Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

2つの『イルマーレ』

2006年09月29日 | Movie

 キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック主演の『イルマーレ』を観てきた。その2日後に、部下から借りたDVDでオリジナルの『イルマーレ』(韓国映画)を見た。どちらもとても面白く、久しぶりにいい映画に出会えたと嬉しくなってしまう。

『イルマーレ』という映画があることは知っていた。ただ、なんとなく知っているというくらいで、過去からの手紙が届く話くらいにしか思っていなかった。いつだって見てみたいリストでは随分と優先順位が低いところにあって、たぶんリメイクがなければオリジナルを見ることはなかったような気がする。

 今回リメイク版の方を観たいなと思ったのは、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが出ていたからだ。2人ともそれぞれ好きな俳優で、しかも個人的な印象としてキアヌ・リーブスは脚本を選ぶ俳優というイメージがあったので、きっと面白いのだろうと思っていたのだ。考えてみれば、キアヌ・リーブスが以前に出ていたラブ・ストーリーは隠れた佳作(だと個人的には思っている)『スイート・ノーベンバー』なわけだし。

 そして、落ち着いてインターネットなどであらすじを読むと、とても魅力的な設定だとあらためて実感させられた。過去と未来で手紙のやり取りをするなんて、(もちろんあり得ないけれど)やっぱりとても素敵な話だ。

 物語は、湖畔に建てられたガラスの家に住んでいたケイトが、ポストに次の住人宛の手紙を出すところからはじまる。それは、ガラスの家から引越しをするケイトが、自分宛に届いた手紙を転送して欲しいという依頼を記した手紙だった。けれども、その手紙はなぜか2年前に同じ家に住んでいたアレックスの元に届く。自分が住み始める前までは何年も廃屋だったはずのガラスの家の前の住人だと名乗る手紙に、アレックスは不信感を抱く。そして、幾度かのやり取りを経て、ケイトは2006年を、アレックスは2004年を生きていることがわかる。どこかで時がねじれ、ポストが、あるいは別の何かが、孤独な2人を結びつけたのだ。

 オリジナルもリメイクも、基本的な設定は同じだ。主人公たちは孤独を纏っている。オリジナルでは女性は失恋による心の痛手を負い、リメイクでは仕事自体には充実感を抱いているけれど、誰とも本当の意味で心を通わすことができていないという都市に生きる不器用な女性として描かれている。男はどちらでも建築家(オリジナルでは建築家の学生)で、高名な建築家である父親との関係から孤独を感じている。父親から捨てられ、愛されなかったというトラウマを持っているのだ。

 そして、4人は世間から隔絶された場所に建てられたガラスの家(オリジナルでは海辺の家)に暮らし、一人きりで世界と向き合っている。オリジナルの海辺の家は世界の果てさながらの海岸沿いに建てられているし、リメイクの湖畔の家も、世間から遠く離れ自然の中に溶け込んでいる。孤独感のようなものが、増幅されるような「果て」の場所だ。

 もちろん誰だって孤独感にさいなまれることはあるだろう。けれども普通は孤独に覆われてしまう前に、家族や、恋人、あるいは友人がその孤独感を忘れさせてくれたり癒してくれたりする。心の中の柔らかいどこかに、何かがそっと浸されて、静かに波紋が広がるように心が震えて癒されたり救われたりするのだ。けれども、4人の主人公たちにとっては、心の中にある静かな湖のような場所は静けさに覆われたままで、揺れ動くこともない。世界から遠く離れた場所にただ一人きりで、孤独を自らの内に抱え込んでいるのだ。

 そんな静かな場所を少しずつ揺らしていくのが、交わされていく「手紙」だというのはとても魅力的だ。世間から離れて暮らしている場所にも手紙は届く。それに、手紙はダイレクトなコミュニケーションとは異なり、自分のペースで読み進めることができる。つまり、孤独な世界に生きている彼たち(彼女たち)にとってふさわしいリズムを持っている。自分の世界の内側で、読み進めていくことができる手紙は、ゆっくりと周波数を合わせていくタイプの主人公たちにはこれ以上相応しい媒体はないとさえ思える。主人公たちは手紙を通して少しずつ心を通わせていく。自分の考えていることや思いを言葉にする。その言葉の連なりが、少しずつお互いの距離のようなものを近づけていく。そして、彼たち(彼女たち)は自分たちの閉じこもっている(閉じこもっていた)場所から踏み出していこうとするのだ。
たとえ時の流れが異なる場所であったとしても、近付いていく力を留めることはできない。

 2本の同じ骨格の物語を見て、一番強く感じたのは人は「理解し合える」誰かを求めているということだ。もちろん、そんなものは小説や映画の世界の中にだけしかなくて、現実にはなかなかあり得ないことかもしれないけれど、それでもある種の幻想や希望、あるいは願望として「そういう誰か」を求めている人は少なくないのだと思う。自分が相手のことを一番理解できるし、相手も自分のことを一番理解してくれる。そんなパーフェクトな誰か。今回の作品では、その誰かが異なる時代にいたという話。そして、思いを言葉にして、少しずつ時さえも越えて結ばれていく話。

 他にも、生きる時代が異なる(一緒に過ごすことができない)ことや、タイムラグを巧みに活かしたエピソードが多数あって、飽きずに引き付けられた。最後はいったいどう着地するのだろう? というのがとても興味深かったし、想像しやすい「もし」なので、感情移入だってしやすかった。また、ハリウッド版のリメイクの方が、時空を超えた手紙が到着したときにはポストの横のレバーがかちりと動くなど、見ている人にとってわかりやすく作られていた(男と父親とのエピソードについてもオリジナルではやや唐突な印象を受けたけれど、リメイクではその描写に時間をかけた分妥当性の高いものとなっている)。

 詩的な感覚と透明度が高いのはオリジナル。
 リアリティとストーリー性が高いのはリメイク。
 そして、どちらも見応えはあり。
 DVDを貸してくれた部下はオリジナルへの思い入れが強すぎて、リメイクを観に行くつもりはないと話していた。とてもお気に入りの映画なのだそうだ。確かに、オリジナルを最初に見ていたら、僕もそう思っていたかもしれない。しかも、DVDを借りるまで、ヒロインがチョン・ジヒョンだということも知らなかった(チョン・ジヒョンは大好きな映画『猟奇的な彼女』のヒロインでもある)。

 オリジナル、リメイクともに、

 ★★★★☆(★=1点、=0.5点。満点5点)。


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 お知らせ

 オリジナルは家電や家具などの小物がいちいち凝っていて、それもまた見応えがあったのでした。

コメント (2)
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