文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

経済発展さえすれば…いずれ民主化に向かうと真剣に考えていた…日本政府は実に、総額4兆円近い政府開発援助(ODA)を対中供与した 

2020年07月14日 18時52分26秒 | 全般

以下は、鄧小平マジックの終焉、と題して今日の産経新聞に掲載された論説委員河崎真澄の記事からである。
「これで鄧小平マジック もいよいよ終焉だな」-。  
日中外交に長年、携わってきた外務省OBはこういう。
国際社会から批判を浴びる中で、中国が香港への統制を強化する香港国家安全維持法(国安法)の施行を強行した問題を指す。  
かつて中国の最高実力者だった鄧小平。
その「マジック」には2つのキーワードがあると考えられる。 
まず1984年にサッチャー英首相(当時)と香港返還で取り決めた「一国二制度」と、次に92年に改革開放の路線を再び加速させようとして「社会主義市場経済」を強調した点だ。 
「一国二制度」によって香港に返還後も存続を認めた言論の自由など民主主義制度も、「社会主義市場経済」によって導入した需要と供給で価格が動くシステムも、共産主義の中国にとっては本来、矛盾するしくみだった。
だが鄧小平は弁証法的な考えで対立点を取り込み、新たな解決策を示すことで西側社会に「変化への期待」を抱かせた。 
文化大革命の政治混乱が終わり、78年末の重要会議で経済成長を優先させる改革開放路線に中国のカジを切ったのが、鄧小平だ。
日本のみならず欧米も80年代から90年代にかけ、経済発展さえすれば中国共産党政権も成熟し、国際社会と共同歩調を取るようになって、いずれ民主化に向かうと真剣に考えていた。 
日本政府は実に、総額4兆円近い政府開発援助(ODA)を対中供与した。 
中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟した。
日米欧などの民間企業は、これで中国が国際ルールを順守するようになると考えて対中進出し、あっという間に中国を「世界の工場」に育て上げた。
国内総生産(GDP)で10年に日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になった。 
中国の「中興の祖」というべき鄧小平が、どこまでその膨張ぶりを予想していたか分からない。
ただ、経済規模の拡大以外、中国は国際社会の期待をことごとく裏切り続けた。
ウイグル族弾圧の例を挙げるまでもなく、国内での強権政治を続けているのは明白だ。 
むろん1989年の天安門事件で、民主化要求デモを行った中国の学生らを武力で弾圧した鄧小平も同じく共産党の指導者だ。
鄧小平は結局、97年7月の香港返還を見ることなく、同年2月に92歳で死去した。 
鄧小平よりも毛沢東の時代を模しているとされる習近平共産党総書記(国家主席)は、中国が定めた法律を一方的に香港に適用する国安法施行によって、「一国二制度」という部小平マジックを自ら破壊した。 
このことは同時に「社会主義市場経済」も信頼が失墜したことを意味する。 
中国の経済成長は鄧小平が約束した制度上の透明性や、国際社会との協調意識があったからこそだ。
同時に中国国内でも経済成長と雇用拡大、個人の豊かさを約束することで、共産党一党独裁を人民に認めさせる暗黙の了解もあった。 
香港の「一国二制度」は返還後50年間、2047年まで保障されていたが、事実上、ほごにされた。
この先も国際社会でいったいどの国の政府が、どの国の民間企業が、中国に信頼感をもち、独善的な地位を続けることを許すだろうか。 
国際社会と中国のデカップリング(切り離し)が今後、急速に進むことは避けられそうもない情勢だ。      


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