哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

押井守『Avalon』

2006-04-17 | 映画
 押井守の実写SF映画『Avalon』を観た。といっても、押井監督の考えでは、編集を加えられた(特にCG)映像はみんなアニメらしいので、一応アニメ映画になるのか。
 まあ、ネットゲーの話である。『.hack』シリーズの伊藤和典が脚本を担当しているせいか、ネットから帰還できない人(真ネトゲー廃人)というネタがかぶっている。超リアルなネットゲーム「Avalon」をクリアするために、主人公・アッシュは幻のSAクラスのミッションへの扉を開き、そのSAクラスに挑む…。
 まあ、いつもの押井守節というか、結構説教くさい。作品の重要な主張として、ネトゲー廃人が「世界とは思い込みだ」というようなことを言っているが、そのとおり。ネットゲームの世界だって、ちょっと変わってはいるが本当のことには違いない。だが、「世界が思い込み」だとして、なんでも思いこめばいいというわけではない。デリダやポール・ド=マンなど、少なからぬポストモダニストが言っているが、現実とは、葛藤や失敗、抵抗のようなネガティヴなものなのだ。この場合で言えば、思い込みの裏切られることが「現実」なのである。とは言え、この作品内の情報は錯綜していて、実は何がどうなっているのか確実にわかるわけではないのだが(ゲームから覚めたと思ったら、そこはまだゲームの中…)。
 ちなみに、映像としてはすごいが、おもしろいかというと…微妙。うーむ。

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クリシュトフ・キェシロフスト『殺人に関する短いフィルム』

2006-04-17 | 映画
 クリシュトフ・キェロフストはポーランドの映画監督。故人。筆者はかれこれ、4年くらい前からときどき思い出すようにこの監督の映画を借りて見ているが、未だに名前を暗記できない。カルト性の強い監督で、「映画監督のための映画監督」と呼ばれてもいるらしい。端的には、芸術的な映画を撮る監督。
 さて、この監督は、偶然をモチーフにした映画を撮ることが多いが、本作もそのひとつ。目的意識失った青年とイヤミなタクシードライバー、正義感ある若手弁護士の三人が、青年がタクシードライバーを理由無く殺してしまったために、つながりをもってしまう。作品全体に影が強調されて、いやーな感じ。入念な殺人描写や、悪意の混じる人々のやりとり。暴力をテーマとしているというが、本当にぐえっとくる。
 ところで、物語には必然が必要だが、だからこそ物語のはじまりには偶然が必要である。なぜなら、必然には論理的な繋がりが必要だが、物語の始まりには、その前がなく、したがって物語「以前」には繋がりようがないからだ(この繋がりをあえて求めると、『マクロス・ゼロ』など、『~ゼロ』のような、続編ならぬ前編が新たに製作されるわけだ)。したがって、偶然がなければ物語は始まりえない。より正確には、物語の始まりは常に偶然である。だから、物語の始まりに設定された「偶然」が、その物語の固有の値として最後まで機能するのだ。結論から言えば、物語のはじめにはどんな偶然をもってきてもいい。その代わりに、以後の展開においては論理的な繋がりが必要となる。だから、物語の途中において、なんらかの状態を達成したいなら、物語を逆算してその始まりとなる「偶然」を見出せばいい。もっと言えば、魅力的な偶然が始めにない物語は、後にも魅力的足り得ないだろう(たとえば、アニメ『かみちゅ!』では、第一話の始めで、何の根拠やエピソードもなく(つまり偶然に)、主人公・ゆかりが神様になったことが明かされる。その後には、誰もゆかりがどうして神様になったのか追求しないが、それは視聴者からしてもことさら追求することではないのだ)。
 しかし、すごい映画だ。カラーだがトーンがモノクロに近くて、フィルムの質感が荒かったりするせいか、今の映画には見られない、フィルムの厚みのようなものを感じる。また、純粋に映画をやっているという感じ。物語でも動画でも音楽でもなく、それらを足したものでもなく、ただ映画なのだ。まとめて観るには体力の要る映画監督なので、これからも思い出しつつ観たいと思う。

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『ARIA The NATURAL』他

2006-04-17 | アニメ
 今回の『ARIA』は結構良かった。というか、初めて藍華に魅力を感じた気がする。まさか、あんなツンデレキャラだったとは…(筆者は特にツンデレ好きというわけではないが)。私的には、『ARIA』は灯里が突っ張らない話のほうが好みかな。まあ、渡辺アルには甲斐性があるのかないのかわからないが。いつものほのぼのした話とはちょっとテイストが違う、ベタなドキドキ話だけれど、こういうのもありかと(どんなのだ)。

 『Fate』は、「stay/night」編(セイバー編)でいくことが確定してしまって、特に見所がなくなってしまった…。一番燃える「アンリミテッド・ブレイドワークス」もアーチャーが使ったのはともかく、このまま原作を忠実になぞるなら士郎がこれを使う機会はない。士郎とアーチャーの対決もありえないし。ちと残念(まあ、あれでギルガメッシュに勝てる道理がよくわからないのだが)。原作でのセックス・シーンもうまく回避し(笑。というか、もともとの量の少ない士郎の魔力をセイバーに流して回復するのか疑問だが)、このまま一直線か。新OPで、士郎とアーチャーが戦っているシーンがあるが、あれに意味はあるのだろうか。というか、いっそひいきの声優の多い『スクールランブル・二学期』に移ってしまおうか。

 『いぬかみっ!』は、ファンには悪いが、第二話を見た限り、これ以上ないくらいダメだった。

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『オペラ座の怪人』(映画版)

2006-04-16 | 映画
 『オペラ座の怪人』はもともとミュージカルの作品。筆者は劇団四季がやっているのも見たが、そちらもそこそこ楽しめた。
 さて話的には、まあ大失恋話である。こう見ると、怪人は結構情けない。けどまあ、そこまで言ってしまうと見もふたもないので、怪人を擁護するような読み方をしてみる。たぶん、怪人のキャラクターには好き嫌いが分かれると思うのだが、筆者は共感してしまう。モテないけど多趣味(?)なところは、オタク的とさえ言える(笑)。
 生まれつき顔に醜いあざをもった怪人はオペラ座の地下にある水路(?)のスペースに住んでいたのだが、コーラスガールのクリスティーヌに才能を見出し、指導する。その結果、クリスティーヌは舞台のプリマドンナの座を得る。怪人はクリスティーヌに恋愛をするのだが、彼女は幼馴染の男・ラウルと恋愛してしまう。怪人は人殺しも含めていろいろ頑張るのだが、結局振られてしまう。怪人は肉欲と愛情を求めるのだが、クリスティーヌにキスをしてもらい肉欲はそれなりに満たされるだが、結局同情以上の愛情は絶対に得られなかったことに絶望し、姿を消していく。クリスティーヌは、自分が怪人を拒絶するのは、顔が恐ろしいのではなくて、その魂が恐ろしいのだと言う。(人と話をしているときも思うが、筆者はあらすじをまとめるのがヘタだ。勘弁願いたい)
 クリスティーヌとラウルは、純朴は性格、つまり明るい側にいる一方、怪人だけが暗い側にいる。その怪人は、自分の醜い顔を隠してくれる、夜や闇の優しさを知っているのだが、やはり明るい側を求める。その具象として、クリスティーヌへの恋愛があるのだが、結局それは果たされず、怪人は暗闇の中へ消えていってしまう。そのほかにも、単純な明/暗、昼/夜の二元論に還元できない図式があるのだが、結局、明るい側が勝つという、あえて言えば良心的な価値観がある。
 この映画で、圧倒的に魅力があるのはやはりオペラ座の怪人である。はっきり言って、クリスティーヌとラウルは怪人におびえながらベタベタな恋愛劇をするだけであまりおもしろくない。一方、怪人はクリゥティーヌのキスを受けたときに、一瞬歓喜の表情を浮かべるのだが、すぐにより決定的な絶望の表情を浮かべる(前述の、肉欲は満たされても愛情は得られず、のくだり。この辺りは筆者の解釈も含まれているから、違う見方をする人もいるだろう)。他にも、怪人が何を考えているのか判然としないところもあって、怪人が何を思っているのかの判断が、この物語の筋自体を変えてしまうところもある。単純な二元論でない点など、重層的な読み方の出来るという意味で、かなり魅力的な作品だ。
 ミュージカル映画なので、場面ごとに歌を歌わずにはおられず、そのせいで話の進み方が遅くなったりなど、退屈なシーンもあるが、音楽・歌も魅力的で、セットも立派と、ゴージャスな映画。特に、怪人とクリスティーヌが地下に降りていくシーンや、劇中劇の『ドンファン』で、怪人とクリスティーヌが絶妙のやり取りをするシーンなどは、かなり良かった。休日に、じっくりとDVDを鑑賞するにはかなりいい作品である。
 最後に、怪人も歪んではいながら結局「純愛」していたんだなあ、という感慨がある(こういうと、ありがちで使い古された印象がしてしまうが)。クリスティーヌがラウルに恋愛するのは、仲のいい幼馴染だったから、という以外ほとんど理由はないのだが、怪人は、クリスティーヌ自身にも才能があったとはいえ、プリマドンナの座にまで押し上げたり、がんばったんだけど結局報われない。能力や努力よりも、単純な明るさやさわやかさのほうがモテるという教訓だろうか。

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『ひぐらしのなく頃に』

2006-04-16 | アニメ
 もちろん、私的な好みが多分に入ってしまうのだが、筆者の見た限り、今やっているアニメの中では『ひぐらしのなく頃に』が文句無く一番おもしろい。つーか、やばい、ぞくぞくしてくる。もちろん、アニメとしてのクオリティは低いのだが、制限された環境のなかで雰囲気を見事につくりだし、一方でそれを壊すことで「怖さ」を作り出している。ゲームをやっておらず、前回までを見てない人には次回以降の展開は掴みづらいかもしれないが、それでも見てほしいと思う。しかし、あの微妙な萌えキャラがあんなに怖いとは(笑)。積みゲーしてた原作を引っ張り出してやってみるかなあ。

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『Kill Bill Vol.2』

2006-04-16 | 映画
 『Kill Bill Vol.2』は劇場公開していたのを観たので、二度目になる。劇場予告で期待し続け、期待以上に痛快だった『Kill Bill Vol.1』の続編だけあって、ものすごい期待していたのだが、正直『Vol.2』は期待はずれだった。つーか、みんなアクションや殺陣を期待していたのに、それがほとんどなかったからなあ。数少ない殺陣や修行(笑)シーン以外は、映画的ないい映像も多いが、ビルのアメコミ論(も多少説明不足で、言いたいことがよくわからない)以外は、退屈かなあ。『Vol.1』でも、退屈なシーンはあったし、筆者はあまりクエンティン・タランティーノとは合わないのかもしれない。とりあえず、『Vol.1』を観て(こちらは、アクションとしては、筆者の知る限り最高。『マトリックス』なんかメじゃないだろう。比べられるとしたら『少林サッカー』か)、そのついでに観るくらい。

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『機動戦士ガンダムF91』

2006-04-16 | アニメ
 ツタヤ半額につき、たくさんDVDを借りてみた。しばらくはそのレビューが続く。

 というわけで、『機動戦士ガンダムF91』である。いつもながらの、あわただしく、セリフのやたら多い富野テイストである。これを見ながら、筆者はすでに富野テイストに病みつきになっていることを実感した。未だやたらと多い『ファースト・ガンダム』ファンは、こうした富野中毒者である可能性が極めて高い。感想としては、文句なくおもしろい。作中の時間経過や地理関係がわかりにくいが、これは自分で補いながら見ていくしかないか。作画のレベルは、劇場版としてはちょっと物足りないかもしれない。が、MSのアクションは結構いい感じ(『劇場版Zガンダム』には負けるが。MKⅡのキックとかかっこよさすぎ)。F91はガンダムの中でもかなりいいデザインだと思う。
 総合的には、アニメファンなら絶対見なくてはならない、というわけではないが、ロボットアニメファン(そしてもちろん富野ファン)なら十分楽しめる内容。もっとも、そういう人は、筆者が進めるまでもなくすでに見ているだろうが。もし、見るのを迷っていたりめんどくさがっていたりする人はすぐにでも見たほうがいい。

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『Another Century's Episode2』

2006-04-14 | ゲーム
 最近、大学に行く暇を惜しんで、『Another Century's Episode2』(『ACE2』)をやっている。前作の『ACE』は3日で飽きたが(と言っても、その後も手が寂しくなったとき、たびたび引っ張り出してやっていたが)、前作を踏まえた改善をしてあって、なかなか具合がいい。個人的に一番うれしい改善は、前作では使い物にならなかった飛行モードが、いくつかの操作法を選ぶことが出来るようになったため、スピード重視のミッションなどで、結構使える。しかも、宙返りとかをすると、浮遊感を感じたりしてなかなか気持ちいい。
 筆者がよく使う機体は、バスターアークや、バルキリー(フォッカー)、ブラックサレナ、エステバリス(アキト)、ユウ/ネリーブレン、ガンアーク、ビルバインくらい。というか、バスターアーク強すぎ。努力と根性で戦う帝国宇宙軍のスーパーロボットシリーズ(「人の命は尽きるとも、不滅の力、バスターマシン」)かと思うくらい(メイン武器がホーミングレーザーに似ている、か?)。とり逃したシークレットやエースは全改造&リミット解除したバスターアークで取っているし。ただまあ、使ってて楽しいのはバルキリー。移動に癖があって(ちょっとスティックをまわしただけで、急停止したあとに逆向きに走ったり)、使いにくし結構避けられないから強くもないんだが、ガンポッドやマイクロミサイルの撃ち応えが楽しい。ちなみに、今回はザコ敵一機一機の耐久力が弱いし、わんさか出て殴りに行ってたらキリがないし、袋叩きにあうので格闘系はちょっと微妙。というか、マルチロックホーミングミサイルのない機体だといろんな任務でちょっときつい。バスターアークはこれがある上に、メイン武器がタメなしのマルチロックホーミングビームだから、やたらと強い。
 難易度としては、前作ではどうしてもシークレットが達成できないミッションがあったが(腕の問題だ)、今作ではそれがないため、ちょっと軟化したようだ。ただ、前作の変な任務(ロックができなかったり、防衛任務が多かったり)がないため、結構爽快。というか、とにかく敵を落とせというのが多い。バスターアークみたいな射撃が強すぎる機体で戦うと、ダッシュし続けて距離をとりつつホーミング攻撃というパターンが出来上がってしまって変化が乏しい。相手の攻撃を見切るとかいうのがほとんど意味のないゲームなので、『機動戦士ガンダムSEED 連合VSZAFT』とは、かなり別のゲームだと思ったほうがいい。結構、ルーティンになってしまう。あと、操作は、まさに全てのボタンおよびスティックを使う上に、結構複雑なので慣れはかなりいる。前作の操作をマスターしていたので、そんなに詰まったりはしなかったが、それでも未だにミサイル撃つつもりが、ダッシュを止めたりしてしまう。シナリオは凡庸の一言。前作のシナリオ演出はかなりうざったかったが、斬新でもあった。そういう意味では、前作のシナリオ演出をざっくりと切り、アクション・シューティングに集中しやすくしたのはとりあえず改良だろう。前作のラスト二つ前のミッションでは、たくさんのシャトルのなかから、爆弾入りのシャトルを撃墜するのだが、周りはシャトルは難民が乗っていると思っているので難民襲撃だと報道されながら戦っているというシチュエーション(ちなみに、音楽は主題歌のBGMバージョンで、クライマックスぽくて良かった)には、かなり燃えるものがあったのだが、今回はそんなツボに入るミッション(エピソード)はなかった。というか、ベタベタの戦友&恋愛ものじゃん。
 というわけで、総合評価としては、操作の難しさなどからあまり一般向けではないゲームだが、そういう系のファンなら文句なくおすすめ。素直に楽しめるゲームだ。好きなひとはかなり好きだろう。結構原作に忠実に機体を再現しているし、GP03やブラックサレナ、ブレンパワードなど、いいデザインのロボットもそろっている(私的には、ゼロカスタムはかっこいいが悪趣味だと思っている)。ミッションも前作よりもよっぽど楽しい。
 ちなみに、私的にアクションシューティングで一番楽しめたのはセガサターンの『機動戦士ガンダム外伝2 戦慄のブルー』。今からすれば、ミッションが5つしかなかったり、物足りないゲームかもしれないが、操作が簡単なわりに敵の動きを読んだり、回避したりの感覚がうまく作られていて、すごく楽しめた。最後のイフリート改戦なんか何度やったかわからない。敵が視覚範囲の横に回りこんだときに、このタイミングで攻撃がくる、と予想して、横に跳んだらミサイルの連射が横を通り抜けていったとか、結構”カン”というものでゲームをたのしめた気がする。残念ながら、『ACE』シリーズにはない点である。つーか、『ブルーディスティニー1号機』がめちゃくちゃかっこよかった。未だに、筆者のもっとも好きなMSのひとつである。

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春の新番組

2006-04-12 | アニメ
 とりあえず、私的お勧めは『ARIA the NATURAL』、『ひぐらしのなく頃に』、『.hack/Root』あたり。それぞれ、『ARIA』は全体的なクオリティの高さとほのぼのした雰囲気、『ひぐらしのなく頃に』は展開への期待(ゲーム版は、序盤の少ししかやっていない)、『.hack//Root』はメディアミックスともどもどう展開していくか、というのがポイント。『ゼーガペイン』なんかもよさそうかと思ったが、主人公がいきなり世界を救ってくれ、と言われるよくある始まり方をそのまま踏襲しているので、ちょっとなーという保留付。というか、大学に通わねばならない筆者はビデオもHDDもダビング装置を持っていないので、そもそも見られない。あとは、脚本家が好きなので『エア・ギア』も見るが、前回を見た限り微妙だなあ。はっきり言って、今期は不作気味かも。

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社会学入門にうってつけの本

2006-04-09 | 
 今回は趣向を変えて、極ローカルネタ。大学の社会学科に入学した人が、社会学とはどんな学問か感じを知るための本。

『社会学のおしえ』馬場靖雄 ナカニシヤ出版
 さまざまな社会学的なイシューについて語っていく本。ただし、著者自身の動機付けを理由に、かなりオタッキーなネタもある。新書以上に読みやすい本ながら、いつのまにか社会学とは何なのかが語られてしまっている、という変な本。図書館に入っていたら、とりあえずめくってみるといい。

『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ イースト・プレス
 著者名は外国人だが、別に訳書でもなく、普通(以上)に日本語が出来るよう。『社会学のおしえ』が、理論的な話なら、こちらはデータをもとにした実証的な話。社会学を諧謔しながらも、それこそがより社会学的という切り口。

 どちらの本も、最近の社会学領域の研究の動向を抑えるという役には立たないけど、社会学がどんなものかというものは、結構わかる。あと、読み物としても結構おもしろい。

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永野護『ファイブスター物語』12巻

2006-04-09 | マンガ
 ようやく出た。ある意味、貞本義行の『エヴァンゲリオン』と永野護の『ファイブスター物語』は、角川書店の抱える2大負債だよな…。
 内容に関しては、悔しいほどおもしろい。待たせられた甲斐が(待っていることも忘れていたが)あったといもの。超帝国の話といい、フィルモア皇帝の決意といい、時代が動いている感じ。しかも、気になる伏線がいくつも張られ、たくさんの人々の思いが交差し、エンゲージやファントム、ルミナス・ミラージュ(笑)、銀色のアイツなどモーターヘッドも迫力ありと。これで、刊行スピードが早ければなあ。20周年で12巻て宣伝することじゃないよなぁ。

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田中康夫『なんとなく、クリスタル』「無意識、自然、さりげなさ…」

2006-04-08 | 小説
 現代日本文学の金字塔(!)、田中康夫『なんとなく、クリスタル』を読んだ。まあ、あまりおもしろくはないわな。大学生協でぱらぱらとページをめくったときには、左側が本文に対し、右側にその注釈(多くは、本文で言及されているブランドの説明)というつくりに噴出してしまったのだが。
 この小説は、一見、今でも新しいと感じるような感性で書かれている。そのテーマは、いわゆる「ブランド」も所属大学名などの社会的な肩書きも、みんなひっくるめて大きな<ブランド>というもので、社会と人間が動いていると。しかも、「なんとなく」(無意識に)何かを選ぼうとすると、自動的に<ブランド>をとってさえもするのだと。本文から印象的な箇所を引用しよう。「同じものを買うのなら、気分がいい方を選んでみたかった。/主体性がないわけではない。別にどちらでもよいのでもない。選ぶほうは最初から決まっていた。/ただ、肩ひじ張って選ぶことをしたくないだけだった。/無意識のうちに、なんとなく気分のいい方を選んでみると、今の私の生活(筆者注:ブランドに囲まれた生活)になっていた。」(新潮社文庫版、P54)
 こういった価値観は、今でも残っている。しかも、より徹底された形でだ。というのは、この小説は八十年代初頭の小説だが、八十年代後半、九十年代、二千年代と、例えば、『"無印"良品』に代表されるような、ノン・ブランド性を掲げた(つまり、イメージではなく、実用性、機能性を打ち出した(とは言え、そう打ち出すことがまた、新たにイメージ性を拡張するのだが))ブランドや、もっと言えば、生活様式が支持を獲得し、その規模を広げていったからだ。現在では、無意識さ、自然さ、さりげなさ、なんとなくさ、というものこそ、最強のブランドですらある(江国香織を見よ)。だから、現代では、ブランドうんぬんと語ることが、あまりにブランドばかりありすぎるばかりに、無意味になってしまうのである。そんなわけで、『なんとなく、クリスタル』は小説の形式としては、現在でも興味深いながらも、内容・テーマ的には、明らかに古いのである。
 あと、これは微妙な突っ込み。村上龍の小説ばりに、登場人物たちが自分の価値観を語りすぎ。以前は、筆者もこういうスタイルがかっこいいと思っていたが、現在では、語れてしまう「自分」というものに、かなり懐疑的である。

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『ロード・オブ・ザ・リング』三部作「ヒーロー/アンチヒーロー」

2006-04-07 | 映画
 春休みの終わりに、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(約三時間×3本)を観た。いやいや、ハリウッド超大作の真骨頂を見せられたというか、ザッツ・エンターテインメント!!という感じで、すごい映画でしだ。今まで、SFXやCGというと、SFばかりのイメージがあったけど、それはむしろそれらの技術の発達が中途だったからなのですね。発達しきった映像技術はむしろ、ファンタジー的な生物・怪物・バイオ表現により効果を発揮するのではないかと思ったほど。考えてみれば、『スター・ウォーズ』なんかのSFならば(『スター・ウォーズ』だと、かなりファンタジー的な要素も多いのだが)、模型をつくって、それにレーザーや爆発を合成で組み合わせれば、比較的簡単に大迫力の映像が出来てしまう。一方、ファンタジーだとあまり爆発表現が使えないので、「破壊」を表すのに城壁が投石器の攻撃で崩れていくのを岩のひとつひとつを丁寧に描いていかなければならない。あるいは人間の死を(ミニチュアの戦闘機の爆発ではなく)身体の破壊として描かねばならない。つまり、迫力ある映像を、繊細な気遣いの集積としてつくりあげている点については、現在のところ、これ以上の映像は存在しないといってもいい。とにかく、ファンタジーをリアルな映像で描ききっているのだ。
 話としては、冥王の完全復活を阻止するため、冥王の力の元になる指輪を捨てに旅するという話だが、その旅のメンバーは途中で大きく二手に分かれる。片方はそのまま指輪を捨てに行くほう。もう片方は、軍隊を率いて冥王の軍勢の侵略を防ぐほう。後者は、古の王の末裔が人心を掴み絶対的に不利な状況から、何度も逆転勝利をおさめていくという、まさに王道ものだが、もう一方の指輪を捨てにいくほうが奇妙なのである。というのは、指輪を預かるフロドとその従者サムと案内人のフゴラムというパーティーなのだが、物語の主人公フロドに全然見せ場がなくて、従者サムにやたらと見せ場があるのだ。いや、最後の最後にフロドは冥王の指輪に心を虜にされてしまったりで、むしろダメなキャラなのである(彼は、彼なりに苦しんでいるのだが、やはりぱっとしないキャラなのである)。一方サムは、ゴラムが信用ならないことを終始見抜いていたり、捕まったフロドを一人で助けたりで、もうヒーローそのものなのである。フロドは明らかに二枚目の役者を使い、サムはちょっと太った感じの役者が使われている。こういう状況を考え、私が何を言いたいかというと、『ロード・オブ・ザ・リング』は、単なるすごい人の英雄物語ではなくて、すごくないような人、つまり映画を観ている私たちに近い位置にいるキャラクターにも活躍を作ってくれている。つまり、ただの英雄物語よりも、より私たちに何かを(例えば「勇気」)を与えてくれるように作られているということである。かっこいいすごいひとだけが何かをできるのではなく、一見ダメな人がそれよりもすごいことをできることも当たり前なのだと。そういう意味で、私は、『ロード・オブ・ザ・リング』はおもしろい、良い映画だったと言いたい。いやいや、もうおなかいっぱいです。
 ただこの映画、ヒロインは微妙。てーかひたすら男ばかり。

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庄司卓『トウィンクル☆スターシップ』10巻

2006-04-05 | ライトノベル
 大人気、ラブすぺの二桁目。サブタイトルが「23、4なんてまだまだ小娘よ」。一年間の実習航行を行う宇宙船は、搭乗者の男女比が、男1人に対して、女4999人という超絶”神”設定のライトノベル。
 もうすでに、女の子の名前を覚えきれない域に達しているのだが(現在40人強)、それでも毎回登場女の子の数が増えていく…。作者自身、女の子を書き分ける限界に挑戦していると宣言しているし。
 さて、いかにも、萌え萌えな設定のライトノベルだが、作者の庄司氏は、そういったネタで読者を引っ張りながら、裏で黒い人たちが動きまわっている、実によくできたシナリオを作ることで、筆者はファンである。SF設定もちゃんと構築されているし、登場人物同士の関係もちゃんと考えて作られている。だから、表紙や売り込み方という見た目の軽さにくらべて、ずいぶん内容がハードなのですよ。ある意味では、ライトノベルというよりもギャルゲーっぽい部分がある。そういう意味でも興味深い作者であり、ラノベです。
 とは言え、今回は、今後の展開のための布石というような感じで、毎回繰り広げられている陰謀合戦や、サスペンスっぽい話の運びの濃度は薄め。全体から見れば、特に話が進んでいない巻かと。そういう意味では、ちょっと刺激にかける。なんだか文体も説明文調っぽいし。そんなわけで、急展開必至の次巻に注目。あ、巻末のおまけマンガはそこそこいい感じでした。

 ところで、一説には60本あるという、新アニメ番組の多さに辟易。来週までには、おすすめ番組をここに載せようと思うのだが、そもそもカバーしきれない。というか、HDDレコーダーもビデオデッキも、TV機能パソコンもない環境で、今の深夜放送アニメ攻勢に立ち向かうのは不可能です。おすすめアニメがあれば、おしえてくだされば幸いです。

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riya『Love song』「セカイ系という美学」

2006-04-05 | 音楽
 今日、筆者は霊園で桜を見ながら散歩をしていたのだが、そのときに聴いていたのが、Key sound Lebelから発売された、riyaのCDアルバム『Love song』である。普段あまり聴かないCDであるが、薄暮の霊園に咲く桜の雰囲気とあいまって、胸に迫るような印象をもった。つまりは、セカイ系とはこういうものだと。
 セカイ系について語るならば、空虚さ、恋愛=世界、青春、青臭さ、儚さ、世界の終わり、などなどのキーワードを経由してみたいものだが、要は世界と私(実存)の価値が等価になった一種の実存主義だと筆者は考えている(この辺りは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』に影響を受けている)。『Love song』でも、失恋と世界の終わりというモチーフが執拗に重ねられて歌われている。それは、一種の耽美的なものの世界観であり、空虚な世界と僕(実存)はそれ自体では価値を持たない。そこで、空虚なものに価値を代入するための媒介項として持ち出されてくるのが、恋愛なのである。なぜなら、「恋愛」だけが、「リアル」なものでありうるからである。そして、その「リアル」さとは、失敗の可能性である(例えば、仕事上の失敗なら、人のせいにすることもできるが、失恋ならば、人のせいにすることは限りなく困難であることから)。
 まあ、そんな理屈はともかく、『Love song』は同じくriyaの歌う『CLANNAD』のOPテーマ『メグメル』、『最終試験くじら』のOPテーマ『ディアノイア』ほどの名曲はないものの、時々思い出したように、雰囲気に浸るにはかなりいいCDだと思う。もっとも、その雰囲気とは、セカイ系のことなのだが。

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