以下は今月号の正論に「脅し」政策転換して 国民の信頼を得よ、と題して掲載された東京大学名誉教授唐木英明の、これこそ正論からである。
彼の正論は、日本のマスメディア(特にテレビ)の愚劣さ、卑劣さ、低能さも際立たせる。
以下は前章の続きである。
真実を隠すことで国民を誤解させたのはそれだけではない。
世界的に病床数が極めて多い日本において医療が崩壊の危機に瀕している最大の原因は、受け入れ病床の不足であることは述べた。
この問題を解決するのは政府と知事と日本医師会の責任だが誰も努力不足の責任を認めず、医療崩壊の責任をひたすら国民の努力不足による感染者の増加に転嫁している。
改めてこれまでの経緯を見ると第一波、二波と増減を繰り返しながら次第に感染者数が増加し、第三波で過去最大の感染者が出た。
このような事態は当初から予測されていたことであり、国は感染者の増加を抑制できないことを想定して、病床数を増やすことで医療崩壊を防ぐことを基本方針にした。
これまでの感染者数は最大で1日約8,000人であり、米国の200,000人、英、仏の50,000~60,000人と比べると桁違いに少ない。
欧米であれば規制を解除するレベルである。
この程度の感染者数で緊急事態を宣言する理由は、繰り返すが、病床不足のためである。
今回の緊急事態宣言も分科会、日本医師会、知事の要請であり、その目的は相変わらず医療崩壊の防止だった。
分科会会長は記者会見で感染状況を最も深刻なステージ4から3に下げるという方針を述べた。
ステージ4は病床占有率が50%以上、3は20%以上だが、もし病床数を2倍にすれば占有率は半分になり、同じ感染者数でもステージは下がる。
しかし今回も分科会会長は病床の確保については言及せず、一方的に国民の努力を求めた。
無症状者と軽症者の病院外療養を徹底し、病床を増やせばこの程度の感染者には対応できるのだが関係者は「できない理由」を並べて危機の回避に協力していない。
こうして国民は医療崩壊が自分の責任と思い込まされ、さらなる自粛に励まざるを得なくなった。
緊急事態宣言の負の側面
社会経済活動と感染防止対策の両立は重要で困難な課題である。
昨年は不安に陥った多くの国民が緊急事態宣言の発出を求めたのだが、その被害は甚大であり、経済損失は24兆円とも言われる。
さらに警察庁の統計によれば昨年10月の自殺者数は2,153人で7月から4ヵ月連続して増加し、例年より600人、40%も多く、女性だけ見ると80%も増えた。
増加の原因は新型コロナによる失業、家庭内暴力、自粛生活のなかでの孤立と精神的不安などが指摘されている。
政府は3次に及び総額76兆円の補正予算を組んだ。
ちなみに東日本大震災の復興予算は26兆円である。
問題はこのような大きな損害を伴った緊急事態宣言が何人の命を救ったのかである。
評価の対象は多くが軽症である感染者数ではなく、死者の数とすべきである。
1月中旬までの死者は5,000人弱で、大部分が慢性閉塞性肺疾患(COPD)、高血圧、心血管疾患などの基礎疾患がある高齢者である。
宣言により救われた人数の特定は困難だが、官言がなければ死者は倍増したと仮定しよう。
比較のため日本での年間130万人の死亡原因を見ると、がんが38万人、心疾患が21万人、老衰が12万人、脳血管疾患が11万人、肺炎が10万人、誤嚥性肺炎が4万人、基礎疾患の悪化による死者を含めるとインフルエンザが1万人などである。
そしてインフルエンザの対策費は厚労省の感染症・予防接種対策87億円の一部にすぎない。
このような状況を勘案すると、基礎疾患がある高齢者5,000人の救命のために、それに近い数の自殺者を出し、24兆円の経済被害を出し、76兆円の予算を必要とする対策が社会的に容認されるのか、インフルエンザで死亡する1万人には健康保険適用以外の対策がないこととの整合性はあるのか、厳密な検証が必要である。
高リスク者保護への転換を
第三波では病床不足による被害者が出てしまった。
入院が必要な感染者が自宅療養になり、症状の急速な悪化で死亡したのだ。
そして誰も病床不足の責任を認めず国民の自粛不足に転嫁されている。
感染者の増加に適切に対応するためには、これまでの対策の根本的な変更が必要である。
国の方針は感染者が増えたら自粛を強化し、減ったら緩和することだが、社会生活や経済活動が上向きになったところで規制を受けることを繰り返すこの対策に対して、国民の反発は大きくなっている。
さらに対策強化の必要性とタイミングについては常に意見が対立する。
それでは現在の対策より優れた対策があるのだろうか。
医療関係者を中心に、感染者数をゼロに近づけるべきという根強い意見がある。
その実現のためには中国のように厳重な都市封鎖と外出禁止措置、そして全員のPCR検査を長期間続けることが必要である。
しかしそのような極端な対策は国民が許容しないだろう。
そうなると、医療崩壊を起こさずに経済活動を続ける対策は一つしかない。
それは、最悪の事態は感染者の増加ではなく、死者の増加であることを思い出すことであり、対策を基礎疾患がある高齢者の保護に集中することである。
もちろん感染の増加を抑制する努力は必要であり、3密防止などの衛生対策は続けなくてはならない。
しかし高リスク者を保護すれば、若者の感染が多少増えること
はそれほど大きな問題ではない。
世界的に高リスク者のワクチン接種の優先度が高いのは同じ考え方に基づいている。
このような「選択と集中」により高齢者医療と福祉の大幅な改善が可能になり、現在よりさらに多くの人命を救うことが可能になるだけでなく、国民は一般的な感染対策を続けながらほぼ通常の生活を送ることができる。
また緊急事態宣言により引き起こされる経済的被害に対する補償よりずっと少ない財源で実施が可能であろう。
世界的に見ると日本だけでなく中国、韓国、オーストラリアなども感染者と死者が欧米とはケタ違いに少ない。
ということは、これらの地域の人々は新型コロナに耐性を持つ幸運に恵まれたのである。
この事実は、欧米では新型コロナは恐ろしい感染症だが、日本などではインフルエンザと大差がなく、だから日本は欧米とは違った対策が可能であることを示している。
これもまた、対策の変更が可能である理由である。
対応改善の兆し
今回の緊急事態宣言をきっかけに病床不足の解決策が次々に打ち出された。
受け入れ病院と医師、看護師への補助金の大幅な増額、病院に対して感染者受け入れを勧告するための感染症法の改正、医師や看護師に対してコロナ対応業務に従事することを厚労大臣と知事が指示・命令できるようにするための特措法の改正などである。
多くの病院が少数の感染者を受け入れるのではなく、大病院に感染者を集中するなどの任務分担の対策も始まっている。 「医療壊滅」という言葉で国民に警告した日本医師会長は、民間病院も感染者を受け入れるべきという記者の質問に対して、地域医療を支えているのだから受け入れは困難と答えた。
その後、首相は日本医師会長など医療関係団体の代表を集めて病床確保などの協力を要請している。
対策の改善は歓迎だが、なかには同意できないものもある。
感染者はすべて入院させるのだが、様々な事情でこれを拒否する感染者もいる。
政府は感染症法を改正して入院拒否に対して罰金や懲役刑を科すことを検討している。
これに対して日本医学会連合は「感染症対策は国民の理解と協力で行われるべき」として反対した。
市中には未発見の無症状や軽症の感染者が多数いる中で、運悪く見つかった人だけが入院させられ、拒否したら刑務所行きになることが果たして公正と言えるのかを考えても、この改正案は問題が大きい。
行政と医師会の責任は重い
以上取りまとめると、日本の感染者と死者は欧米よりケタ違いに少ない。
しかしそれは対策の成功ではなくアジア大洋州の地域的幸運の結果である。
対策については、対応病床も人員も不足し、入院ができずに自宅で死亡する感染者が出ている。
当初からの計画である医療体制の増強にほとんど取り組まなかった責任は政府、知事、日本医師会長にあるのだが、彼らはその責任を国民の自粛不足に転嫁し続けた。
戦時中、圧倒的な米軍の軍事力に国民全員が竹槍で立ち向かうことを求めた精神論の再現である。
最近やっと政府は医療体制の増強に取り組み始めたが、あまりに遅すぎたと言わざるをえない。
対策の不備として恐怖を広げるリスコミの問題点を述べたが、もう一つ指摘したい。
首相は2月末からワクチン接種を始める見通しを明らかにした。
大事なことはそれから先であり、計画と到達点を明確に示すことで希望が生まれ、国民は喜んで協力するだろう。
恐怖により民意を支配しようとするリスコミは終わりにして、国民に真実を伝えて対話をすることで信頼と協力を得る方向に転換すべきである。