映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

戦争関連リンク

2013年03月13日 08時50分06秒 | 戦争

------------------------------
1936年~1945年
陸海軍、政府関連の文書
http://binder.gozaru.jp/index6.htm
------------------------------

支那事変関連
------------------------------
1937年
第三艦隊作戦計画内案
http://www.kaikosha.or.jp/old/_userdata/kin-6.pdf#search='%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E8%BB%8D+kin6.pdf'
------------------------------
長江筋在留邦人の引揚、上海大山事件
1937年8月18日
第四四号(昭一二・八・一八)
 長江に動く帝国海軍        海軍省海軍軍事普及部
 北支・中南支の情勢        陸軍省新聞班
 北支事件特別税法に就て      大蔵省主税局
 支那共産軍を語る         外務省情報部
 第七十一回帝国議会の概観     内閣官房総務課
 最近公布の法令          内閣官房総務課
http://http://binder.gozaru.jp/044-choukou.htm
------------------------------
渡洋爆撃隊の作戦行動
http://www.shimousa.net/kaigunkichi/kisaradu.html
日中戦争開始直後の7月11日、戦火拡大に備え、日本海軍中央は即応準備令を発し、木更津空・鹿屋空の中攻主力で第一連合航空隊を編成し、司令部を木更津に置いた(16日に鹿屋空に転進)。
司令部の要員については、司令官として館山航空隊司令戸塚道太郎大佐をあて、先任参謀には菊池朝三中佐が起用された。
8月1日の陣容は木更津本隊は、館山空の中攻を編入し、中攻20機。司令:竹中龍造大佐、准士官以上39名、兵員573名。残留隊は中攻数機、大攻6機で荒木啓吉中佐を指揮官とし、准士官以上15,6名、兵員200名。
鹿屋空隊は中攻18機で司令は石井芸江大佐。

かくして、8月8日木更津本隊は大村基地へ、司令部と鹿空隊は台北松山基地に進出完了した。
そして第一連合航空隊は、第三艦隊司令長官(長谷川清中将)の指揮下にはいった。
当初8月8日の移動と同時に、作戦行動を起こす予定だったらしいが、折からの台風の影響で、それは数日延期されることとなった。
-----------------------------------------

1946年
------------------------------
ホイットニー文書
この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、「極秘」扱いの、英文三頁以上にわたるメモランダムである。
1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除されている。

http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
-------------------------------