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鶴見俊輔、倉田令二朗、吉川勇一ら、任錫金問題で学士会館に於いて記者会見、「任氏逮捕に抗議し、亡命を政府に要求する

2017年01月10日 23時48分12秒 | 日記

「後日に書く論文の検証のために本多勝一を再検索してみた。」で始まる章で任錫均という名前を初めて知った。人類史上最大の図書館であるインターネットで調べてみれば、瞬時に、以下の貴重な論文が現れた。

自治会室に詐欺師が現れても不思議なことではない。1975年のある日、日本医大学友会室に鹿児島までの汽車賃が無いといって寸借に現れた男がいた。国民保険証書を差し出し担保にするからしばらく貸してくれという。しばらくの後に学友会費から貸し与えて、保険証は持たして男は立ち去った。そのまま男は姿をくらましたが、会計に穴を開けた処理はどうなったか、それは聞いていない。

1969年に京大出版会から<朝鮮問題叢書1>『大村収容所』朴正功任錫均)著が発刊された。
朴正功(任錫均)は李承晩によって刑場の露と消えるところを逃げおおせて玄界灘を渡って来た南朝鮮の革命家であるという触れ込みで、私を支持するものは革命的であり、支持しないものは反動であるとアジって学生の間を回った。

セクトなどは競って革命的に支持を表明したのではないだろうか。
北朝鮮をスターリニストの地とする評価は強く学生を覆っていたから、南からの革命家の出現は諸手を挙げて迎えたいところだった。
そのうちに、彼が大村収容所宛てのカンパを私物化しているとか、女子学生に日本民族は朝鮮支配の原罪をしょっている、言うことを聞けば革命的とかで、勝手な振る舞いをしているとかが聞こえてきて、私の方にも京都から問い合わせがあったがその頃には姿を見かけなくなっていた。

北海道に妻がいるとも聞いた。
彼の別名だろう、『任錫金を支持する会』は1969年4月10日に京都・楽友会館で発足、40人が参加をしたとされ、8月23日、任錫金は再収容され、京都べ平連などが神戸入管に抗議した。

25日に関西各地のべ平連、華僑青年闘争委、中核派など、神戸入管前で500名が2回のデモをして2名逮捕。

鶴見俊輔、倉田令二朗、吉川勇一ら、任錫金問題で学士会館に於いて記者会見、「任氏逮捕に抗議し、亡命を政府に要求する」の訴えを発表。

27日に 任錫金、仮釈放。28日、札幌、東京、神戸、福岡などで任錫金問題の集会、デモ。神戸では1200名が参加、8名逮捕される10月10日、京都円山公園に関西各地から1万人参加の集会で任錫均の挨拶。

同氏のその後の顛末は知らない。


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