『中国の旅』の舞台裏
石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。
稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。
本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。
稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。
本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。
稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。
本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。
稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。
本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。
さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。
『中国の旅』の舞台裏
石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。
稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。
本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。
稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。
本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。
稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。
本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。
稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。
本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。
さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。
『中国の旅』の舞台裏
石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。
稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。
本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。
稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。
本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。
稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。
本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。
稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。
本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。
さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。
『中国の旅』の舞台裏
石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。
稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。
本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。
稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。
本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。
稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。
本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。
稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。
本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。
さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。
*私が言及してきた、孫正義の戦法がこれだった。NTTは独占だ、巨人だ。私は弱者だ、救済しろ、便宜を計れと声高に言い続けて、終には今のポジションに…今は、そんな事は口が裂けても言わないし、政府から独占企業として是正を勧告されても知らん顔なのである*
戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。
*私が言及してきた、孫正義の戦法がこれだった。NTTは独占だ、巨人だ。私は弱者だ、救済しろ、便宜を計れと声高に言い続けて、終には今のポジションに…今は、そんな事は口が裂けても言わないし、政府から独占企業として是正を勧告されても知らん顔なのである*
戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。
*私が言及してきた、孫正義の戦法がこれだった。NTTは独占だ、巨人だ。私は弱者だ、救済しろ、便宜を計れと声高に言い続けて、終には今のポジションに…今は、そんな事は口が裂けても言わないし、政府から独占企業として是正を勧告されても知らん顔なのである*
戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
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石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。
*私が言及してきた、孫正義の戦法がこれだった。NTTは独占だ、巨人だ。私は弱者だ、救済しろ、便宜を計れと声高に言い続けて、終には今のポジションに…今は、そんな事は口が裂けても言わないし、政府から独占企業として是正を勧告されても知らん顔なのである*
戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
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戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
陰湿な社内いじめ
石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
本郷 そう。実に陰湿なんだ。
屁理屈機関の名人芸
稲垣 とにかく、朝日の社説でも論説の類ね。つまり、そういう事実に基づかないことを書くから、どうしてもそれをごまかす屁理屈ばっかり上達してくるわけよ。屁理屈のレトリックというのはいまや名人芸化している。でもどんな名人芸を尽くしても、どうしても自分に都合の悪いことがあるでしょう。そういうときは喧嘩両成敗にしてしまう。北朝鮮も悪いけど、それにちゃんと対応できない日本も悪いというわけ。喧嘩両成敗にしてしまうんだ。それが一つの例です。それもできないとなると、今度は言葉を失って黙っちゃうんだなあ。
本郷 叩いても揺すっても黙っている。いるじゃない、そういうやつさ。まったく卑怯だよなあ。
稲垣 都合の悪いことは絶対書かないんだね。初めから黙っちゃう。そういえば神戸で小学生の猟奇殺人事件をやったA少年な。事件発生直後の社説は冒頭で「言葉を失う」と書いてある。言葉が商売の論説委員が言葉を失ってどうするんだと思ったよ。その後は例によって例のごとく、社会が悪い、社会が悪いと言っていたけどね。この屁理屈たるや、もう噴飯ものだよね。
本郷 広告部門に転属になって、朝日がいかに評判の悪い新聞かがよくわかったよな。大阪で、冷蔵庫が爆発する事故があった。東芝の冷蔵庫が爆発。ドカーンと4段のゴシックで見出しが立った。何も「東芝の冷蔵庫が爆発」としなくてもいいんだけど、そんな見出しを立てる。しかし、調べてみると、冷蔵庫にガスライター用のボンベが入っていて、そいつが腐食してガスが漏れ、それにサーモスタットの火花が引火、爆発したというんです。東芝はまったく被害者で、何の瑕疵もない。何とか後追い記事を出してくれと懇願するんだけど、社会部は、「そんな必要はない、警察の発表どおり書いただけだ」と、こうなんだよ。で、関東者で分が悪い東芝は、やむなく全5段の謹告広告を出した。「爆発の新聞報道があったけれど、実は中にガスボンベが入っていて…」と。もちろん、朝日は広告料を取った(笑)。
それを聞いてね、これはひどいと思ったな。当時、科学部長が同期入社の男だったから、「メーカーが冷暗所に保存を、と勧めるガスボンベを冷蔵庫に保存するのは危険」と、科学的啓蒙記事を書いてくれといったら、「関係ありません」と、ニベもないんだ。こいつも社会部出身でね。
稲垣 朝日新聞で案外みんなに知られてないのだけど、科学関係の記事はお粗末なんだ。ウソが結構多いんだよ。たとえば、環境庁が、ポリカーボネートというプラスティックを給食用の食器に使えるかテストした。どこまで使えば使用が不能になるかという一種の限界テストだった。だから、高温の苛性ソーダの液で100回ぐらい洗った。そうするとポリカーボネートが白っぽくなった。それをあたかも実用テストであるかのように、100回洗ったら白っぽくなった。環境ホルモンも溶出した(実際は許容濃度以下)ので、普及事業も中止されたと書いた(これもウソ)。それで環境庁は抗議する。これは耐用テストで実用テストじゃない。でも全然知らん顔ですよ。