哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

『ダーティ・ハリー』

2009-06-21 | 映画
ダーティハリー 特別版 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ

このアイテムの詳細を見る

 だいぶ更新が空いてしまった。忙しかったのだ。映画は定期的に見てはいるのだけど。

 最近のクリント・イーストウッド・ブームでもう一作観た。彼の名を広めたダーティ・ハリーである。44マグナムを振り回す鬼刑事のその後のサブカルチャーにおける影響力がまず特筆すべきものだろう。実際に、DVDに収められていたインタビューにも、『ダーティ・ハリー』が後のアクション映画に与えた影響について、というよりもアクション映画としてのスタンダードになったことについて述べられていた。それくらいのシリーズなのである。

 物語は単純で、サンフランシスコを舞台に、ゾディアックという有名な実在の連続殺人事件であり犯人の自称であるものをモチーフにした、スコルピオという異常者と正義に燃えるダーティ・ハリーことキャラハンという鬼警部の死闘が描かれるというものである。面白いのは二点、当時のアメリカの犯罪に対する世論の状況と、それから生まれてきたキャラハンという刑事の人物造形である。どういうことかというと、DVDに収められたインタビューによれば、70年頃のアメリカの世論や犯罪の捜査や裁判においては、容疑者の権利が守られ過ぎていて、本来裁かれるべき悪が裁かれていなかったということである。この映画に登場する、スコルピオという犯罪者にしても、一度キャラハン警部が逮捕するのだが、死期の迫った人質の所在を犯人に自白させるために拷問まがいのことをしたために、犯行は明白であるにも関わらずスコルピオは何のお咎めもなく釈放され、マスコミに警察の捜査について批判し、世論の同情を得ているというものすごいことになっている。今の日本なら、世論が死刑を求めるような犯行であるにも関わらずである(死刑の可否については、今ホットだし保留しておくが)。
 そして、その現況に対するアンチテーゼとして造形されたのが、44マグナムを振り回し、犯人につきつけてロシアン・ルーレットまがいの脅しをかける、犯罪に対する怒りと暴力の化身キャラハン警部である。上記の状況の中で、犯罪に対する正義感から、かえって汚れ役ばかりを引き受けてしまう「ダーティ」ハリーである。この人物造形について、われわれはそのコピーを浴びるほどに見ているが(それほど影響力が強かった)、それにしても強烈で、正直なところ僕はシビれてしまった。というのも、かく暴力の化身であるようなキャラハン警部だが、スコルピオに袋叩きにされながら、しかし犯人を追い詰めていくほどにタフである。この袋叩き状況については、たいていクリント・イーストウッドは映画の中で毎回袋叩きな目に合っている。例えば、『許されざる者』しかりである。そういう風に、世の悪を暴力で追い詰めていくだけではなく、悪の暴力に耐える力や姿というのは、現実の不条理や理不尽を耐える力につながっており、まあ、アメリカン・保守主義なんだろうなあと、感心してしまうのである。なんというか、70年くらいの都市化したサンフランシスコを舞台にした映画だけど、保安官だのガンマンだのの世界のフロンティア精神をむんむんと感じてしまうのだなあ。そんなところで、良くも悪くもやられてしまう人は多いと思う。好き嫌いも多そうだし。まあ結局、タフガイが悪をパンチや銃撃で吹っ飛ばして終わり、という映画には違いないし。あれ、あんまり安易にお勧めできない映画だぞ。アクション映画の歴史を知りたいという人なら…。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『許されざる者』 | トップ | 『仮面ライダー555 パラダイ... »
最新の画像もっと見る

映画」カテゴリの最新記事