にこにこぷん

今日はどんな一日だったかな
2009年8月、’11年8月、’13年7月、’15年10月生まれ
1男3女6人家族です。

3.11 忘れずに、絶やさずに。

2014-03-11 18:06:31 | つれづれ
今日はどこのテレビやラジオでも番組やってましたが、震災から3年という日です。
3年前の私は、長女の1歳半健診が終わって帰宅の途中の路上、ついでに息子を妊娠6か月でした。
震災当日の思い出

あの震災から、自分がいかに恵まれた環境にいるかということを思い知り
無駄をしないようにと再度心に誓いました。
そして『生きてるだけでまるもうけ』と本当に思いました。

出無精で面倒くさがりな私を奮い立たせてくれ、マンションで救援物資を集めてまとめて送付したりできました。
それも、自分と同じように小さい子供連れだったり妊婦さんだったりは
被災地でどんなにか心細く、不便でつらい状況におかれているのだろうかと
思いを馳せ、胸が苦しくなったからです。
救援物資送付のこと

そして旦那さんは2度、災害ボランティアとして、弟と、また友人と、何のつてもなく飛び込んでいきました。
色んなこと考えました。無事帰ってこられる補償もないし・・。でも信じるしかない。
アウトドアとかの趣味も、今までやってきた建築関係のことも、今やっている福祉関係のことも
全てがフルに活用できたようで、ほんの少しでも誰かのお役にたてて良かったなと思っています。
知人友人に軍資金としてカンパを募ってかなり沢山の方々に協力してもらえて感謝もしています。
災害ボラ1、1011

これは話がそれるけど、旦那さんが災害ボラから帰ってきてから数日後、旦那さん仕事中に当時1歳7カ月の長女に窓の鍵しめられて私ベランダに締め出されたっけなぁ・・

私は現地に出向いたり大金を寄付したりできないので、自分でできることをせっせと探し、「給食袋を縫って届ける」というものをやったのでした。

しかし二度目の災害ボラへ送り出す前には悩んだりもしました新しい寝袋を購入したりも。でも腹をくくり送り出せて、無事帰ってきてくれました。

正直、このころほど『自分には何ができるだろうか』と考えることもだいぶ減ってしまっています今。
でも自分の人生においてかなり考え方変えられた出来事でした。
若かりし頃「生きるのめんどくさい」とか思っていた根暗っこでしたがそれも今になって反省。
「生かされている」と思えるようになりました。
このわずかな経験でも私たちは忘れずに、そして後世に伝えていかねばならないと思っています。
自分の子供たちにも、サバイバル能力をあげて、精神的にもタフな人間、どんな状況でも諦めない強い人になってもらいたいなと思ったのでした。
成績うんぬんはこの際どうでも良いわ~


沢山の命のご冥福を祈ります。

クロサワ楽器店YZ Factory(ヘアアクセサリー)