哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

『ダイハード4.0』

2009-07-19 | 映画
ダイ・ハード4.0 [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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 「ダイハード」シリーズと言えば90年代を代表するアクション映画だが、その2000年版あるいはサイバー版の『ダイハード4.0』を観た。今度は、都市の交通システムや軍事システム、金融システム、さらに原子力発電を含めたエネルギー・システムを掌握したテロリストとの戦い。相棒はテロリストにクラッキング・プログラムのパーツを知らぬ間に作らされていた少年であり、マクレーン刑事と少年がが西海岸を移動しながら暴れまわるという話である。
 マクレーン刑事と言えば、「世界で一番不幸な男」と呼ばれるタフガイ(というかおっさん)で、サイバーな世界とは無縁なようだが、そこは相棒の少年がカバーし、アナログ全開の頭脳戦で戦っている。
 アクションシーンはもちろんド派手で、話の展開も実にテンポよく進むが、特に気に入ったのは「英雄」についての主役二人のやり取り。「英雄」なんて他にやるやつがいないから、嫌でもおれがやらなくちゃいけないというマクレーン刑事に対し、少年はそれでもやるあんたこそ英雄だというようなことを返す。なるほど、一度大きな事件を解決しただけの英雄ならまだいいが、運命的に何度も「英雄」の役を演じなければいけないとすると、とんでもない話だなあと。というのは、命をかけた決死の戦いを何度もしなくちゃいけないというだけでも大変どころではないし、ある意味「英雄」なんてものは社会や共同体に暗に「死にに行け」と言われたような存在である。生きて帰ってきたら良いものの、そうでなければ体よくただ犠牲や人柱にされたようなもので気付かれもせず、失敗すれば非難も集中する。そんな「運命づけられた英雄」になった本人も大変なら、家族や周りの人も大変で、マクレーン刑事は妻と離婚し、娘にも嫌われ、警察の中でも孤独なようである。しかし、最近やっていたアニメでも、社会のどこかには貧乏クジを引く人間が多かれ少なかれ引く人間は必要なわけで、それを意識的に引いているマクレーン刑事は大した人物だと、少年にならって言えそうである。
 ま、ド派手なアクション映画を見てスカッとしたい人には大のお勧め。

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