11月8日、青蓮院にて、午後1時。©芥川賢治
文中黒字化は芥川。
この10月に、北海道大から こ特任研究員として福島大うつくしまふくしま未来支援センターに赴任してきました。専門は農業経営学で、農林水産業の復興支援を担当します。
大学がある福島市市内の高い放射線量を目の当たりにして、躊躇はしました。両親も大きく動揺していましたが、「あなたの専門を生かしてできることがあるのなら」と、今は応援してくれています。
28歳の今、リスクを受容し福島で働ぐことを選択しました。ただ、将来、家庭生活を築いていくにあたり、常に不安が付きまとうのではないか。今も気持ちは揺れ動きます。
それでも福島行きを決心したのは、私の出身地が、津波により甚大な被害を受けた岩手県の大船渡市であることが大きかったと思います。ご近所の方たちの尊い命が失われ、私の実家も含めて、街全体が津波で流されてしまった。
そんなことがなかったら、放射性物質が降り注ぎ、これまでの営みが失われてしまった農家の方たちと、どういう精神状態で向き合っていくのか、想像すらできなかったと思います。私も、故郷の復興を待ち望む一人。福島の人々の気持ちに寄り添いながら、地域の未来の姿を、ともに考えていきたい。
福島大に赴任し、1ヵ月が経ちました。農業関連機関で働く人々は、国から将来への展望が示されない中で、損害賠償、放射性物質検査など、これまで経験したことのない業務に、必死に取り組んでいます。農業現場のみなさんが取り戻したいと強く願っているのは、農村の心豊かな生活そのものと、食料生産を担う者としての誇りです。農地の汚染と正面から対峙し、自らの道を切り開こうとしている農業経営者の姿を、多くの人に知ってもらいたい。
学者は、100年前、今、そして100年後の未来という、長い時間軸の中で、理論的に物事を考えます。利害や利権にとらわれず、冷静な目で社会と向き合い、人々が大きな決断をする時の「根拠」を提示すること。それが、私に課せられた使命だと思っています。
小松知未(こまつともみ)福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。 1983年、岩手県生まれ。専門は農業経営学。今年10月、北海道大学大学院から転任し、農業の面から被災地の復興に取り組む
この10月に、北海道大から こ特任研究員として福島大うつくしまふくしま未来支援センターに赴任してきました。専門は農業経営学で、農林水産業の復興支援を担当します。
大学がある福島市市内の高い放射線量を目の当たりにして、躊躇はしました。両親も大きく動揺していましたが、「あなたの専門を生かしてできることがあるのなら」と、今は応援してくれています。
28歳の今、リスクを受容し福島で働ぐことを選択しました。ただ、将来、家庭生活を築いていくにあたり、常に不安が付きまとうのではないか。今も気持ちは揺れ動きます。
それでも福島行きを決心したのは、私の出身地が、津波により甚大な被害を受けた岩手県の大船渡市であることが大きかったと思います。ご近所の方たちの尊い命が失われ、私の実家も含めて、街全体が津波で流されてしまった。
そんなことがなかったら、放射性物質が降り注ぎ、これまでの営みが失われてしまった農家の方たちと、どういう精神状態で向き合っていくのか、想像すらできなかったと思います。私も、故郷の復興を待ち望む一人。福島の人々の気持ちに寄り添いながら、地域の未来の姿を、ともに考えていきたい。
福島大に赴任し、1ヵ月が経ちました。農業関連機関で働く人々は、国から将来への展望が示されない中で、損害賠償、放射性物質検査など、これまで経験したことのない業務に、必死に取り組んでいます。農業現場のみなさんが取り戻したいと強く願っているのは、農村の心豊かな生活そのものと、食料生産を担う者としての誇りです。農地の汚染と正面から対峙し、自らの道を切り開こうとしている農業経営者の姿を、多くの人に知ってもらいたい。
学者は、100年前、今、そして100年後の未来という、長い時間軸の中で、理論的に物事を考えます。利害や利権にとらわれず、冷静な目で社会と向き合い、人々が大きな決断をする時の「根拠」を提示すること。それが、私に課せられた使命だと思っています。
小松知未(こまつともみ)福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。 1983年、岩手県生まれ。専門は農業経営学。今年10月、北海道大学大学院から転任し、農業の面から被災地の復興に取り組む