文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

1945年秋、勝者である連合国本位の歴史解釈の宣伝普及を強制されるや、日本のマス・メディアはそれに従った。

2020年06月20日 10時50分21秒 | 全般

以下は前章の続きである。

米国の眼で日本を裁く
ヨーロッパではニュルンベルクでナチス・ドイツの指導者が処罰されつつあった。
極東の東京市ヶ谷で日本帝国の指導者も処罰されねばたらない。
それが日本帝国をアジアにおけるナチス・ドイツの等価物としてアナロジカルに把握した米国を中心とする連合国側の占領政策であった。 
1945年秋、勝者である連合国本位の歴史解釈の宣伝普及を強制されるや、日本のマス・メディアはそれに従った。
中にはその見方に積極的に与し、その歴史認識をあたかも自分自身の内から発したごとく、語り出す関係者もいた。
その勢力が声高であったこともあり、その権威を奉じて今日に及んでいる人もいないわけではない。 
その間の心理を説明して一心理学者はこんなたとえを用いた。
米軍の思いのままにされた日本の報道機関が、相手の権威に服した様は、強姦された女性が無理強いされたとは言わず、そうではなく自分も同意したのだ、あれは和姦だったといって、自分自身を納得させ、訴え出ることもせず、世間体を繕った様に似ていた。
露骨に過ぎるたとえで恐縮だが、一面の心理というか真理をついていると思う。

この稿続く。


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