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「選挙は政策論争が大事」というバカの一つ覚え (抄) +

2016-07-20 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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「選挙は政策論争が大事」というバカの一つ覚え

 選挙と言えばメディアはバカの一つ覚えのように「政策論争をしろ」と言い、政策が最も重要な判断基準になるとの印象を国民に与える。しかし選挙には政策を選ぶ選挙もあれば人間を選ぶ選挙もある。

 東京都知事のように大統領型のリーダーを選ぶ選挙では政策もさることながら候補者の人間力を選択するのが世界の常識ではないか。間もなく本選挙が始まるアメリカ大統領選挙の場合、人間力を見極めるため候補者同士のディベートが行われる。ディベートは政策論争のように見えるが実は候補者の人間力を見極める機会なのだ。

 基本的にアメリカの共和党と民主党との間に大きな政策的差はない。共和党が「小さな政府」を、民主党が「大きな政府」を志向する傾向はあるが、それは絶対的なものではなく、人によって幅があり流動的である。安全保障政策などはほぼ同じと言って良い。

 これまでのアメリカ大統領選挙を見てフーテンが感じてきたのは、現職大統領に対抗する候補者は現職の親中国路線を痛烈に批判して選挙を戦う。ところが選挙に勝って大統領に就任すると次第に中国との関係を親密化する。すると次の大統領候補者もその親中国路線を批判し、それがまた大統領になれば中国との関係を重視する。この繰り返しである。

 つまり選挙で掲げた政策は当選すると現実の利害関係に左右されて変わるのだ。しかしだからと言って公約違反と非難されることはない。政治の現実は大統領のやれることが本人の意向通りでなくなることが十分にあり得るからだ。ただしその結果責任は甘受しなければならない。それがリーダーの務めである。

 問題は政策よりリーダーとしての資質があるかないか。それを見極めるためアメリカでは1年間という長期間の大統領選挙を行う。長い期間を戦う資金を調達できるのもリーダーになるための重要な資質である。また過去の不祥事やスキャンダルの追及を受けることも、マイナス面を持つことが問題なのではなく、そこからどう立ち直るかの人間力が試されるのである。

 そしてアメリカ大統領は独裁者ではない。議会のチェックを厳しく受けることになる。ただし官僚機構には自分と政策的に同じ人間を起用することができる。そのため大統領の交代によって政府の官僚機構も数千人規模で交代が起こる。しかし東京都知事にその権限はない。都知事が交代しても16万人の行政機構は微動だに動かない。

 ・・・・・。


別 Webより

 16万人の都庁職員は東京都が抱える問題に日夜取り組んでおり、ミクロな問題は彼らが最もよく知っている。したがって都知事の仕事とは個々の政策に執着するより全体を見てバランスを考え、時代が何を求めているかの方向を指し示すことである。

 メディアが言うように「待機児童問題」とか「都市防災」とか「東京五輪」とかの政策的差異を今回の都知事候補者から見つけ出そうとしても、中身的にはほとんど差のないものを「キャッチコピー」の違いだけで判断させることになりかねず、意味のあることだとは思えない。

 フーテンが社会人になった頃の東京都知事は美濃部亮吉氏であった。

 戦後の自民党単独政権が長く続く中、国政で政権の受け皿が見えないため国民は革新知事ブームを起こし、美濃部氏はその象徴であった。

 それまでの都政が戦後復興から都市開発に主眼が置かれていたのに対し、美濃部氏は老人医療の無料化など福祉や環境に力を入れた。 美濃部都政が12年続くと「福祉のバラマキ」が批判されるようになる。

 そこで自治官僚の鈴木俊一氏が財政再建を掲げて都知事になった。鈴木都知事は老人医療の無料化を見直すなど福祉の削減や職員の給与引き下げで財政黒字化を実現する。ここまでの都民の選択は時代にあった見事なバランス感覚を示したと言える。

 しかし鈴木都政も長期化すると都庁の新宿移転など箱物行政が顕著となり、財政は再び悪化、バブル崩壊の影響もあり鈴木氏は4期16年で都知事を退任した。国政では自民党が初めて下野して細川政権が誕生し、さらには自民党が社会党の村山富市氏を総理を担いで政権に復帰するなど激動の時代である。

 その時代に都知事に就任したのは放送作家の青島幸男氏であった。彼は1期で退任するが、政治混迷の時代を象徴する都知事と言える。 その後を受けたのが元衆議院議員の石原慎太郎氏である。

 石原氏はその4年前に「日本の政治は駄目だ」と永田町を痛烈に批判して政界を引退しており、突然の政界復帰であったが、都知事選出馬は練りに練った準備に裏付けられているとフーテンは感じた。

 当時フーテンはCS放送で政治専門チャンネル「国会TV]を運営しており、都知事選候補者の石原氏にも単独で番組の生出演をお願いした。そこで石原氏はかつてイデオロギー的に厳しく批判した美濃部都政を最大限に持ち上げ、「彼の環境政策を見習う」と言って、排ガス規制や霞が関批判を前面に打ち出した。

 フーテンは「政治家として一皮むけたな」と思った。

  ここまで戦後の都知事は美濃部氏までが「政府寄り」、美濃部氏が「反政府」、鈴木氏は前半が「政府寄り」だが後半は「反政府」、青島氏は「反政府」で、石原氏も最初は「反政府」である。それが石原都政が長期化すると「政府寄り」になり、続く猪瀬、舛添両氏はそのまま「政府寄り」の連続となった。 しかも猪瀬氏は石原都知事時代の副知事であり、それまでの都政を「変える」ことはできない。

 その後に自公に担がれた舛添氏も口では石原都政を批判するそぶりを見せたが、前任者の都政を乗り越える方向は示せないまま終わった。

 かつて都民が選挙で見せたバランス感覚はこの数年失われたままだ。

 そこで今回の選挙だが、フーテンが小池百合子氏と山口敏夫氏を「面白い」とブログに書いたのは、いずれも東京オリンピックの利権を問題にしているからである。もっと言えば森喜朗東京五輪組織委会長をターゲットにしている。

 メディアは都知事選挙である以上、都政全般の政策をテーマにせざるを得ないのは当然だが、しかし隠された裏のテーマがあるということだ。

 そういう視点も入れて主要3候補を見てみると、鳥越俊太郎氏は「反政府」で「反森派」になるだろう。増田寛也氏は「政府寄り」で「親森派」と看做される。そして小池氏は「反政府」で「反森派」のはずだが、自民党所属議員のままでいるところが気になる。

 ここは政治の世界のことだからもう少し観察する必要がある。
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