文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本は電力不足が常態化している。 これはかつて何十年も無かったことだ。

2022年07月03日 14時35分39秒 | 全般
以下は発売中の月刊誌「正論」に、脱酸素一本槍は自殺行為だ、と題して掲載された杉山大志の論文からである。
本論文も彼が戦後の世界で有数の研究者であり言論人である事を証明している。
同時に、本論文は2014年まで朝日新聞に支配されていた日本の全ての政党や官僚が如何に愚劣で低能な頭脳しか持ち合わせていなかったかを嫌と言うほど証明している。
彼らと世界のメディア等は似非モラリズムやポリティカル・コレクトネスを振り回して来た。
それがどれほど愚劣な事であり、国や世界に対して、どんな結果をもたらすかも本論文は証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
見出し以外の文中強調は私。
日本は電力不足が常態化している。
これはかつて何十年も無かったことだ。 
今夏も電力不足が予想されており、経済産業省は5月27日、電力需給対策を発表した。
電力会社には休止中の火力発電所の再稼働や燃料の追加調達を求める。
家庭や企業にはできる限りの節電協力を呼びかける。
罰則つきの電力使用制限令も準備されている。
なぜこんなことになったのか。
停止中の原子力発電を再稼働し、火力発電所が次々と休廃止されるのを防ぎさえすればよいはずだ。
だが政府は国民に我慢を強いるばかりで、抜本的な対策をとらない。 
これでは電力不足はますます深刻になり、経済活動に甚大な悪影響が生じる。なぜ日本はこんなことになってしまったのか。

電力は、消費される量と生産される量を常時バランスさせておく必要がある。これは「同時同量」の原則と呼ばれる。
図を用いて説明しよう。 

電力消費は、朝、人々が活動を始めると増え、昼間から夕方にかけてピークになって、夜になるとまた下がる、というサイクルを毎日繰り返す。
この電力消費と同量だけ電力供給が必要になる。 
発電所には様々な方式があるが、その役割分担は異なり、全体としての経済性を達成するように組み合わせて運用する。
これを「経済負荷配分」という。
まず、燃料費の安い原子力発電所や、燃料費の要らない地熱発電所は24時間フル出力で運転する。 
だが太陽光および風力発電所は天候によって常に出力が変動する。
そこで液化天然ガス(LNG)、石油、石炭などを燃料とする火力発電所は、電力需要と電力供給の差分を埋めるべく、出力を刻々と変化させることになる。 
水力発電は、雨量によっても発電量が変わるが、ある程度はダムから落とす水量を調節して出力を変えることもできる。
揚水発電はバツテリーのような機能を持つ。
即ちダムが上下に二つあり、電力供給が需要を上回った時には、上のダムに水をポンプで汲み上げて「充電」し、下回った時には水を落として発電機を回し「放電」する。 
さて、日本政府は2030年にはC02等の温室効果ガスを2013年比で46%減、2050年にはゼロにする、としている。
日本のC02排出の4割を占める火力発電所は、この脱炭素政策の最大の標的にされてきた。 
それに加えて、再生可能子不ルギー全量買取制度によって莫大な補助を受けた太陽光発電が大量に導入されたことで、火力発電所は休廃止を余儀なくされてきた。 
どういうことか。
太陽光発電が大量導入された結果、火力発電所の稼働率は下がった。
それで火力発電所の売り上げが減り、運転維持費すら捻出できなくなってしまったのだ。 
火力発電所が不足したため、需給が逼迫したときに、必要な供給力が確保できなくなった。
太陽光発電はもとより都合よく発電してはくれない。

この3月22日には東京電力管内では大停電一歩手前になったが、そのときも太陽光発電は殆ど発電していなかった。 
したがって電力の安定供給のためには、本来は、応分の対価を支払って稼働率が低下した火力発電所を維持する必要がある。
だが火力発電の優遇は「脱炭素」の方針に反し、また既存の電気事業者の発電所の維持に対価を支払うことは「電力市場自由化」の方針に反する、という風潮にあって、それが疎かになっていた。 

なぜ電力市場の自由化が行われたのか。
平成の初めまでは、東京電力や関西電力などがその地域のエネルギーを独占的に供給していた。
これでは電気料金が十分に下がらないと、電力会社を新規参入させて競争させることで利用者の利便性を高めようとしたのが電力の自由化だ。
当初は、供給力不足などは想定外だった。
だが結果として供給力不足が発生し、電気料金も下がるどころか逆に上がってしまったのだ。
この稿続く。





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