『インディア』 (1958年 88分 イタリア/フランス)
監督 ロベルト・ロッセリーニ
原案 ロベルト・ロッセリーニ
脚本 ロベルト・ロッセリーニ
ソナリ・センロイ・ダス
グプタ
フェレイドウン・ボウェイダ
撮影 アルド・トンティ
音楽 フィリップ・アルチュイ
アラン・ダニエル
出演
インドの人々
インドの象
インドの虎
インドの猿
インドで撮られた、オムニバスの作品です.
カラーですが、発色があまりよくないのが惜しいです.
自然との調和
インドの入り口ボンベイ、そこには様々な人々が寛容の精神で調和して暮らしている.民族が異なれば、宗教も異なり、言語、文化、風習も異なるのだが.
象使い.
カメラはインドの奥地、象の棲む森の中へ.象の力を借りて林業を営む象使い、その暮らしは、象の自然な暮らしと共にある.象使いの男の恋愛、そして結婚と、象の妊娠を絡めて、人間と自然との調和を描きました.
ダム建設.
インドの大河、ヒマラヤを源にする聖なる流れは、時として洪水を起こし、人々の命を奪う.ダムを造り治水を行うということは、自然との共存、調和を意味するのですが、ある意味では自然に対する征服、それは不調和であるのかもしれません.ダム工事の労務者の家族は、ダムの完成と共に他の土地に移ることになる.妻は慣れ親しんだ土地を離れるのを嫌がり、夫婦喧嘩になりました.
トラと老人.
余す所なく耕された水田地帯.その風景はやはり自然との調和と言ってよいのでしょう.その水田地帯を抜け、カメラはトラの棲む森の中へ.そこに住む村人の生活は自然と共にあり、そして隠居生活の老人の日課は森の中で自然と溶け合うこと.老人の散策する森にトラも棲むのだけど、そのトラは普段は決して人を襲うことはない.
ある日やって来た鉄の鉱床の調査隊、その騒音は森の静寂を奪い、森の調和を破壊した.騒音で多くの動物達が逃げ出し、森の調和が破壊されたから、トラは人間を襲うことになったのですね.
猿のラム.
熱波に倒れた飼い主.独り街に辿り着いたラム.ラム独りだけで群衆の前で芸を観せ小銭を稼ぐのだけど、猿一匹が人間の社会で生きては行けない.そして、人間に育てられたラムは、自然界に戻ろうとしても、それも許されなかった.
科学の進歩と共に開発と称し、自然破壊を進める人間社会.それは、人間の暮らし、その営みも、本来自然の一部である事を忘れ去っている.自然界に戻ろうとしてもできなかったラムの姿は、自分達が自然の一部であることを忘れ去っている人間の姿であり、同時に、その人間が行っている自然破壊は、元の自然を取り戻すことのできない行為である事を、示唆している.
監督 ロベルト・ロッセリーニ
原案 ロベルト・ロッセリーニ
脚本 ロベルト・ロッセリーニ
ソナリ・センロイ・ダス
グプタ
フェレイドウン・ボウェイダ
撮影 アルド・トンティ
音楽 フィリップ・アルチュイ
アラン・ダニエル
出演
インドの人々
インドの象
インドの虎
インドの猿
インドで撮られた、オムニバスの作品です.
カラーですが、発色があまりよくないのが惜しいです.
自然との調和
インドの入り口ボンベイ、そこには様々な人々が寛容の精神で調和して暮らしている.民族が異なれば、宗教も異なり、言語、文化、風習も異なるのだが.
象使い.
カメラはインドの奥地、象の棲む森の中へ.象の力を借りて林業を営む象使い、その暮らしは、象の自然な暮らしと共にある.象使いの男の恋愛、そして結婚と、象の妊娠を絡めて、人間と自然との調和を描きました.
ダム建設.
インドの大河、ヒマラヤを源にする聖なる流れは、時として洪水を起こし、人々の命を奪う.ダムを造り治水を行うということは、自然との共存、調和を意味するのですが、ある意味では自然に対する征服、それは不調和であるのかもしれません.ダム工事の労務者の家族は、ダムの完成と共に他の土地に移ることになる.妻は慣れ親しんだ土地を離れるのを嫌がり、夫婦喧嘩になりました.
トラと老人.
余す所なく耕された水田地帯.その風景はやはり自然との調和と言ってよいのでしょう.その水田地帯を抜け、カメラはトラの棲む森の中へ.そこに住む村人の生活は自然と共にあり、そして隠居生活の老人の日課は森の中で自然と溶け合うこと.老人の散策する森にトラも棲むのだけど、そのトラは普段は決して人を襲うことはない.
ある日やって来た鉄の鉱床の調査隊、その騒音は森の静寂を奪い、森の調和を破壊した.騒音で多くの動物達が逃げ出し、森の調和が破壊されたから、トラは人間を襲うことになったのですね.
猿のラム.
熱波に倒れた飼い主.独り街に辿り着いたラム.ラム独りだけで群衆の前で芸を観せ小銭を稼ぐのだけど、猿一匹が人間の社会で生きては行けない.そして、人間に育てられたラムは、自然界に戻ろうとしても、それも許されなかった.
科学の進歩と共に開発と称し、自然破壊を進める人間社会.それは、人間の暮らし、その営みも、本来自然の一部である事を忘れ去っている.自然界に戻ろうとしてもできなかったラムの姿は、自分達が自然の一部であることを忘れ去っている人間の姿であり、同時に、その人間が行っている自然破壊は、元の自然を取り戻すことのできない行為である事を、示唆している.