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哲学入門76 荻生徂徠 思想

2019-04-08 05:33:23 | 哲学の窓
白坂慎太郎先生の哲学入門

第76回、荻生徂徠 思想です。
 ここから https://www.youtube.com/watch?v=a0Y2lPqYWAY




今日は、近世思想史界の最大の大物、荻生徂徠です。




山鹿素行と伊藤仁斎は、メインは『論語』です。正確に言うと四書五経です。

荻生徂徠は


独学の人です。それがよかったのかもしれません。


論語以前の書物を研究しようとします。



その意味では、いかに幕藩体制が安定するかを考えていたのかもしれません。

朱子学は


荻生徂徠は、人間が作ったものを学問の対象としました。


特に、


経済の発想を持ち込みます。

個人の修養だけでな支配する側の学問を提唱します。



前回紹介した、丸山 眞男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952年/改訂版1983年)の主役は荻生徂徠です。

彼の考え方が分かるのは、赤穂浪士の処刑をどうするかの判断です。

「学者間でも議論がかわされ、林信篤や室鳩巣は義挙として助命を主張し、荻生徂徠は『四十六士の行為は、義ではあるが、私の論である。長矩が殿中もはばからないで罪に処されたのを、吉良を仇として、公儀の許しもないのに騒動をおこしたことは、法をまぬがれることはできない』と主張した。この荻生の主張が採用され、浪士には切腹が命じられた。『浅野は殿中抜刀の犯罪で死罪なのに、吉良を仇と言うのはおかしい。幕府の旗本屋敷に乗り込み多数を殺害する騒動には死罪が当然』というのが江戸幕府の見解ということになる。」とまとめられている。
  出典 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-150.html

 この中の、『四十六士の行為は、義ではあるが、私の論である。長矩が殿中もはばからないで罪に処されたのを、吉良を仇として、公儀の許しもないのに騒動をおこしたことは、法をまぬがれることはできない』
が、日本人が合理的思考になった象徴なのです。

それまでなら、「情」の世界です。朱子学による「君主への忠誠」です。

それを、荻生徂徠が『法治』の発想を入れました。

私は、ここに注目しています。
なぜなら、日本人は、えてして「法」より「情」を重視するからです。

その象徴が、古い話ですが江川事件です。
そしてこれまた古い話ですが、日本シリーズでの山井交代に対する落合監督への非難です。(これはおまけ)

また後日解説します。

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