☆2月10日。大阪万博記念公園へ行く。
新幹線、新大阪駅で降りて地下鉄にて千里中央駅へ。
そこから大阪モノレールに乗り換えて、万博記念公園で降り改札口を出ると、
万博記念公園の入場口まではすぐだ。
ゲートをくぐると真正面にまず、太陽の塔が待ち構えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1a/9b723f92861b1814371ff33eda637dc7.jpg)
1970年の大阪万国博覧会を、小学校六年生の時に観に来て以来、
41年ぶりにこの地へやってきた。
☆本当の事を正確に言うと1983年の七月に僕は、万博記念公園へ一度来ている。
デビッド・ボウィのシリアス・ムーンライト・ツアーをここで観たんだ。
ただ、その時は太陽の塔には会っていない・・・その頃、僕は23歳で
少年時代の憧憬などすっかり忘れ、
太陽の塔よりもデビッド・ボウィに夢中だったのだ。
もちろん、今でもデビッド・ボウィは好きだが・・・。
とにかく、今回はこいつに会いにここまで来たんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d8/c9d0b8027c9e4f55f9bdd2d8e60d3e50.jpg)
この変わらぬ存在感。
この塔は1970年の3月以来、ずーっとここに聳え続けている。
正面、真ん中が「現在の太陽」 / 頂上の金色の顔が「未来の太陽」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/27/cfd121892651837e7145ba816eff8e7e.jpg)
高さ70メートル/基底部分直径20メートル・・・
背面の顔は「黒い太陽」(過去の太陽)
☆太陽の塔をデザインした岡本太郎氏は1911年の生まれで
2011年の昨年が、ちょうど生誕100周年だった。
それを記念して昨年の三月八日から「岡本太郎展」なるものが東京で 開催された。
僕は9日に、その展示会を観にいったわけだが、
そこでとても深い感銘を受けた。言葉には出来ない、 衝撃的な絵画やオブジェの数々、
そして何よりも氏のデザインの根底にあった、
まさに血の沸くような熱く潔らかな、深いコンセプトに心を打たれた。
「何だ、これは!!」 有名な氏の言葉だが・・・
☆1970年の大阪万博の時に観た太陽の塔・・・
僕も「何だ、これは!!」と思った。そして一発であれに惹かれた。
とても残念な事だが、僕よりも五つくらい歳が下の子供たちだと
1970年の記憶があまりないかも知れないな・・・
それより下の歳なら万博そのものを知らないだろう。
かく言う僕もあと50年も経てば102歳になるわけで、
もちろん生きてなんかいないだろうし、大阪万博を知っている人たちも
ほとんど居なくなるだろう・・・
もし、太陽の塔がその時代まで壊されずに存在するのなら
その時代の人たちから見れば、まさに「何だ、これは!!」だな。
☆以下、岡本太郎氏の万博の太陽の塔についてのコメントを抜粋させて頂く。
「私の担当するテーマ館には、何か見る人の心の奥底に
グンとこたえてくる根源の重みをうちすえたい。
作りもの、見せものの強烈な色・光・音に、耳目がさらわれて、
存在としての人間が空しくなってしまっては意味がない。
未来への夢が浮き上がってゆく近代主義に「対決」して、
ここだけはわれわれの底にひそむ無言で絶対的な充実感をつきつけるべきだ。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/dd/b38e46c01ed43494340e5cdda01e9a23.jpg)
通路にあったガラス窓に写った太陽の塔。
☆とにかく前から観ても、後ろから観ても、その存在感にはため息が出る。
本当は、この塔の中がこれまた劇的に凄かったんだ・・・。
10歳の時に観た、塔の中の光景は一生忘れられない。
地球の誕生から、太古の昔、過去・現在・未来へと続く「命の木」を中心に
壮大なスケールの、氏のコンセプトがそこにあった。
残念ながら、僕がそういった氏のコンセプトを
本当にちゃんと理解出来るようになったのは、ずいぶん長い歳月が過ぎた後のことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fc/26058b38d1114cb0e3fea7ed892d08cc.jpg)
記念公園内で撮った一枚。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/05/5b3746254abcf46e88be444384f0563c.jpg)
EXPOパビリオンという展示ルームの中に、
当時のお祭り広場のミニ・チュアが飾られていた。
☆1970年の万博当時、太陽の塔はこのように、
天井を突き抜けて、空に向かって聳えていたんだ。
このとてつもなく大きな違和感と、なのに不思議と調和している圧倒的存在感。
20世紀少年たちの多くが、この圧倒的存在感に惹かれたのだった。
ずーっと変わらずこの場所にあって欲しいと切に願う。
そして大阪へ帰ってきたときには、時々はこいつに会いにこようと思う。
そうだった・・・此処が僕のもう一つの原風景だ。