哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

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クリシュトフ・キェシロフスト『殺人に関する短いフィルム』

2006-04-17 | 映画
 クリシュトフ・キェロフストはポーランドの映画監督。故人。筆者はかれこれ、4年くらい前からときどき思い出すようにこの監督の映画を借りて見ているが、未だに名前を暗記できない。カルト性の強い監督で、「映画監督のための映画監督」と呼ばれてもいるらしい。端的には、芸術的な映画を撮る監督。
 さて、この監督は、偶然をモチーフにした映画を撮ることが多いが、本作もそのひとつ。目的意識失った青年とイヤミなタクシードライバー、正義感ある若手弁護士の三人が、青年がタクシードライバーを理由無く殺してしまったために、つながりをもってしまう。作品全体に影が強調されて、いやーな感じ。入念な殺人描写や、悪意の混じる人々のやりとり。暴力をテーマとしているというが、本当にぐえっとくる。
 ところで、物語には必然が必要だが、だからこそ物語のはじまりには偶然が必要である。なぜなら、必然には論理的な繋がりが必要だが、物語の始まりには、その前がなく、したがって物語「以前」には繋がりようがないからだ(この繋がりをあえて求めると、『マクロス・ゼロ』など、『~ゼロ』のような、続編ならぬ前編が新たに製作されるわけだ)。したがって、偶然がなければ物語は始まりえない。より正確には、物語の始まりは常に偶然である。だから、物語の始まりに設定された「偶然」が、その物語の固有の値として最後まで機能するのだ。結論から言えば、物語のはじめにはどんな偶然をもってきてもいい。その代わりに、以後の展開においては論理的な繋がりが必要となる。だから、物語の途中において、なんらかの状態を達成したいなら、物語を逆算してその始まりとなる「偶然」を見出せばいい。もっと言えば、魅力的な偶然が始めにない物語は、後にも魅力的足り得ないだろう(たとえば、アニメ『かみちゅ!』では、第一話の始めで、何の根拠やエピソードもなく(つまり偶然に)、主人公・ゆかりが神様になったことが明かされる。その後には、誰もゆかりがどうして神様になったのか追求しないが、それは視聴者からしてもことさら追求することではないのだ)。
 しかし、すごい映画だ。カラーだがトーンがモノクロに近くて、フィルムの質感が荒かったりするせいか、今の映画には見られない、フィルムの厚みのようなものを感じる。また、純粋に映画をやっているという感じ。物語でも動画でも音楽でもなく、それらを足したものでもなく、ただ映画なのだ。まとめて観るには体力の要る映画監督なので、これからも思い出しつつ観たいと思う。

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