*ハンドメイドでリラックス*

ハンドメイドは生活の癒し♪自営業夫をサポートしながら、ゆったりのんびり、チクチク編み編み。時々ボヤキも…

納骨式の旅〜その3

2024年08月05日 | お出かけ
父の実家の縁側から撮影。従兄夫婦が世話をしてる田んぼや畑が広がっています。穂が出始めできたので、水温が上がらないと良いなぁと言ってました。
毎年送ってくれるお米はここから来るんだと実感です。
前方の人影は弟。50年ぶりくらいに近辺を探検中。父の実家は築150年の平屋。修繕やリフォームを重ねながら、外観はほぼ昔のまんま。



一晩ホテルでゆっくり過したワタシは、早めに駅へ向かい、読書しながら家族の到着を待ちました。

墓地がある父の生誕地は、世界遺産に指定されている平泉。
昔から寂れた駅だったけど、少しずつ整備されて、明るい駅になりました。

でも相変わらず人影は少ないなぁ~

そう、世界遺産見物は駅利用者よりも観光バスが多い。
しかも宿泊施設が少ないので、立ち寄る程度の観光地です。

父の実家から徒歩圏内の中尊寺や毛越寺は、幼い頃は庭のように遊んでいた場所。もっと他にもあるはずと、大人になってから散策して歩きました。
きらびやかな場所ではないけどね。

今回、何十年かぶりの平泉駅でしたけど、団体でバタバタ移動した為に、シャッターチャンスを逃してしまいました。
次回はまた一人旅でじっくり眺めてみたいと思います。

さて、一路墓地を目指す我ら。
実は墓地の名称やら住所がよく分かっていません😆
なぜなら、その土地の方しか入ることができない、町営墓地なんです。
なんとなくあそこらへん…と、建物の名称を言うと、地元の人なら分かってくれる場所。
タクシーの運転手さんにも、そんな曖昧な伝え方で無事に到着出来ました。

両親の親戚と我が家族たち含めて、総勢20人ほどで納骨の立ち会いをし、父は18年ぶりに母と並ぶことができました。

都会では考えられない区画の広さ。施工打ち合わせが大変でした。ここをこれからは姉弟で守っていかねばなりません。

「仲が良かったという印象は無かったよね」と、弟達も話ていたけど、施設に入った母を頻繁に訪れて見舞っていました。
「苦労させたから、最後まで面倒をみる」と言っていた父。
母を見舞いながら、いろんな後悔があったのでしょうか?
昔の人は、あまり気持ちを話さないので、そこら辺はよく分かりません。

納骨後は、親戚一同と会食。
親戚の列席がない家族葬だったので、別途このような機会を設けました。

田舎では、葬儀関連の行事が1週間ほど続くのだけど、コロナ禍以降、自宅での葬儀は減り、このような会食も無くなって来たそうです。
それはそれで手間もなくて良いけど、人との繋がりは無くなってしまうのでは?と懸念も生まれます。

昨今、お祝いごともごく身内だけということも増え、親戚一同と顔を合わせる機会がめっきりなくなりました。

もしかしたら、今後このような顔合わせは無いかもしれないけど、ここにお墓があることで、親戚の誰かは来てくれることでしょう。

納骨式の旅の締めは、会食後に立ち寄った父の実家で思い出話を聞くというオマケ付き。

大工でありながら建具も作っていた父は、実家の甥っ子や姪っ子に机を作ったそうです。
70年経った今も現役で使ってるそうな。
我が家にも父が造作した家具があり、独立したムスコには小さなテーブルを作って貰いました。
他にもおもちゃ箱や棚等も。
ワタシの作業台は40年ものです。
でも1番の大作は、やはりワタシの実家でしょうね。築40年以上になりましたけどね

そんな思い出話と同時に、農家の今後の話やら今年のお米の様子やらと、数年ぶりの会話は尽きなかったけど、日帰りの我らはここらでおいとま。

青春18きっぷで夏休みを堪能すると言っていた弟達夫婦とも駅で別れ、ワタシ達家族は新幹線で帰宅しました。

電車乗り換えが嫌なオットは、懸念した通り新幹線乗車駅まで車で来たそうで、切符代が無駄になりました。
合わせて駐車場&高速代も余分にかかり、予算オーバーで困ったもんです。




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