文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの11条を、私たちは、

2021年03月04日 11時17分32秒 | 全般
以下は、3月1日に発売された月刊誌「正論」に、昭和の大戦と あの東京裁判ー同時代を生きた比較史家が振り返る、と題して連載されている平川祐弘(東京大学名誉教授)、第13回戦後民主主義世代への失望、からである。
本論文は日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
前章の続きである。
戦後民主主義世代への失望 
A級戦犯は悪者であるー人間一度そう思いこむと、その見方をなかなか変えないものである。
戦犯とされて獄死したことを法務死と呼ぶが、その人々の遺族に対しては、戦犯遺族へも他の戦没者遺族同様、弔慰金などの援助をすることが1953(昭和28)年の国会で可決された。
ところが敵国によってBC級戦犯とされた人のみならずA級戦犯とされた人を靖国神社に合祀したことについては、近隣諸国をまきこんで、問題が生じた。 1985(昭和60)年11月8日、衆議院外務委員会で土井たか子社会党議員が「戦犯は日本も受けいれた東京裁判によって《平和に対する罪》で処刑されたのであり、戦没者とは違う。どうして戦犯を祀っている靖国に参拝するのか」と質問した。
翌86年8月19日、衆議院内閣委員会で後藤田正晴官房長官は東京裁判について「サンフランシスコ対日平和条約第11条で国と国との関係において裁判を受諾している事実がある」と述べた。 
この種の議論はその後も繰返された。
2006年2月14日衆議院予算委員会で岡田克也民主党議員は安倍晋三官房長官に対して「東京裁判についてどういうふうにお考えなのか」と問い、安倍長官が「サンフランシスコ条約の第11条については、(戦犯とされた)そういう人たちを連合国の承諾なしには勝手に釈放してはいけないというのが11条なわけでありまして、その後、我々は何回かの、累次にわたる国会における決議等々を積み重ねていく中で、国民の圧倒的な支持のもと、連合国と交渉をした結果、先にA級戦犯、そしてBC級戦犯が釈放されたというのが歴史的事実なんだろう、こう思っているわけであります」と答えたのに対し、こう述べた。 
岡田克也「今のお話ですが、確かに赦免、減刑あるいは仮出獄ということは認められておりました。しかし、赦免というのは、そのもとになった東京裁判の判決そのものを無効にするものなんですか。そういうふうに聞こえますよ、今のお話は。……日本の国内法上、有罪判決を受けていない、そのことは事実です。しかし、日本国として受諾している以上、そこに法律があるかないかということではなくて、日本国政府として、あるいは日本国として、そのことに拘束されるのは当然じやありませんか」 
安倍晋三「岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの11条を、私たちは、あのときはあのサンフランシスコ講和条約を受け入れるしか、当時は単独講和、全面講和という議論もありましたが、あれによって日本は独立を回復したわけであって、今日の繁栄があるんですが、しかし、あれを受け入れなければ独立を回復することぱできなかっ
たんですね。……私は、この条約を、サンフランシスコ講和条約を、日本もそこにサインをしている以上、当然これが、今、いわゆる政府の立場として、全く無効だから、かつての損害賠償をしろと異議を申し立てる立場にあるとは全く、むしろそういう立場にはないということを累次申し上げているわけであります」 
岡田克也「では、あの60年前の戦争の責任はだれが負うべきなんてすか」 
そう言った岡田の口吻は「あの戦争」についての責任は東京裁判の判決に従って判断すべきだと言わんがばかりであった。
これが戦後民主主義の優等生かと私は失望した。 
死者はひとしく墓に葬る。善人も悪人も墓に葬る。それが神道の考えである。それというのも善悪の判断は恣意的、政治的になりがちだからである。
中国ではしばしば死者の墓を暴く。
汪精衛の墓は戦後、漢奸として爆破された。
私は、そんな国でなく、日本に生まれて、まあよかった、と感じている。
この稿続く。

最新の画像もっと見る