穏な生活を得る事ができました。3・11の震災にも会いましたが、高校の同級生と出会えて、ようやく、反原発,反体制の今までハッキリと自覚できなかった自分に気づき、自分の気持ちに安心できました、済みません記事の趣旨にそぐわないコメントで。
教師 (農婦)
2017-09-03 23:15:12
私の子供長女と次男は不登校、中学3年間行きませんでした。長男は1ねん半登校しました。母として頭真っ白何故何故なぜ!、、?。子供の辛い気持ちをりかいできなかったにです。いじめでした。いじめ、いじめ、いじめ、いじめ、私は、経験がなかったから、わからず、子供に叱咤激励ばかりでした。子供が自殺し無いでくれたことに頭を下げてます。転校生だった子供達はいじめの格好の対象でした。私がもっと繊細な心を持って居たなら子供を救えたのですが………。でも私はw、学校へ行くな!家に居ろ。と言い、不登校を認めました。だって命を奪われるところまで暴力が及んで居たんですよ。大河内くん事件,山形のマット巻くるみ身事件の時でした。うちの息子も似た様な事が度々あったとの事。
報道マジック (ちくわ)
2017-09-05 14:31:19
この事件、ネットニュースでの多くの見出しが「世界的」ミュージシャンの日野が~という感じ。
この「世界的」がくせもので、これだけで日本人の大半は思考停止してしまう。普通に「音楽家の~」「ジャズの~」と報道されていれば、日野はもっと叩かれていたでしょう。
色々考えさせられる事件でした。

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事