文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そのジョーカーは、御簾の向こう側にあってこそ、いざというときにその役割を果たす。しきりに前面に出てきて、イギリス王室のように振る舞うのはいかがなものか

2019年07月09日 16時00分22秒 | 全般

以下は前章の続きである。
天皇はジョーカー
堤 
皇室外交というけど、あまり皇室が前に出てくるのはいかがなものか。
かつてこんなことがあった。
朝鮮戦争が起こって、ダレスは吉田茂に再軍備を要請した。日本の戦力を使役したいからだね。
吉田は言を左右に一向に応じない。 
そこでダレスは、昭和天皇に近い松平康昌、渡辺武(大蔵官僚)らを集め、彼らを通じて「天皇外交」を試みる。
一種の二元外交だ。
その際、彼らを前にダレスは言う。
「トルーマン大統領のメッセージをお伝えする。『わがアメリカは勝者の権利として駐留する。しかし、駐留はするが日本を守る義務は負わない』。これが大統領のメッセージだ」 
渡辺の回想録に出てくる話だ。
「駐留するけど防衛の義務は負わない」、これがのちに吉田茂が独りでサインした吉田安保だ。
それを「駐留するなら防衛の義務を負う」と改めたのが、岸信介が結んだ六〇年安保で、何の不都合もなかった。 
それはともかく、ダレスのように天皇と総理を天秤にかけて「二元外交」を画策する者が、今後とも内外に出てこないとも限らない。
憲法によって天皇は政治的権限を一切剥奪されているにもかかわらず、だ。
かつて三島由紀夫が俺に「天皇はジョーカーなんだよ」と言ったことがある。
トランプ・ゲームのオールマイティ・カードという意味だ。その言葉を駐日大使のライシャワーに伝えて、「大使はどう思われますか」と訊いた。
ライシャワーは「私もそう思う。今後も日本が危機に見舞われたときに、その役割を果たすでしょう」と答えた。 
そのジョーカーは、御簾の向こう側にあってこそ、いざというときにその役割を果たす。
しきりに前面に出てきて、イギリス王室のように振る舞うのはいかがなものか。
大衆天皇制という言葉で、三島は盛んにそのことを憂慮した。
久保 
そんなことを言うから、三島は天皇に嫌われるんだな(笑)。『月刊Asahi』によると、上皇陛下は学習院の学生だった頃、学友に「×××さんは民族主義的で嫌な政治家だ」とか「○○の書くものは嫌いだ」とか言っていたらしい。
伏字部分は朝日が自主規制したもので、松本健一がその後、「中曽根と三島だった」とわざわざ補足していますよ。 
「無私にして無為」という本来天皇が在るべき「無の場所」から一歩外へ出て、積極的に「私」を主張される皇太子時代の上皇陛下のスタンスは、その後も「新憲法を死守する」(『朝日ジャーナル』)発言や、即位後朝見の儀の「日本国憲法を守る」発言、一方的な「生前退位」発言と続き、歴代政権の悩みの種となった。 
たとえば平成二年五月、韓国大統領・盧泰愚来日の折、天皇陛下のお言葉をめぐって最も警戒し、かつ恐れたのは、明仁天皇がせっかく練りに練ったお言葉にアドリブで何か付け加えられるのではないかということだった、という話を政府首脳から聞いたことがあります。 
だから堤さんの懸念が今後、令和の皇室外交においても拭えないのはたしかなのです。
ただ、今回のトランプ訪日に関していえば、二千年の歴史を持つ天皇を象徴として戴く、世界には類を見ない日本の国家システムのプラス面が働いて、荒ぶる神を鎮める皇室の聖性みたいなものが見えて、安倍の政治外交と皇室外交が見事にハーモニーを奏でたなと、興味深く見たわけです。 
しかしこの問題の根本は皇室ではなく、政治(世俗権力)の側にあります。
つまり、国家の自立の欠如という戦後平和憲法の根本的欠陥をいじらずに、ということは国民主権に基づく自らの政治主体を真に確立することなく、「皇室外交」を前面に押し立て、もたれかかる形で、仮にそれが失敗しても「天皇の不問責」、その政治(決断)の失敗の責任を国民が皇室に問えないような現行憲法システムを自らの不決断・政治責任回避の隠れ蓑に利用しようとする、たちの悪い天皇の政治利用なのです。 たとえば、宮澤喜一が進めた天皇訪中劇はその最たる例でしょう。
何しろこの天皇訪中劇は、「経済発展のためには仮に憲法四条の定めた天皇の国事行為の逸脱であろうが天皇を利用して構わない」と考えた当時の自民党内最大勢力の田中派(竹下・金丸)と、「アジアの平和を守り、維持し、発展させ、平和憲法を守るためなら」として天皇訪中に賛同した戦後護憲・平和主義勢力である大部分の野党との事実上の”超党派”的合作だった。
驚いたことに、奴らにとってはその「崇高な目的」達成と日中友好親善とは同義だったのです。 
ここで僕が強調しておきたいことは、坂口安吾が『続堕落論』で書いたような「天皇制・皇室という日本の生んだ作品(道具)を政治の側か見事に使いこなす」ためにも憲法改正は必須かつ喫緊の課題だ、ということです。
この稿続く。

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