以下は月刊誌Hanada今月号に、「骨を粉々にする」国賓とは、と題して掲載された門田Ryusho氏の論文からである。
*~*は私。
香港への弾圧が激しくなっている。
中国が建国70周年を祝う国慶節(10月1日)を期して、それまでにも増して容赦ない市民攻撃に出てきたのだ。
前日に銃の発砲基準が緩和された警察はさっそく国慶節の当日、18歳の高校生の胸を撃ち、重傷を負わせた。
病院に運び込まれた高校生は警官襲撃の罪で起訴された。
3日後には、デモ隊に囲まれ襲われた私服警官が発砲。
14歳の少年が太腿を撃たれ重傷を負った。
数日の間に未成年者が2人、警察の銃弾に撃たれるという事態は、デモ側に衝撃と怒りを呼び起こした。
十月に入って逮捕者は増える一方で、あっという間にその数が1000人を突破し、しかも多くが10代という異常事態となっている。
なぜ10代が多いのか。
そのことを考えると胸が締めつけられる。
いま香港で何が起こっているのか。
香港を覆っているのは、ひと言でいえば「絶望と哀しみ」である。
将来を絶望した香港では、コネのある人々はシンガボールヘ、アメリカヘ、カナダヘ、イギリスヘ、と香港を捨てる人が時を追って増えている。
無理もない。
50年間の移行期を経て、香港は2047年には中国に完全返還される。
香港返還の1997年、香港の人々は50年後には中国自体が民主化され、経済大国としてある程度の自由を享受する世の中になるだろうと考えていた。
だが、その楽観的な予測は完全に裏切られた。
自由化・民主化するどころか、独裁制はますます強まり、人権圧迫が苛烈さを増していった。
逃亡犯条例の反対運動に端を発して5年前の雨傘運動の敗北の教訓からも香港人は立ち上がった。
6月9日の100万人デモ、6月16日の200万人デモなど、北京政府への抗議行動は拡大していく。
しかし、外国へ移住する、つまり香港を去る人間が増えるにつれ、櫛の歯が抜けるようにクラスの仲間が“転校”していく。
その図を想像して欲しい。
親しかった幼馴染が消えていき、一方で中国からの“新移民”が増えていく教室。
心ならずも故郷・香港を去らなければならない側と、それを見送る側の自分。
生まれ育った地を捨てなければならない哀しみは、人間なら誰しもわかる。
それを多感な十代は香港政府、そして北京政府への怒りとしてデモにぶつけているのだ。
28年後、つまり自分たちが30代から40代になった時には、香港は完全に人権も自由もない地となる。
そのことを阻止しようともしない大人たち。
10代の怒りは、大人たちに向けられているのである。
*スウェーデンの16歳の高校生グレタは香港の若者たちの心情をこそ国連で述べなければならないのだ。だが彼女が、あるいはスウェーデンが中国を批判する事は決してない事は事情通は皆知っている事である。知らないのは、或いは知ろうとしないのは…つまりジャーナリストである事を最初から放棄している、正に似非モラリスト達だけだろう*
デモ隊の中で、最前線で闘う若者は“勇武派”と称され、平和と理性と非暴力を貫く大多数の“和理非派”と呼ばれるデモの人々とは一線を画す。
それは、その哀しみと怒りに対する純粋さの違いによるだろう。
香港基本法18条には、北京政府が「制御不能の動乱」と判断すれば中国の法律を香港で実施できることが規定されており、香港政府の要請に基づき人民解放軍が投入されることも可能なのである。
9月半ばから、デモ隊の“乱暴狼藉”を演出するために当局側の人間が民衆になりすまして火炎瓶を投げるなどの行為が目立つようになり、その数と規模は徐々に大きくなっている。
英国統治時代の緊急条例を発動して議会を通さないまま行政長官が「覆面禁止法」を制定したため、両者の憎しみはさらに増した。
なぜ大人は、そうまでして香港を潰したいのかー
若者の怒りは頂点に達している。
そんな最中の10月13日、中国外交部は極めて注目すべき発表をおこなった。
ネパール訪問中の習近平国家主席の発言を内外の記者団に明らかにしたのだ。
「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は、身体を打ち砕かれ、骨は粉々にされて死ぬだろう」
「中国の分裂を支持するいかなる外部勢力も、中国人からは“妄想”をしていると見られるだけだ」
身体を「打ち砕かれ」、骨は「粉々にされ」、そして「死ぬ」…この言葉を香港の若者はどう聞いただろうか。
中国共産党が続くかぎり、お前たちが自由と人権を得ることはないという宣言である。
もはや妥協点がないことを習近平氏は香港市民に突きつけたのだ。
日本は香港に関して10月15現在、何のコメントも発していない。
そして香港市民の「身体を打ち砕き、骨を粉々にする」人物を来春、国賓として招待する。
両陛下が歓待される宮中晩餐会の席に本当に習氏が現れるのだろうか。
にこやかに乾杯する姿を目撃した国際社会は日本をどう見るのだろうか。
毅然とせよ、日本!
*~*は私。
香港への弾圧が激しくなっている。
中国が建国70周年を祝う国慶節(10月1日)を期して、それまでにも増して容赦ない市民攻撃に出てきたのだ。
前日に銃の発砲基準が緩和された警察はさっそく国慶節の当日、18歳の高校生の胸を撃ち、重傷を負わせた。
病院に運び込まれた高校生は警官襲撃の罪で起訴された。
3日後には、デモ隊に囲まれ襲われた私服警官が発砲。
14歳の少年が太腿を撃たれ重傷を負った。
数日の間に未成年者が2人、警察の銃弾に撃たれるという事態は、デモ側に衝撃と怒りを呼び起こした。
十月に入って逮捕者は増える一方で、あっという間にその数が1000人を突破し、しかも多くが10代という異常事態となっている。
なぜ10代が多いのか。
そのことを考えると胸が締めつけられる。
いま香港で何が起こっているのか。
香港を覆っているのは、ひと言でいえば「絶望と哀しみ」である。
将来を絶望した香港では、コネのある人々はシンガボールヘ、アメリカヘ、カナダヘ、イギリスヘ、と香港を捨てる人が時を追って増えている。
無理もない。
50年間の移行期を経て、香港は2047年には中国に完全返還される。
香港返還の1997年、香港の人々は50年後には中国自体が民主化され、経済大国としてある程度の自由を享受する世の中になるだろうと考えていた。
だが、その楽観的な予測は完全に裏切られた。
自由化・民主化するどころか、独裁制はますます強まり、人権圧迫が苛烈さを増していった。
逃亡犯条例の反対運動に端を発して5年前の雨傘運動の敗北の教訓からも香港人は立ち上がった。
6月9日の100万人デモ、6月16日の200万人デモなど、北京政府への抗議行動は拡大していく。
しかし、外国へ移住する、つまり香港を去る人間が増えるにつれ、櫛の歯が抜けるようにクラスの仲間が“転校”していく。
その図を想像して欲しい。
親しかった幼馴染が消えていき、一方で中国からの“新移民”が増えていく教室。
心ならずも故郷・香港を去らなければならない側と、それを見送る側の自分。
生まれ育った地を捨てなければならない哀しみは、人間なら誰しもわかる。
それを多感な十代は香港政府、そして北京政府への怒りとしてデモにぶつけているのだ。
28年後、つまり自分たちが30代から40代になった時には、香港は完全に人権も自由もない地となる。
そのことを阻止しようともしない大人たち。
10代の怒りは、大人たちに向けられているのである。
*スウェーデンの16歳の高校生グレタは香港の若者たちの心情をこそ国連で述べなければならないのだ。だが彼女が、あるいはスウェーデンが中国を批判する事は決してない事は事情通は皆知っている事である。知らないのは、或いは知ろうとしないのは…つまりジャーナリストである事を最初から放棄している、正に似非モラリスト達だけだろう*
デモ隊の中で、最前線で闘う若者は“勇武派”と称され、平和と理性と非暴力を貫く大多数の“和理非派”と呼ばれるデモの人々とは一線を画す。
それは、その哀しみと怒りに対する純粋さの違いによるだろう。
香港基本法18条には、北京政府が「制御不能の動乱」と判断すれば中国の法律を香港で実施できることが規定されており、香港政府の要請に基づき人民解放軍が投入されることも可能なのである。
9月半ばから、デモ隊の“乱暴狼藉”を演出するために当局側の人間が民衆になりすまして火炎瓶を投げるなどの行為が目立つようになり、その数と規模は徐々に大きくなっている。
英国統治時代の緊急条例を発動して議会を通さないまま行政長官が「覆面禁止法」を制定したため、両者の憎しみはさらに増した。
なぜ大人は、そうまでして香港を潰したいのかー
若者の怒りは頂点に達している。
そんな最中の10月13日、中国外交部は極めて注目すべき発表をおこなった。
ネパール訪問中の習近平国家主席の発言を内外の記者団に明らかにしたのだ。
「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は、身体を打ち砕かれ、骨は粉々にされて死ぬだろう」
「中国の分裂を支持するいかなる外部勢力も、中国人からは“妄想”をしていると見られるだけだ」
身体を「打ち砕かれ」、骨は「粉々にされ」、そして「死ぬ」…この言葉を香港の若者はどう聞いただろうか。
中国共産党が続くかぎり、お前たちが自由と人権を得ることはないという宣言である。
もはや妥協点がないことを習近平氏は香港市民に突きつけたのだ。
日本は香港に関して10月15現在、何のコメントも発していない。
そして香港市民の「身体を打ち砕き、骨を粉々にする」人物を来春、国賓として招待する。
両陛下が歓待される宮中晩餐会の席に本当に習氏が現れるのだろうか。
にこやかに乾杯する姿を目撃した国際社会は日本をどう見るのだろうか。
毅然とせよ、日本!