哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

庄司卓『トウィンクル☆スターシップ』10巻

2006-04-05 | ライトノベル
 大人気、ラブすぺの二桁目。サブタイトルが「23、4なんてまだまだ小娘よ」。一年間の実習航行を行う宇宙船は、搭乗者の男女比が、男1人に対して、女4999人という超絶”神”設定のライトノベル。
 もうすでに、女の子の名前を覚えきれない域に達しているのだが(現在40人強)、それでも毎回登場女の子の数が増えていく…。作者自身、女の子を書き分ける限界に挑戦していると宣言しているし。
 さて、いかにも、萌え萌えな設定のライトノベルだが、作者の庄司氏は、そういったネタで読者を引っ張りながら、裏で黒い人たちが動きまわっている、実によくできたシナリオを作ることで、筆者はファンである。SF設定もちゃんと構築されているし、登場人物同士の関係もちゃんと考えて作られている。だから、表紙や売り込み方という見た目の軽さにくらべて、ずいぶん内容がハードなのですよ。ある意味では、ライトノベルというよりもギャルゲーっぽい部分がある。そういう意味でも興味深い作者であり、ラノベです。
 とは言え、今回は、今後の展開のための布石というような感じで、毎回繰り広げられている陰謀合戦や、サスペンスっぽい話の運びの濃度は薄め。全体から見れば、特に話が進んでいない巻かと。そういう意味では、ちょっと刺激にかける。なんだか文体も説明文調っぽいし。そんなわけで、急展開必至の次巻に注目。あ、巻末のおまけマンガはそこそこいい感じでした。

 ところで、一説には60本あるという、新アニメ番組の多さに辟易。来週までには、おすすめ番組をここに載せようと思うのだが、そもそもカバーしきれない。というか、HDDレコーダーもビデオデッキも、TV機能パソコンもない環境で、今の深夜放送アニメ攻勢に立ち向かうのは不可能です。おすすめアニメがあれば、おしえてくだされば幸いです。

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riya『Love song』「セカイ系という美学」

2006-04-05 | 音楽
 今日、筆者は霊園で桜を見ながら散歩をしていたのだが、そのときに聴いていたのが、Key sound Lebelから発売された、riyaのCDアルバム『Love song』である。普段あまり聴かないCDであるが、薄暮の霊園に咲く桜の雰囲気とあいまって、胸に迫るような印象をもった。つまりは、セカイ系とはこういうものだと。
 セカイ系について語るならば、空虚さ、恋愛=世界、青春、青臭さ、儚さ、世界の終わり、などなどのキーワードを経由してみたいものだが、要は世界と私(実存)の価値が等価になった一種の実存主義だと筆者は考えている(この辺りは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』に影響を受けている)。『Love song』でも、失恋と世界の終わりというモチーフが執拗に重ねられて歌われている。それは、一種の耽美的なものの世界観であり、空虚な世界と僕(実存)はそれ自体では価値を持たない。そこで、空虚なものに価値を代入するための媒介項として持ち出されてくるのが、恋愛なのである。なぜなら、「恋愛」だけが、「リアル」なものでありうるからである。そして、その「リアル」さとは、失敗の可能性である(例えば、仕事上の失敗なら、人のせいにすることもできるが、失恋ならば、人のせいにすることは限りなく困難であることから)。
 まあ、そんな理屈はともかく、『Love song』は同じくriyaの歌う『CLANNAD』のOPテーマ『メグメル』、『最終試験くじら』のOPテーマ『ディアノイア』ほどの名曲はないものの、時々思い出したように、雰囲気に浸るにはかなりいいCDだと思う。もっとも、その雰囲気とは、セカイ系のことなのだが。

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