(1948/08/24 86min)
子供の人権擁護
『この映画の子供たちに、心当たりはありませんか』字幕のこの言葉で始まるこの映画、描かれた子供たちは本物の戦災孤児達.若者の男女も素人なのでしょう、この二人のへたくそな演技が、人の素朴な感情を引き立てる、子供たちの子供らしさを引き立てているように思えます.
おそらく比治山からの遠望だと思いますが、わずかながらも、当時の広島の惨状が、映像で映し出されました.GHQが広島の報道を禁じていた時代なので、結構苦労したのではないでしょうか.
その広島の廃墟の中で、若者はこう言いました.
『子供たちに、もっと親身なものを与えて欲しい』
子供たちに食料を与えることは、単なる同情に過ぎない.戦災孤児達の現状を理解し、本当に彼らの必要とするものを与えなければならない.それは、教育、勉強をする機会でした.
売春婦に身を堕とそうとしていた女の子は、四国の山で海を見たいと言って死んだ、よしぼうの手紙に励まされ泣きぐずれた.
子供たちを手先に使った闇屋の元締め、あるいは売春婦の元締めをしていた、「おじき」と呼ばれる男.彼はつれてこられたのか、勝手に付いてきたのか分らないけれど、彼もまた、感化院の手前で子供たちに励まされる.
『元気出せよ』
闇屋、タバコを吸うこと、そして博打.大人のまねをして、いけないことをする子供たちでしたが、けれども、彼らは、子供たち同士で助け合って生きていました.描かれた子供達の生き生きとした姿は、この映画を観た他の孤児達の励みになり、同時に、闇屋、売春婦など、生きる夢、希望を失って生きている大人たちに、反省を促す映画でもあったと思います.
デ・シーカの『靴みがき』、ロッセリーニの『ドイツ零年』、この二作も、戦後の時代の子供達の人権擁護を訴えた映画でしたが、どちらも大人の視点から描かれた作品でした.それに対して、清水宏は、素朴な子供の視点から描き上げました.
今一度書けば、汗水を流して働くことの喜びを学んだ子供たち、その子供達が大人たちに『元気出せよ』と励ました、この点に、イタリア映画の二作とは比較すべきでないすばらしさがあると思います.