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中国の正体…ウソから生まれた人間不信の社会…「詐欺師だけが本物」の社会だから、人々はごく自然に「人間不信」になってしまう

2022年04月15日 21時12分55秒 | 全般

以下は2020年1月31日に出版された、中国の正体(黄文雄)、からである。
黄文雄さんが世界有数の中国通の学者である事は既述の通り。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
P131~p138
◎ウソから生まれた人間不信の社会  
「詐欺師だけが本物」の社会だから、人々はごく自然に「人間不信」になってしまう。
当然、信頼関係は成り立たないので、一匹狼のみが生き残る条件になり、さらに自己中が加わって中華思想が生まれたのだろう。
また、そういう社会の仕組みから、ウソが生きるための必要不可欠の条件となった。
そんなメンタリティが国風となり、国魂にまでなったのである。こういう社会のエートスから言行に現れるのは、ウソにまみれたビヘイビアしかない。
もちろん、それは現代中国だけではなく、古代からすでに人間不信の社会だから、伝統文化にもなり、「騙文化」とまで呼ばれる。
戦国初期に活躍した孟子は、惻隠の心を以て「性善説」を説いたが、後輩の筍子は「人間が性善なら、なぜ教育が必要なのか」という疑問から、そのアンチテーゼとして、「性悪説」を唱えた。
筍子の弟子とされる韓非の不朽の名著『韓非子』は、「不信の人間学」とまで呼ばれ、人間の本性について、じつに理路整然と説く。
マキャべリの『君主論』より約2000年も前に、人間に対して、このような冷静にして非常な洞察力をもっていたとは驚く。
だから、やはり「早熟」というほかはない。秦王政(後の始皇帝)は、この本を読んで、すっかり韓非に心酔した。この著者に会って死んでも悔いはないと嘆いたエピソードまである。
私が小中高校で学んだ国史(中国史)は、誰が誰を殺したといった戦争や易姓革命の歴史がほとんどだった。
だから、歴史とは「殺し合いの歴史」だと思い込み、試験のために暗記ばかりしたものだ。
人間不信の社会だから、「男子門を出ずれば、7人の敵あり」という諺どころではない。「門前の虎」や「後門の狼」がうようよいるのだ。
それ以上にこわいのは、「門内」である。女子は男子どころではなかった。
門を出なくても、門内では骨肉の争いが繰り広げられたからだ。それがいちばんこわい。
ことに中国社会では、古代から氏族、宗教、「家天下」とまでいわれる一家一族の天下だから、一家一族の絆は強いという「家族主義観」を常識としてもっている。
しかし、それは常識であっても、決して「良識」ではない。一家一族にこだわるあまり、親族間の利害関係から権力争いに発展することも日常茶飯事だ。
中国では「妻まで敵」ということを知る人は少なくない。しかし、所詮「夫婦は他人」だ。中国では、親子、父子、兄弟姉妹の争い、いわゆる骨肉の争いが日常的だ。
というよりも、利害関係がからむと必然的に起こるものである。母と子、父と娘でさえ、例外ではないのだ。
比較的よく知られるのは、則天武后が娘を殺して、皇后と正妃の座を争い、自分の腹を痛めた皇太子まで殺したことである。
唐の中宗は、妻の章后と娘の安楽公主の母娘に謀殺された。父と子、母と娘であっても、お互い油断はできない。何かの拍子にこわい存在になる。決して「妻まで敵」だけではないのだ。
中国史を読むかぎり、骨肉の争いは決して希有や限定的な歴史ではなく、伝統の国風である。
ことに上にいけばいくほど、骨肉の争いがより激しくなり、数万人もの人間が巻き添えになることもあるのだ。
九族まで誅殺されることも少なくない。それが歴史の掟であり、定めでもある。
ニセ書類、ニセ札、ニセ学歴と、ニセモノなら何でもある中国では、ニセ銀行や周恩来のニセの公文まで登場した。
ニセモノが氾濫する社会だけでなく、「無官不貪(汚職・不正をしない役人はいない)」といわれる国である。
国富を私財に換える役人も跡を絶たない。御用学者の推定によれば、その総額はGDP(国内総生産)の十数%だが、実際はGDPの4分の1から2分の1にものぼるといわれている。
これでは政府不信、人間不信になるのも無理はない。
誰も信じないどころか、どこまで信じていいのか、何をすればいいのかさえ迷うことを「迷惘症」と呼ぶ。
これにかかっている中国人が多いので、中国は「迷惘症候群」の国といってもよいだろう。
もちろん、それは中国人独特の中国病であって、マルクス主義者たちがいう「人間疎外」やら実存主義たちが好んで語る「自己喪失」とも違い、仏教がいう「諦観」から生まれた中国人独特の「没法子(どうしようもない)」から生まれた定めでもあろう。
国家も社会も、人間に対する不信から、何をやっても情熱がまったく湧かない。こうして無関心、無責任、無気力の「三無主義」に陥るというわけだ。
巨大な権力に対しては、どうにもならないし、「改革開放」を口にしても、長い歴史伝説には、天命を受けた天子でも、偉大にして英明な赤い太陽でも、いくら「破四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を打破する)を口にしても、この国は神様の神通力でさえ、どうにもならない。
こういう自己喪失の国で生きていかなければならないということになると、人間は精神的におかしくなってしまう。もはや「迷惘症」どころではない。
中国では、17歳以下の青少年の約3500万人に何らかの精神障害があるともいわれる。
精神疾患の患者は中国全体ですでに1億人を超えているが、10~20年後には、4人に1人が精神を病むという。
北米では、中国人留学生が自分の滞在保証人を告発したり、自分か通う大学研究所の研究生と教授全員を射殺したりするという惨劇も起こった。
仲間や同志たちが次から次へと粛清される社会だから、その次は「私かも知れない」という不安も強い。
周恩来のように、頭が良く、巧みな処世術と老獪さで知られる人物でも、三重人格、つまり考えていることと囗にしていること、やっていることがまったく違う。
しかも国務院総理としてしか生き残れなかった。毛沢東の下で、周恩来は毛のたんなる奴隷でしかなかったのである。
毛との長い関係のなかで、周恩来は党の10大闘争(林彪失脚後の1973年に開かれた中共第10回全国大会で周恩来が報告した、過去10回にわたる党の内部闘争)のなかでも、うまくかわしつづけてきた。そして、劉少奇、彰徳懐、林彪といった「親密なる戦友」が毛沢東に粛清されるまでの行動を冷静に見てきたのである。
言辞婉曲、面従腹背、疑心暗鬼、狡猾、臆病、不誠実にして無責任、好奇心の欠如、天命に甘んじるーという中国人の性格を研究者は指摘する。
これらの性格は、長い長い歴史風土から生まれたものであろう。
なぜ中国人が日本に対してだけでなく、いかなる国に対してもあれほど「友好」ばかりを強調するのか。
それは人間不信の社会から生まれたパラドックスなのかもしれない。
そして、友好人士や友好商社としつこくつき合ってきた中国にとって、この「友好」についての解釈権はあくまでも中国側にある。
「非友好」と思い込んだら、昨日の友も今日の敵となるというわけだ。
毛沢東の友人には、お人好しの日本人かエドガー・スノーのような変わり者の西洋人しかいなかった。
自分の周りの人物に、いつ寝首をかかれるかわからなかったからだろう。
だから、北京・中南海の秘室で『三国志演義』を何度も読み、この次はどう勝つか権謀術数の手を磨いていたにちがいない。
親子も兄弟姉妹も、そして夫婦ですら、いつ密告されるか不安でならない中国では、国家や社会、人間を信用することができない。
自己中になるしかないのである。そこで中華思想がごく自然に生まれたのだろう。数千年来の伝統文化だから、人間不信のエートスが国風となり、国魂にもなった。
そこから生まれた中国人独自のメンタリティとビヘイビアは、歴史上の出来事だけでなく、いまでも人々の日常で多く見られるのだ。
中国には、次のような小咄がある。まさしく人間不信の社会を示している。
☆党幹部の女性秘書といえば、すぐに愛人だろうと連想する。
☆「打仮(ニセモノ追放運動)」と聞けば、すぐに「仮打(ニセのニセモノ追放運動」」
  を連想する。
 ☆商売人といえば、ごまかしを連想する。
 ☆役人といえば、賄賂を連想する。
 ☆仕事に奔走するといえば、「拉関係(実力者とのコネ)」を連想する。
 ☆工事といえば、腐敗を連想する。
 ☆サウナといえば、女性マッサージを連想する。
 ☆娯楽塲といえば、売春婦を連想する。
 ☆貪官(汚職官僚)といえば、匸一曷(愛人)」を連想する。
 ☆女富象といえば、パトロンを連想する。
 ☆女性との交際といえば、セックスを連想する。
 ☆出国考察(外国視察)といえば、すぐに観光旅行を連想する。
 ☆先進的成果といえば、すぐ「創作」したものを連想する。
 ☆人民の不穏を耳にすれば、すぐ演出を連想する。
 ☆ボランティアといえば、すぐ「出演料」を連想する。
 ☆薬品販売といえば、すぐキックバックを連想する。
 ☆事業成功といえば、すぐ脱税を連想する。
人間不信の社会は、政府不信だけでなく、社会不信、友人不信、家族不信にまでおよぶ。
建前と本音が異なるので、表面の出来事や現象をすべて疑いの目で見て、考え込む。そして、その裏に隠された真実を連想してしまう。
孫文は「中国人は一盤散砂(砂のようにバラバラ)だ」と嘆いた。孫文は同志からも信用されず、社会からも信用されなかった。嘆いたとしても、決して不思議ではない。
毛沢東でさえ、「もっとも親密なる戦友」の林彪に裏切られそうだった。同志を信じるとバカをみる。
中国人なら、そういう体験があるので、14億の民であろうと、16億であろうと、人間不信だから「一盤散砂」とならざるをえないのだ。
この稿続く。

 

 


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