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有吉佐和子が、背筋がぞうっとした男とは②…週刊現代7/30号から。

2011年07月18日 14時32分55秒 | 日記
菅直人と「複合汚染」歴史は繰り返す

ノンフィクション作家 青沼 陽一郎   文中黒字化は芥川。

…前章からの続き。

 背筋がぞうっとした

やがて著者が市川と合流したところで、青年グループのリーダーが演説をしている。それが菅直人だった。以下に本文を引用すると。

〈市川房枝を無理矢理ひっぱり出した青年グループというのは当時マスコミに喧伝されていた。数寄屋橋の袂に仮設した演壇の上で、彼らのリーダーが演説している。

「僕らがですね、再三再四、市川さんの出馬を要請しても、市川さんは紀平悌子という後つぎもできたことであるし、自分も齢だからといって頑として辞退し続けたんです。

ところが今年の正月に僕たち市民運動の会で餅つきをしたんです。市川さんも杵を振り上げてペッタンコペッタンコと餅つきをしたんです。それで僕たちは先生があんまりヒ手に餅をついたんで驚いて、こんなに元気なら引退することはないじゃないかって考えたんです。そして僕たちは市川房枝を勝手に推薦する会というのを作りました。ハンコは僕たちで勝手に作って届けようって相談していました」〉

これが74年当時の菅直人たった。一言一句が克明に記録されていて、いまの菅にも通じる口調の特徴がよく捉えられている。ネット上でもこの菅青年のくだりが脚光を浴びている。

ところが、著者はこの演説を聞いている最中に、支持者のひとりから、こう打ち明けられる。

「いま喋ってる男の子は菅さんつていうんだけど、市川房枝がどうしても駄目だったら有吉佐和子を勝手に立候補させようって言ってたのよ」

それを聞いた著者は、作中でこう述べている。

〈私は背筋がぞうっとした。それが本当なら危いところだった。それまで私は新聞で青年グループの存在を知り、親愛の情を寄せていたが、これは気をつけなくてはいけない。彼らに好かれたら私の作家生命が危くなる。(中略)私は彼らから嫌われる存在にならなければいけない。そう思いきめた。〉

当時のベストセラー作家による貴重な菅直人評だった。
また、当時81歳たった市川房枝を担ぎ、九州、沖縄、名古屋、大阪、東京、そして長野……と、日替わりで夏の日本各地を遊説して回らせる青年グループのスケジューリングについても、

〈殺す気かという言葉が喉まで出て来たのを私は呑み下した。青年グループ。彼らは若さにまかせて、市川房枝の年齢を忘れ、候補者の健康保持を忘れて、暴走している。〉と、酷評している。
そして、再び踊るフレーズ。

〈この若者にはどうしても嫌われたいのだ、私は。〉

…後略。

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