文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

彼らの遥か以前1,000年以上前から至上の芸術を作り、それに感動し、鑑賞する国であり国民だった。

2020年12月29日 12時24分54秒 | 全般

2015-09-20に発信した章である。
デヴィッド・フィンチャー(ウィキペディアから)
*以下は私。
デヴィッド・フィンチャー(David Fincher, 1962年8月28日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督。コロラド州デンバー市出身。
フィンチャーによる作品はどれも色調を抑えた暗い画づくりが特徴。嫌いな色はピンク。
略歴
1962年に『ライフ』誌の記者であった父親のこどもとして生まれ、カリフォルニア州マリン郡で育つ。左目の視力が弱く、オッドアイでもあり、両目の色が異なっている。
10代の時にオレゴン州に移り、現地の高校を卒業。18歳で8mmカメラを用いて映画製作を始める。
1980年にILMのアニメーターとして働きはじめ、1984年まで所属した。
1986年、ビデオ製作会社「Propaganda Films」を設立。
マドンナ、ジョージ・マイケル、エアロスミス、ローリング・ストーンズなどのミュージックビデオや、数多くのCMを手掛けた。
1992年、『エイリアン3』で映画監督デビュー。
初監督作品としては史上最高の製作費で作られたが、ストーリーがあまりにも暗く、興行的にも内容的にも失敗作とされた。
また出演者のシガニー・ウィーバーやマイケル・ビーンとのトラブルが絶えず、ウィーバーからは「アンタこそエイリアンよ!」と言われ、ビーンからは肖像権問題で危うく訴えられそうになり、前作以上の出演料を払うことになるなど、デビューは華々しいものではなかった。
1995年、『セブン』、『ファイト・クラブ』の成功により、フィンチャーは一躍ヒットメイカーとして注目されるようになる。
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、『ソーシャル・ネットワーク』ではアカデミー監督賞にノミネートされた。

*なるほど、やっぱり、そういう邂逅か。読者はご存知だと思うが、私は『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、を観て、この映画でパリで活躍するバレリーナの役を演じたケイト・ブランシェットを当代最高の女優であると決定した。エリザベス女王、ボブディラン、そして、バレリーナ、彼女が表現しているものを、西洋がもっているものの素晴らしさの全てであるといっても過言ではない。
だが、私は、ここで日本と世界に明瞭に言っておきたいのである。
日本国と日本国民と世界は、彼らの遥か以前、1,000年以上前から、こういうものを…至上の芸術を作り、それに感動し、鑑賞する国であり、国民だったと言う厳然たる事実を知らなければならない事をである。
そうすれば、サンフランシスコ議会の大ばか者たちや、朝日を日本の代表だなどと失礼千万にも思いこんできたニューヨーク・タイムズ紙や、下種の極みの様なドイツの有力紙などが存在することはあり得ないからである。
私の言を疑う者は、最高の知性を持った者なら、最低一週間、京都と滋賀(比叡山、三井寺、石山寺)、奈良(東大寺、唐招提寺、薬師寺、etc)京都(ありとあらゆる場所と私が春夏秋冬訪れ続けているすべての庭園)を散策すれば、私の論説の正しさは黙って分かる。

大江健三郎などは、日本国と日本国民にとって、小物に過ぎない。
敢えて酷評すれば西洋かぶれの愚か者といっても過言ではない。
マスメディアが作り上げ、マスメディアと一緒に浮かれることが人生だと勘違いしている人達が持ち上げている別な男は、
先日来、言及するように、米国の本物の女性作家から、最初から最後まで、そのアイデアを剽窃している人間に過ぎない。


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