文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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「ロシアに革命が来るかどうかは、私にはまだわからない。しかし山の木は十分に枯れ

2011年08月15日 09時40分00秒 | 日記

第7回今国際派と暗号 週刊司馬遼太郎 週刊朝日8/19号から。

だいぶ以前に書いた様に、高校2年生時分に、世界史の教諭に「ここはキサラの方が、俺より詳しいから」と
2回に渡って、同級生の前でロシア革命前後について講義をした私の目に留ったのも当然なのだった。

文中黒字化は私。

『坂の上の雲』に登場する国際派といえば、明石元二郎大佐(1864~1919)だろう。
 「ロシアに革命が来るかどうかは、私にはまだわからない。しかし山の木は十分に枯れている。火をつければ山火事ぐらいはおこせそうだ」と、開戦まもなく、親しかったロシア公使館の職員に語っている。
 スウェーデンのストックホルムやパリなどを舞台に、ロシアの情報を収集、ポーフンド、フィンランド、そしてロシア本国の政情不安を扇動する工作に活躍した。
 ロシア側によって書かれたロシア革命史に明石元二郎が登場することはないと、司馬さんは書く。
が、ロシア革命は、明石が出現する時期からくっきりと時期を劃して激化し、各地に暴動と破壊事件が頻発したということはたれも曲げることはできないであろう
 参謀本部から出た100万円(約80億円)の豊富な資金力を持ち、フィンランドの革命家、コンニーシリアクスの人脈を起点に、明石は反ロシアネットワークを構築していく。
 1904(明治37)年秋は旅順の戦いが始まったばかりで、一方、バルチック艦隊がアジアを目指して航海を始めたころでもある。
 明石、シリアクスはこの時期にパリで会議を開いた。
ロシアに痛めつけられている国々の革命家もいれば、ロシア本国の強硬派、社会革命党(エスエル)もいた。
 社会革命党は、ロシア内務大臣のプレーヴエをターゲットにしている。
革命運動を弾圧する一方、「革命の毒気をはらうには、戦争が必要である。それもちょっとした戦争がいい」と公言する人物だった。
愛国的な気分が盛り上がり、革命気分を吹き飛ばすことができると考えたようだ。
しかし、「ちょっとした戦争」が始まって5ヵ月後、自分が爆弾で吹き飛ばされてしまう。
暗殺したのは社会革命党の党員だった。
強硬派、穏健派の区別なく明石は援助し、パリ会議以降、各国で革命運動が活発化していく。
旅順が陥落した明治38年1月には、ペテルブルグで血の日曜日事件(1月22日)が起きている。
僧侶ガポンに率いられた平和的なデモに官憲が発砲、多くの血が流れた。
ロシア皇帝への反感が高まり、明石は仕事がしやすくなっていく。
…以下続く。


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