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米政府、2名のエコノミストをFRB理事候補に認める…WSJ8月15日配信から。

2011年08月15日 09時24分47秒 | 日記

文中黒字化は私。
(ウォール・ストリート・ジャーナル)米政府は、米連邦準備制度理事会(FRB)の7名の理事のうち、現在空席の2名について、それぞれ民主党支持派と共和党支持派のエコノミストを候補として認めた。政権内の協議について詳しい多くの関係者が明らかにした。
候補は、ハーバード大学経済学部で財政学を担当するジェレミー・スタイン教授と、債券ファンド最大手ピムコでグローバル戦略アドバイザーを務めるリチャード・クラリダ氏の2名だ。クラリダ氏は、コロンビア大学の経済学・国際関係論教授も務めている。
スタイン氏は、オバマ現政権の開始当初に財務長官上席顧問を務めた経歴があり、クラリダ氏は、ブッシュ前政権時代に財務次官補を務めた。
政府は、民主党と共和党の支持者をそれぞれ1名ずつ組み合わせることで、上院の承認を円滑に得ることができることを期待し、数カ月前にこの二人の名前をまとめた。
しかし、まだ公式に指名はしておらず、政治的情勢や個別の状況に応じて、変更する可能性も残している。
今回名前が挙がっている二人は、政治的見解は異なるが、いずれも中央銀行の政策に関する学術的な研究について高い信任を受けたエコノミストで、FRBの経済的専門性が高まるだろう。
現在の5名の理事のうち、経済学博士号を持つ理事は、バーナンキ議長とイエレン副議長の2名だけだ。

オバマ大統領は今年はじめ、FRB理事としてノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のピーター・ダイアモンド教授を指名したが、上院銀行委員会の共和党の重鎮、リチャード・シェルビー議員(アラバマ州選出)の反対にあい、指名を取り下げた。

前回の連邦公開市場委員会(FOMC)では、3名の地区連銀総裁がバーナンキ議長の判断に反対しており、この空席となっている2名の理事の重要性が高まっている。
3名が反対するのは、1992年以降では初めてのことだった。FOMCでの政策判断は、FRB理事全員と、12名の地区連銀総裁から5名が投票権を得て行う。
スタイン氏は、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得し、ハーバード大学経済学部教授を10年間務めている。
以前は、マサチューセッツ工科大学とハーバード経営大学院で教授を務めた。
クラリダ氏は、ハーバード大学で博士号を取得し、2002年2月~03年5月に経済政策担当の財務次官補を務め、06年にピムコに入社し、各国中央銀行や政府系ファンド(SWF)を顧客とする公的機関部門の共同統括責任者を務めている。
スタイン氏は国外におり、連絡がとれなかった。
クラリダ氏は、コメントの要請に応じなかった。
12年1月には、ブッシュ前大統領が指名したエリザベス・デューク理事が任期を終え、オバマ大統領はもう一人の理事を指名する機会を得る。
デューク理事は、後継者が承認されるまで、理事を続けることができる。
バーナンキ議長をはじめとする残り4名の現職理事は、オバマ大統領が指名あるいは再指名している。
議会は昨年、銀行の監督と規制政策を担当する二人目の副議長職を創設した。
米政府はこの新たな副議長に、ダニエル・タルーロ現理事を指名すると予想されている。
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日本の野球の伝統であるかのような…判定に対してであれ、個人の失敗に対してであれ、見苦しい態度を取る

2011年08月15日 08時38分15秒 | 日記

新湊VS東洋大姫路を観ながら、書いているのだが。
NHKは、さっきから、くどいほどに、新港側、一塁アルプス席応援団の中にいる、親父(おや)っさんの…確かに、こんな表情、そうそう、観られるものではないな。
私は、兵力戦に於いては、こんな表情の兵隊が何人いるかで勝敗が決まると言う事もあるのだろうな、等と、思って観ていたら。
何と、この親父(おや)っさんは隻腕なのだった。
風貌から観れば、戦争で片腕を失くしたものか、はたまた、等と、野球とは違う感慨を持ってしまうのだった。
今、この試合を観ている、日本中の多くの方も、私と同様な感慨を持って観ているのではないだろうか。
因みに、この試合、私は、新湊を応援しているのである。
幾分、判官びいきの趣と思われるかもしれないが、…夏の甲子園は、言わば歴戦の強者の集まりだから、兵を強者として扱った者が勝つのであって、最初から大した優劣はないのである。
日本の野球の伝統であるかのような、メジャーリーグでは考えられない傍若無人の、相手であれ、判定に対してであれ、個人の失敗に対してであれ、見苦しい態度を取る。
野球は失敗で成り立っているスポーツ。
野球の最高が、やっと3割バッターであることは言うまでもなく、連戦連勝投手や、無失策の選手など居るわけが無いのである。
これは、どこぞの監督をチヤホヤし続けて来た痴呆マスコミに対する、私からの喝!


私は、25年ほど前に、パリの、ホテル・ムーリスで、ロビーに居た彼と遭遇した事があるのだった。

2011年08月15日 07時47分52秒 | 日記

第7回今国際派と暗号 週刊司馬遼太郎 週刊朝日8/19号から。

かつてのNHK「ニュースセンター9時」の名キャスターで、外交評論家の磯村尚徳さんは、日露戦争にちょっと縁がある。
 
「うちは3代陸軍なんです」曽祖父の惟亮さんは旧加賀藩士で、のちに陸軍中佐となった。
その息子で、磯村さんの祖父にあたる年さんは陸軍大学校の恩賜の軍刀組で、ドイツ留学を経験した。
日露戦争に従軍し、乃木希典軍(第三軍)の兵姑担当の参謀となっている。
「乃木さんは部下には優しかったようです。二〇三高地で息子さん(保典)が亡くなり、その遺骨を日本に持って帰ったのが祖父だと聞いています。『大変すまないが、頼まれてくれますか』と、部下にも丁寧な言葉だったと聞いています」
年さんはその後、転戦して、児玉源太郎・満州軍総参謀長にもついた。
「奉天の会戦が勝利に終わった途端に児玉さんは参謀たちを集め、『日本は限界に近い。東京に行って戦争を終わらせるから、すぐに資料を用意しろ』といわれたそうです」
年さんはその後、第1次世界大戦などに従軍し、陸軍大将となった。
「日露戦争、真珠湾攻撃と日本はいつも奇襲攻撃をするといわれるが、発展途上で頼りない国ができることには限界があるから、仕方がない戦法だったんだよ」と、孫に語っていたという。
 
磯村さんの父、武亮ざんは、陸軍大学校を首席で卒業し、直ちにフランスに派遣された。
トルコの駐在武官、参謀本部のロシア課長などを歴任している。
「諜報活動に従事することが多かったようですね。トルコのイスタンブールは諜報戦の舞台で、アラビア語やトルコ語を話す若者たちが食客のようにごろごろしていました。ノモンハン事件のときは出兵に反対して、飛ばされてもいます。平家、海軍、国際派は天下が取れないといわれますが、うちの祖父も親父も陸軍のなかの国際派。いいたいこともいい、主流派にはなれなかったですね」
武亮さんは終戦間際に、ベトナムから帰還する途中、国内で撃墜されて亡くなり、中将となった。
「サイゴンを離れるとき、友人によれば、チャイコフスキーのレコードをずっと聴いていたそうです」
磯村さんはフランスの陸軍関係の大学に頼まれて講演をすることがよくある。
「最近、尖閣諸島の問題を話したのですが、会場に行くと、前列に中国人留学生かずらりといました。みんな目に輝きがあり、祖父や父の若いころはこうだったのかなと懐かしく思いました」
磯村さんは笑顔で語ってくれた。
 
*私は、25年ほど前に、パリの、ホテル・ムーリスで、ロビーに居た彼と遭遇した事があるのだった。