哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

『LEON 完全版』「ロリコン、あるいは大人になれないこと」

2006-04-03 | 映画
 殺し屋と少女の純愛、という売り文句で今日でも傑作で知られている『LEON』だが、そのイメージはかなり間違っているのではないかと、筆者は考える。というのは、レオンは、彼自身が「それ以来、一度も街をでていないし、誰にも恋をしていない」というように、大人の男性ではなく、少年の心をもった殺し屋だからである。だから、このセリフが言われる前までは、少女・マチルダに振り回される、ダメな中年親父にしか見えない。というか、彼の見せ場は、冒頭の襲撃シーンと、終盤の警察との篭城戦以外にはほとんどない。つまり、レオンが少年であることを見通せなければ、この映画はちょっとイカれた12歳の女の子に振り回される、ロリコンダメ親父映画、という評価にしかならないのである。一方で、悪役のスタンフィールド(ゲイリー・オールドマン演)は本当にやばかった。ある意味、主役はこの人である。これほど、やばい悪役は見たことがない。ちょっと精神病に見えながらも、現実見当識を失っているわけではなく、異常と正常のバランスのとり方が異常なのである。
 この映画、筆者には殺し屋としての生き様については、ほとんど描いてないように思える。殺し屋を観たいなら、以前紹介した『Phantom INTEGRATION』のほうがよっぽど良く描かれている。なぜなら、繰り返すようにレオンは少年だからだ。マチルダも、レオンの手伝いをしながら、結局直接手を下したわけではないし(マチルダが泣きながらスタンフィールドを滅多撃ちするような展開もありだっただろう)。そういう意味で、あるいはこの映画は過剰にロマンティックなのかもしれない。少女を守る少年と少年を守る少女の悲恋物語。レオンはロリコンではない、なぜなら、彼は少年のままだったのだから。

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「FOMA STICK」 ふたたびのレビュー

2006-04-03 | グッズ
 この前「FOMA STICK」の紹介をしたところ、案外アクセスが増えたので、もう少しだけ付け足してみる。というのも、このBlogにしては、珍しく写真に撮れる題材だったため、せっかくだから画像掲載の練習も兼ねてということであるが。

 写真には、サイズ比較のため、「FOMA STICK」(SO902i)と「premini」(SO213i)とメモリースティック・デュオを並べてみた。「FOMA STICK」は、もちろんSONY伝家(電化)の宝刀メモリースティック・デュオに対応している。「premini」は、現在世界最小(のはず)の携帯電話だが、それよりも、ふた周りほど大きくなっている。一方で、デザインは確かに継いでいる。ちなみに、トップ画面は、SONYのケータイサイト「SO@Planet」から無料でダウンロードできるカレンダー。Flashで少しだけ動く。あと、ストラップは、「MONO COMMCA」の安物。一年くらい前に買ったものだが、「premini」につけていたものをはずして、そのまま移行。
 最近使ってて気になったのだが、ナンバーボタンがかなり下寄りについているので、「0」とその左右のボタンが少し押しづらい。普通に本体を掴みながらだと辛いので、筆者は人差し指と中指あたりで本体を掴みながら、ストラップを薬指と小指ではさんで本体をホールドし、ボタンをうっている。ボタン自体は、波打つように凹凸が作られているので、ボタンが引っ込んだスライド式ケータイなどよりは打ちやすく、安心感もある感じだ。写真ではわからないが、本体側面には緩やかなV字状の溝があり、そこに指の腹を置くと持ち心地がいい。改めて触ってみると、手にしっくりとフィットするのだ。本機は、FOMAにしては軽く(約102g)、二つ折り式のようなメカニズムにデザインを制約されずすっきりしているので、ネックストラップで胸元にかけてもいいが、筆者としてはケータイをぶらんぶらんしているのはあまり様の良いものではないと思うので、お勧めはしない。こんなところか。参考にしていただければ幸い。

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『攻殻機動隊 Stand Alone Complex The Laughing man』

2006-04-03 | アニメ
 「我々の間に、チームプレーという都合のいい言い訳は存在しない。必要なのはスタンドプレーの結果として生じる、チームワークだけだ」『攻殻機動隊 Stand Alone Complex The Laughing man』より、荒巻大輔の言葉。

 『攻殻機動隊 Stand Alone Complex The Laughing man』はシリーズ第三作『攻殻機動隊 Stand Alone Complex Solid State Society』の製作も決まった『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』シリーズ第一作の総集編。30分×26話を2時間に収めている。
 冒頭に引用した言葉は、筆者にとって興味深い物である。というのは、筆者が依拠するドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの社会(システム)観がまさにこのようなもの、つまり、社会の個々の要素がそれぞれに事実的な作動をなすことが、結果として、全体社会の成立をなす。全体社会が、なんらかの統一的な基準に基づき秩序をなしているのではない、というふうな(あまりよくわからない場合には陳謝を。筆者もうまくまとめる言葉を思いつかない。誤解を招かねばいいのだが…)。とにかく、この作品は、アニメに限らずこれまであったどの作品とも異なる(かもしれない)社会観に基づいて製作された(かもしれない)ということをまず述べておきたい。
 さて、端的な評価としては、映画的なダイナミックスさや、派手な映像こそなかったものの、そのシナリオの複雑かつ精緻さ、そして現代社会を捉えるリアルさにおいて類をみないものだった。26話の連続アニメでは、作品を貫く最大の事件「笑い男」事件に関連しないエピソードをいくつか扱ったせいで、やや散漫な印象もあり、語り口も冗長に感じられた。が、今作で2時間にまとめられたおかげで、さすがに密度の高いフィルムに仕上がっている。そして、むちゃくちゃ難解。情報・メディア・ネット用語(例えば、「エシュロン」は米国が運営している(とされる)、電話、ファックス、電子メールなどを対象とする、世界的な通信傍受システム)や政治・経済用語が説明なしにかなり使われる。普通のアニメに使われている語彙と明らかに別の語彙から出来たシナリオだ。おかげで、SFやサイバーパンクとは思えないほど、現代社会に肉薄したリアルさを獲得しているように見える。誰も、現代社会とはこれだ、という風に明示して差し出すことはもはや不可能であるが、それでも、少なからぬ人々が、この作品に現代社会のリアリティを感じるだろう。サスペンス的な興奮などは感じられず、もはや心で感じるのではなく、頭で考える映画。快楽は(ほとんど)なく、理論が先行している。批評家・東浩紀の「郵便」論とも重なる部分もあり(笑い男が見つけた、一通の配達事故メール)、さまざまなモチーフを孕んだ野心的な一作でもある。作中で「Stand Alone Complex」と名づけられた、オリジナルなきコピーとは、最近増えている(らしい)ほとんど動機のない殺人や、自殺サイトと集団心中、内容のない文章を垂れ流している日記系サイトの乱立など、実がないのに、存在しない実をこそ確認する(探す)ためにやっているものとして、筆者には重なって見える(そして、このBlog、この文章がそういうものではないと誰が言えよう?)
 ただ、ちょっと気に入らなかったのは、全体的にドライな印象を与える作劇のなかで、公安九課のヒロイズムや草薙素子の女っぷり(笑)が演出されている点なのである。観客サービス、にしてはあざといかな、というのが筆者の印象だ。押井守版『攻殻機動隊』の、裸を見せていてもあくまでドライな草薙素子の印象とは対照的である。サイボーグの身体性など、感覚的な部分については、押井版『攻殻機動隊』には歯が立たない。作中のセリフにもあるが「頭でっかち」なのだ。押井版・草薙素子は、あくまでドライに描かれているからこそ、官能的なのである。
 近いうちに、第二作の総集編のレビューもするが、さて、第二作の終わりで、自作に続けにくいエンディングを作ったクリエイターたちが、今度はどんなシナリオを書くのか、実に楽しみである。

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