哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

riya『Love song』「セカイ系という美学」

2006-04-05 | 音楽
 今日、筆者は霊園で桜を見ながら散歩をしていたのだが、そのときに聴いていたのが、Key sound Lebelから発売された、riyaのCDアルバム『Love song』である。普段あまり聴かないCDであるが、薄暮の霊園に咲く桜の雰囲気とあいまって、胸に迫るような印象をもった。つまりは、セカイ系とはこういうものだと。
 セカイ系について語るならば、空虚さ、恋愛=世界、青春、青臭さ、儚さ、世界の終わり、などなどのキーワードを経由してみたいものだが、要は世界と私(実存)の価値が等価になった一種の実存主義だと筆者は考えている(この辺りは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』に影響を受けている)。『Love song』でも、失恋と世界の終わりというモチーフが執拗に重ねられて歌われている。それは、一種の耽美的なものの世界観であり、空虚な世界と僕(実存)はそれ自体では価値を持たない。そこで、空虚なものに価値を代入するための媒介項として持ち出されてくるのが、恋愛なのである。なぜなら、「恋愛」だけが、「リアル」なものでありうるからである。そして、その「リアル」さとは、失敗の可能性である(例えば、仕事上の失敗なら、人のせいにすることもできるが、失恋ならば、人のせいにすることは限りなく困難であることから)。
 まあ、そんな理屈はともかく、『Love song』は同じくriyaの歌う『CLANNAD』のOPテーマ『メグメル』、『最終試験くじら』のOPテーマ『ディアノイア』ほどの名曲はないものの、時々思い出したように、雰囲気に浸るにはかなりいいCDだと思う。もっとも、その雰囲気とは、セカイ系のことなのだが。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『LEON 完全版』「ロリコン... | トップ | 庄司卓『トウィンクル☆スター... »
最新の画像もっと見る

音楽」カテゴリの最新記事