文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。

2018年05月09日 09時37分58秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 

藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

2018年05月09日 09時37分02秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 

藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

2018年05月09日 09時36分08秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 

藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

2018年05月09日 09時34分55秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 

藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

2018年05月09日 09時33分05秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります

2018年05月09日 09時31分51秒 | 日記

4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。

以下は、デジタル本は記憶に残らない、周回遅れのグローバル教育は日本に不要、と題した藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)のインタビュー特集からである。

これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。

活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。

そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。

見出し以外の文中強調は私。

活字本との本質的な違い

―藤原先生の本誌インタビュー(「読書こそ国防である」「町の書店がなぜ大切か」2017年3月号、11月号)は本屋さんの経営者から現場の担当者まで、多くの方々の好評を博しました。 

藤原 日本人の書店離れ、本離れは国家にとって致命的です。

今年226日、大学生を対象に行なったアンケート(10,021名、全国大学生活協同組合連合会調べ)では「大学生の5割以上が1日の読書時間ゼロ」という恐ろしい結果が出ました。

勤労者を含んだ調査ならまだしも、勉強を旨とする大学生の半分以上が読書時間ゼロというのは、驚くべき事態です。

読書文化の衰退もついにここまで来たか、と思いました。

読書文化の衰退イコール知的能力の衰退なのです。 

―同26日には、2017年における電子版の漫画単行本の推定販売金額が、紙の漫画単行本の同金額と逆転した、と報じられました(出版科学研究所調べ)。

本のデジタル化をどのようにご覧になっていますか。 

藤原 とくに私が懸念するのは、小学校の教科書のデジタル化です。

経団連やIT企業の尻馬に乗って「子供たちが重い教科書を持って行かずにデジタル端末で授業を受けられる」とか「将来のIT化に対応できる人材をつくる」とかいう愚かな話を、文部科学省や学校が本気で行なおうとしているのですから。

この憂慮すべき事態の発端は、民主党政権の時代、ソフトバンクの「光の道」構想に議員たちが乗ったことにあります。 

-「30年後の日本の中核を担う人材は、IT技術を自由自在に操れる人々でなければなりませんが、それは今日時点の小学生の皆様ということになります。彼らのITリテラシーを高めるためには、幼少期からの教育を欠かすことができません。そのため、今から全ての教員・生徒に、電子教科書を無償配布したり、教育クラウドを構築するなど、身体で自然に覚えるような環境を造る」(「ソフトバンクNOW」2010年11月17日、同社ホームページより)という構想ですね。 藤原 英語やITのリテラシー(活用能力)より前に人間としての思考能力や情緒力や教養を培わないといけないのに、順序が逆です。

また、IT教育の推進派は「活字本なんかなくていい、デジタル本だけで用が足りる」というけれど、デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。

それは「自然に目に入ってくるかどうか」。

デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。
一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる。 

問題は、この「視界に入るか否か」が人間の記憶や情緒と深く関わっている、という点です。 

写真を例に取って説明しましょう。

昔はカメラで撮ったフィルムを写真屋へ現像に出し、プリントされた写真を「新婚時代」「子供の成長」などテーマ別のアルバムに収め、本棚に入れていました。

ときどき手に取って開き「ああ、生意気な女房もこのころは素直で従順で可愛かった」「ドラ息子たちも夢のように愛らしかった」などと思い出に耽るわけです。 

―ひるがえって現在は、ケータイでいくらでも写真を撮れますね。現像代もかからず、アルバムの置き場にも困らない。 

藤原 ところが往々にしてパソコンや携帯電話に保存した写真は撮りっ放しで溜まる一方、見返すことがほとんどない。

そのうちに、撮った写真が何だったかすら思い出せなくなってしまう。 

じつは読書もまったく同じことです。

紙の本の場合、たとえば部屋に入ってふと本棚に目が留まる、あるいは畳に寝転んで本棚を見上げると「あ、失恋時代に読んだ詩集だ」と気付いて本を手に取る。

すると、自分がどんな思いでその詩集を読んだかが、当時の記憶とともにありありと蘇ってくる。

私のように逐一、線を引いてコメントを記す読者は、気になった箇所に「すごい」「ふざけるな」など批評が記してあり、たいへん参考になります(笑)。 

つまり、紙の本に蓄積された記憶そのものが個人の「宝物」であり、人生のさまざまな思い出を蘇らせるとともに、人間の感情や思考を深めてくれる。

たとえデジタル本の書名や読書履歴がパソコン内に一覧表となっていようと、その人が意識してファイルを開けないかぎり、過去の読書や自分の思い出に出合うことはない。 

―あるいはコンピュータに「おすすめ」されるか。 

藤原 いずれにせよ紙の本のように、自然なかたちで私たちの思い出を引き出し、高次の情緒を育んでくれることはありません。 

英語に「Out of sight, out of mind.」ということわざがあります。

よく受験英語では「去る者は日々に疎し」(『文選』より)という訳が充てられますが、原義はsight(視野)に入らない、つまり「見えなくなったものは忘れられてしまう」という意昧です。

紙の本と異なり、デジタル本は「見えなくなる」から、読んだことすら忘れてしまう。

この点、紙の本とは決定的な差があるわけです。 

―思い出を蘇らせてくれる紙の本を、部屋が狭くなるというだけの理由でデジタル化して捨ててしまうのはもったいない。「記憶こそ人間そのもの」だとすれば、人生そのものの否定にもつながります。 藤原 ましてや、デジタル教科書を初等教育で押し付けることがいかに犯罪的か。

小学一年生になり、新しい教科書をもらって手に取ったときの喜びがインクの匂と共に記憶に蘇る。

この幸せな経験を子供から奪い去うとしている。

本への愛着を破壊する教育は、まさに亡国の政策です。

日本人の本離れをさらに加速させる愚行を、文化人や各界のリーダー、政治家は何としても止なければなりません。


Il n'est pas exagéré de dire qu'il est

2018年05月09日 09時31分13秒 | 日記

Un ami qui a cessé de s'abonner à l'Asahi Shimbun il y a quatre ans et qui s'est abonné au Sankei Shimbun, m'a appris les articles du Sankei Shimbun du Nouvel An en disant que Sankei Shimbun est le numéro un après tout.
Beaucoup de choses très importantes sont postées dans cet article.
Le premier ministre de notre pays a parlé avec des femmes qui sont actives au 21e siècle juste au début de la nouvelle année.
Il va sans dire que le succès des femmes est une question importante pour le pays.
Les stations de télévision qui ont dit des choses que les journaux nationaux ont largement diffusés, il n'y avait pas de station, y compris la NHK qui est la station de radiodiffusion nationale au Japon.
Je voudrais dire aux gens qui travaillent à la station de télévision.
Il n'est pas exagéré de dire qu'il est complètement dépassé par la stratégie de propagande de la Chine, les Nations Unies ... parmi d'autres, l'UNESCO a émis à chaque fois des recommandations scandaleuses au Japon.
C'est une recommandation que le Japon n'a pas de liberté des femmes, que les femmes sont opprimées au Japon, et que le Japon est une société où les femmes ne peuvent pas jouer un rôle actif.
En réponse aux Nations Unies qui continuent de faire des recommandations scandaleuses, etc. au Japon, le pays le plus heureux des femmes du monde,
Avec joie, vous les gars qui rapportent cela,
Pourquoi ne rapportez-vous pas le fait que le premier ministre de notre pays a invité quatre femmes à la résidence du premier ministre et a été interviewé au début de l'année!


No es una exageración decir que está

2018年05月09日 09時30分39秒 | 日記

Un amigo que dejó de suscribirse a Asahi Shimbun hace cuatro años y cambió para suscribirse al Sankei Shimbun, me enseñó los artículos del Día de Año Nuevo Sankei Shimbun diciendo que Sankei Shimbun es el número uno después de todo.
Muchas cosas muy importantes se publican en este artículo.
El primer ministro de nuestro país habló con mujeres que están activas en el siglo XXI justo al comienzo del Año Nuevo.
No hace falta decir que el éxito de las mujeres es un tema importante del país.
Las estaciones de televisión que contaban cosas que los periódicos nacionales publicaban extensamente, no había ninguna estación, incluida la NHK, que es la estación nacional de radiodifusión en Japón.
Me gustaría decirle a la gente que trabaja en la estación de televisión.
No es una exageración decir que está completamente abrumado por la estrategia de propaganda de China, las Naciones Unidas ... entre otros, la UNESCO ha emitido recomendaciones escandalosas para Japón en todo momento.
Es una recomendación que Japón no tiene la libertad de las mujeres, que las mujeres están siendo oprimidas en Japón, y que Japón es una sociedad donde las mujeres no pueden desempeñar un papel activo.
En respuesta a que las Naciones Unidas continúan haciendo recomendaciones escandalosas, etc. a Japón, el país más feliz de las mujeres del mundo,
Alegremente, chicos informando esto,
¿Por qué no informan que el Primer Ministro de nuestro país invitó a cuatro mujeres a la residencia del primer ministro y las entrevistó a principios de año?


Es ist nicht übertrieben zu sagen,

2018年05月09日 09時30分03秒 | 日記

Ein Freund, der vor vier Jahren aufhörte, den Asahi Shimbun zu abonnieren und sich für den Sankei Shimbun anmeldete, brachte mir die Artikel vom Neujahrstag Sankei Shimbun bei und sagte, dass Sankei Shimbun die Nummer eins ist.
Viele, sehr wichtige Dinge werden in diesem Artikel veröffentlicht.
Der Premierminister unseres Landes sprach gerade zu Beginn des neuen Jahres mit Frauen, die im 21. Jahrhundert aktiv sind.
Es versteht sich von selbst, dass der Erfolg von Frauen ein wichtiges Thema des Landes ist.
Fernsehsender, die Dinge erzählten, die von den überregionalen Zeitungen ausgiebig gepostet wurden, gab es keinen Sender darunter den NHK, den nationalen Rundfunksender in Japan.
Ich möchte den Leuten, die am Fernsehsender arbeiten, sagen.
Es ist nicht übertrieben zu sagen, dass es von Chinas Propaganda-Strategie, den Vereinten Nationen, völlig überfordert ist ... unter anderem hat die UNESCO immer wieder empörende Empfehlungen an Japan ausgesprochen.
Es ist eine Empfehlung, dass Japan keine Freiheit für Frauen hat, dass Frauen in Japan unterdrückt werden und dass Japan eine Gesellschaft ist, in der Frauen keine aktive Rolle spielen können.
Als Reaktion darauf, dass die Vereinten Nationen nach Japan, dem glücklichsten Land der Frauen, weiterhin empörende Empfehlungen abgeben,
Fröhlich, ihr berichtet das,
Warum melden Sie nicht, dass der Premierminister unseres Landes vier Frauen zur Residenz des Premierministers eingeladen und zu Beginn des Jahres interviewt hat?


Não é exagero dizer que ela está

2018年05月09日 09時29分24秒 | 日記

Um amigo que parou de se inscrever no Asahi Shimbun há quatro anos e mudou para assinar o Sankei Shimbun, me ensinou os artigos do Dia de Ano Novo Sankei Shimbun dizendo que Sankei Shimbun é o número um depois de tudo.
Muitas coisas muito importantes são publicadas neste artigo.
O primeiro-ministro do nosso país conversou com mulheres que estão ativas no século 21, logo no início do Ano Novo.
Escusado será dizer que o sucesso das mulheres é uma questão importante do país.
Estações de TV que diziam coisas que os jornais nacionais publicaram extensivamente, não havia nenhuma estação incluindo a NHK, que é a estação nacional de radiodifusão no Japão.
Eu gostaria de dizer às pessoas que trabalham na estação de televisão.
Não é um exagero dizer que ela está completamente sobrecarregada pela estratégia de propaganda da China, as Nações Unidas ... entre outras, a UNESCO emitiu recomendações ultrajantes ao Japão todas as vezes.
É uma recomendação que o Japão não tenha liberdade feminina, que mulheres estão sendo oprimidas no Japão, e que o Japão é uma sociedade onde as mulheres não podem participar ativamente.
Em resposta às Nações Unidas continuarem a fazer recomendações ultrajantes, etc. ao Japão, o país mais feliz das mulheres do mundo,
Alegremente, vocês relatando isso,
Por que você não relata o fato de que o primeiro-ministro de nosso país convidou quatro mulheres para a residência do primeiro-ministro e as entrevistou no início do ano!


毫不夸张地说,它完全被中国的宣传战略所淹没,

2018年05月09日 09時28分48秒 | 日記

一位朋友在四年前停止订阅朝日新闻并转而订阅产经新闻,向我介绍元旦产时新闻的专题文章,指出产经新闻毕竟是头号新闻。
本文中发布了许多非常重要的内容。
我们的国家总理在新年伊始就与在21世纪活跃的女性进行了交谈。
不言而喻,妇女的成功是该国的一个重要问题。
告诉国家报纸广泛报道的事情的电视台,没有包括日本国家广播电台NHK在内的电视台。
我想告诉在电视台工作的人们。
可以毫不夸张地说,它完全被中国的宣传战略,联合国......等等所淹没,其中教科文组织每次都向日本发布了令人愤慨的建议。
日本没有妇女自由,这是日本压迫妇女的一项建议,日本是妇女不能发挥积极作用的社会。
为了响应联合国继续向日本这个世界上最幸福的妇女国家提出离谱的建议等,
高兴地,你们报告这一点,
你为什么不报告我国总理邀请了四位女性到总理的住所并在年初接受采访呢?


중국의 선전 전략에

2018年05月09日 09時28分05秒 | 日記

4 년 전 아사히 신문에 가입하지 않았고 산케이 신문에 가입하기로 한 친구가 내게 산케이 신문이 최고의 번호라고 말하는 새해 첫날 산케이 신문의 특집 기사를 가르쳤다.
많은 중요한 것들이이 기사에 게시됩니다.
우리나라 총리는 새해 시작과 동시에 21 세기에 활발한 여성들과 이야기했습니다.
여성의 성공은이 나라의 중요한 현안이라는 것은 말할 나위도 없습니다.
전국 신문이 광범위하게 게재 한 것을 알려주는 TV 방송국에는 일본의 국립 방송국 인 NHK를 포함한 방송국이 없었습니다.
나는 텔레비전 방송국에서 일하는 사람들에게 말하고 싶다.
유엔이 중국의 선전 전략 인 유엔에 의해 완전히 압도 당했다고해도 과언이 아니다. 유네스코는 매번 일본에 대해 터무니없는 권고를 발표했다.
일본에는 여성의 자유가없고, 여성은 일본에서 억압 받고 있으며, 일본은 여성이 활약 할 수없는 사회라는 권고입니다.
유엔은 세계 여성의 가장 행복한 나라 인 일본에 대해 계속해서 권유 등을하기 위해,
유감스럽게, 너희들이 이것을보고한다.
우리 국무 총리가 네 명의 여성을 총리의 거주지로 초청하고 연초에 인터뷰했다는 사실을 왜 당신은보고하지 않습니까?


Не будет преувеличением

2018年05月09日 09時27分31秒 | 日記

Друг, который четыре года назад перестал подписываться на Асахи Симбун и переключился на подписку на Sankei Shimbun, научил меня особенным статьям Нового года Санкей Симбун, сказав, что Sankei Shimbun - это номер один в конце концов.
Многие, очень важные вещи публикуются в этой статье.
Премьер-министр нашей страны говорил с женщинами, которые активны в 21 веке только в начале Нового года.
Само собой разумеется, что успех женщин - важный вопрос страны.
Телевизионные станции, которые рассказывали о вещах, которые широко публиковались в национальных газетах, не было станции, включая NHK, которая является национальной радиовещательной станцией в Японии.
Я хотел бы рассказать людям, работающим на телевизионной станции.
Не будет преувеличением сказать, что он полностью ошеломлен пропагандистской стратегией Китая, Организацией Объединенных Наций ... среди прочих, ЮНЕСКО выносила яростные рекомендации Японии каждый раз.
Это рекомендация о том, что в Японии нет женской свободы, в которой женщины подвергаются угнетению в Японии, и что Япония является обществом, в котором женщины не могут играть активную роль.
В ответ на то, что Организация Объединенных Наций продолжает делать возмутительные рекомендации и т. Д. Японии, самой счастливой стране в мире,
С радостью, вы, ребята, сообщаете об этом,
Почему бы вам не сообщить о том, что премьер-министр нашей страны пригласил четырех женщин в резиденцию премьер-министра и дал интервью в начале года!


Ia tidak berlebihan untuk mengatakan

2018年05月09日 09時26分56秒 | 日記

Seorang kawan yang berhenti melanggan Asahi Shimbun empat tahun yang lalu dan beralih untuk melanggan Sankei Shimbun, mengajar saya artikel-artikel ciri Hari Tahun Baru Sankei Shimbun dengan mengatakan bahawa Sankei Shimbun adalah nombor satu selepas semua.
Ramai, perkara yang sangat penting diposkan dalam artikel ini.
Perdana Menteri negara kita bercakap dengan wanita yang aktif pada abad ke-21 tepat pada permulaan Tahun Baru.
Ia tidak mengatakan bahawa kejayaan wanita adalah isu penting negara.
Stesen-stesen TV yang menceritakan perkara-perkara yang akhbar-akhbar kebangsaan memaparkan secara meluas, tidak ada stesen termasuk NHK yang merupakan stesen penyiaran nasional di Jepun.
Saya ingin memberitahu orang yang bekerja di stesen televisyen.
Ia tidak berlebihan untuk mengatakan bahawa ia benar-benar terkepung oleh strategi propaganda China, Pertubuhan Bangsa-Bangsa Bersatu ... antara lain UNESCO telah mengeluarkan cadangan yang keterlaluan ke Jepun setiap kali.
Ia adalah cadangan bahawa Jepun tidak mempunyai kebebasan wanita, yang wanita ditindas di Jepun, dan Jepun adalah sebuah masyarakat di mana wanita tidak boleh memainkan peranan yang aktif.
Sebagai tindak balas kepada Pertubuhan Bangsa-Bangsa Bersatu yang terus membuat cadangan-cadangan yang keterlaluan, dan lain-lain ke Jepun, negara paling bahagia wanita di dunia,
Rianglah, kalian melaporkan ini,
Mengapa anda tidak melaporkan hakikat bahawa Perdana Menteri negara kita menjemput empat wanita ke kediaman perdana menteri dan ditemuramah pada awal tahun ini!


Ei ole liioiteltua sanoa, että se on täysin

2018年05月09日 09時26分18秒 | 日記

Ystävä, joka lopetti tilaamisen Asahi Shimbunille neljä vuotta sitten ja siirtyi allekirjoittamaan Sankei Shimbunin, opetti minulle Uudenvuodenpäivä Sankei Shimbunin artikkeleita sanomalla, että Sankei Shimbun on numero yksi.
Tässä artikkelissa on monia tärkeitä asioita.
Maamme pääministeri puhui naisilla, jotka toimivat 2000-luvulla aivan uudenvuoden alussa.
On itsestään selvää, että naisten menestys on maan tärkeä asia.
Televisioasemat, jotka kertoivat asioista, että kansalliset sanomalehdet lähetettiin laajalti, ei ollut asemaa, kuten NHK, joka on Japanin kansallinen lähetysasema.
Haluan kertoa televisiokanavalle työskenteleville.
Ei ole liioiteltua sanoa, että se on täysin ylimitoitettu Kiinan propagandastrategialla, Yhdistyneillä Kansakunnilla ... muun muassa UNESCO on antanut törkeitä suosituksia Japaniin joka kerta.
On suositeltavaa, että Japanilla ei ole naisten vapautta, jota naisia sorretaan Japanissa ja että Japani on yhteiskunta, jossa naiset eivät voi olla aktiivisesti mukana.
Vastauksena Yhdistyneisiin Kansakuntiin, jotka edelleen yrittävät esittää epäilyttäviä suosituksia, jne. Japaniin, maailman naisten onnellisimpiin maihin,
Iloisesti, te ilmoitatte tämän,
Miksi ette ilmoita, että maan pääministerimme kutsui neljä naista pääministerin asumaan ja haastatteli alkuvuodesta!