阪神間で暮らす

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テクノロジー再考を

2017-06-30 | いろいろ

賀茂川耕助氏の「耕助のブログ」より

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テクノロジー再考を

 去る5月、「ランサムウェア」と呼ばれるウイルスによる大規模なサイバー攻撃が世界各地を襲ったが、日本では大きな金銭的または人命にかかわるトラブルの報道はなく、被害は軽微にとどまったようだ。コンピュータがウイルスに感染したことによって病院で診察が受けられないなどの被害があったイギリスでは、セキュリティーシステムの更新を怠っていたというから、セキュリティー対策だけは今後さらに厳重に行っていくしかない。

 こうした「悪意ある部外者」が仕掛けるサイバー攻撃は、われわれが盲目的にテクノロジーを使って構築する未来に対する警鐘ともいえる。新しく登場するさまざまなテクノロジーをわれわれは空気のように受け入れているが、テクノロジーはもろ刃の剣である。非常に役に立つかもしれない一方で、大きな損害をもたらす危険性があるのだ。

 現代はあまりにもデジタル技術に依存しており、もはや使わない選択肢はないに等しい。学校でも職場でもコンピュータ利用が基本となり、仕事で人に見せる手書き文書は皆無といえる。同時に私生活においても、携帯電話やスマートフォンなどの利用を避けることは困難になりつつあり、それに合わせて政府や企業は国民や消費者にコンピュータの利用を求めてくる。

 電話が一般家庭で使われるようになるには30年近くかかったが、電子メールはずっと早く普及した。もはやメールなしには仕事ができないほど利用され、仕事を探す手段もメールである。メールを使える環境になければ就職も見つからない時代になったのだ。多くの人はコンピュータが欲しいからというより、それがないと社会から孤立したり疎外されるために所有しているといえるかもしれない。現代社会においてデジタル技術を使えないことは社会的弱者にもなりうるのである。

 コンピュータが社会に普及し始めたのは1980年代半ばごろ、まだインターネットはなく、仕事で使っている会社も多くはなかった。わずか20年ほどの間に劇的に普及したコンピュータだが、その特徴は、それが使えても中身の仕組みを理解している人はほとんどいないということだ。

 そんなブラックボックスが、経済活動や社会インフラ、行政機関など社会の重要な部分に位置している。送電設備もコンピュータによって制御されているが、サイバー攻撃で電力送電網が停止すれば、通信、輸送、流通、医療、そして原子力発電所の電気系統も止まりうる。金融機関のネットワーク機能が攻撃され記録が失われれば、ビジネスを継続する手段の喪失にもつながりかねない。セキュリティーに加えて、何らかの理由でテクノロジーが止まった時のためにバックアップシステムを持つことは必須であろう。

 人類はテクノロジーの進歩と共に歩み、多くの恩恵を受けてきた。それなしには社会生活が機能しないほど技術に依存するようになってしまった現代、テクノロジーの奴隷とならないためにも、我々はその使い方を再考する時期に来ている。
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