映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

映画『異邦人』- LO STRANIERO - (監督 ルキノ・ヴィスコンティ、原作 アルベール・カミュ)

2016年05月07日 08時05分04秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
『異邦人』- LO STRANIERO - イタリア、フランス
公開 1967年 101分
監督 ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
原作 アルベール・カミュ ALBERT CAMUS

出演
マルチェロ・マストロヤンニ MARCELLO MASDTROIANNI
アンナ・カリーナ ANNA KARINA



笑わない子
子供に耐えきれないほどの苦しみ悲しみを与えると、笑わなくなってしまう.
子供は苦しみ悲しみを理解して耐えるのではなく、単に心の奥底に押さえつけて耐えることしか出来ない.笑うと、無理矢理押さえつけている苦しみ悲しみが、押さえきれなくなって一緒にでてきてしまう.悲しみを押さえるが為に喜びも感じないようにするしかなく、結果として、無感動な生き方をすることになる.
笑わない子は、実は泣かない子、泣くことが出来ない子である.


不満と満足
社長からパリへの転勤の話があった時、彼は学生時代までは野心を持っていたと言った.お金が続かなくなったためであろう、中退しなければならなくなって、自分の満足のいく将来が失われた時、満足を求めないと同時に不満も抱かない、言い換えれば何事にも感動を抱かない生き方をするようになったらしい.
おそらく、母親の生活力から学費が続かなくなって中退することになったのであろうが、彼は母親に不満を言っても無駄なことが良く分ったので、何も言わずに耐えたのだと思われる.
同様に、母親を養老院に入れたことに関しても、自分の稼ぎに合わせて出来るだけの事をしたのであり、その事に関して母親から不満を言われる筋合いはないと、彼は考えていた.
母親の稼ぎに合わせて学校を中退した、それが為に自分の稼ぎも限られることになったのであり、結果として、養老院に入れるしかなくなったことに不満を言われたとしたら筋違いであろう.裁判で検事は、母親を養老院に入れたことに対して、薄情者、親子の愛情がないと責めたてたが、だったら子供の学校を続けさせることが出来なかった母親も、子供への愛情がないと言わなければならない.

人は何時かは死ぬ、70まで生きても、30で死んでも同じ.本当にそうならば、30から70までは死んでるのと同じことに、生きている価値が無いことになる.今日一日が単に過ぎ去ればよい、彼は生きている価値を何も見いだすことが出来ない、そうした日々を過ごしていた.

母親が死んでも、別段悲しいとも感じなかった.なんでもいいから早く葬儀を済ませて家に帰りたかったのであろう.
好きな女が出来て身体を求め合っても、結婚生活の夢を抱くことは出来なかった.
彼は、悲しい感情も、楽しい感情も、どちらも押し殺して生きていた.それが為に、相手がナイフを構えて向かってこようとしたとき、何も考えることも無く、4発の銃弾を撃ってしまった.好きな女が出来ても楽しい結婚生活を想い描くことが出来なかったように、人を殺すことに対して、悲しい感情を抱くことが出来なかったと言ってよいであろう.

『最後に言うことはないか?』、裁判長に問われて、
『殺意はなかった』と、彼は言い張ったのだが.....

一番の有罪の決め手になったのは、友人の男に騙されて、娼婦の女に手紙を書いたことであろうか.この時も、彼は友人に騙されたとは言わなかった.あくまでも友人だと思っていると言った.

満足を求めない変わりに、決して不満も口にしない男だった.それが為に、死刑になってしまったと言ってよいであろう.
教誨師は嘘つきであった.『あんたが来たら明日は執行の日だ』と言うと、『きっと上告が認められる』と嘘を言った.そして、神を信じろ、死後の世界を信じろ、嘘を信じろと彼を責め立てた.が、彼は自分なりに真実を述べたけれど、死刑になろうとしているのである.そんな話は聞きたくない、帰ってくれと言って当然である.

彼は、真実を述べたにもかかわらず、検事、裁判官、教誨師、誰も彼を理解しようとしなかった.死刑の執行を待つ怯えた日々を過ごす内に、彼は真実を理解しようとしない者達に対して、押さえきれない不満を抱くようになっていた.その結果、同時に、生きることへの満足を求めるように、好きな女と一緒に暮したいという夢を抱くようになっていた.
彼の母親も同様であったようだ.死期が近づいていることを自覚する歳になって婚約者を見つけていた.生きる夢を抱いていた.もっと生きたいと望んだのだ.
おそらくは、彼が学校を中退したときから、彼の母親も、彼と同様に、無感動な日々を送ってきたのであろう.

さて、もう一度元に戻って.
彼は無感動な日々を過ごしていた.生きる望みを抱かない、生きる価値のない日々を過ごしていた.それが為に、何も考えることなく4発の銃弾によって殺人を行ってしまったのである.
その彼が、死刑執行を前にして、生きたいと望んだ.生きる価値を見つけ出した彼を殺そうとする、死刑とはそう言う行為であった.
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2019年10月30日追記

1.ムルソーが言っていることを、理解出来るかどうか?.
2.理解できるのならば、彼の言っている事が、正しいかどうか.
と、どうしてもこのように考えがちになるのですが、上の二つの項目は置いておいて、彼が裁判で嘘をついていたかどうか?.
こう考えれば、彼は裁判で真実を述べていた、あるいは真実を述べようとしていたと言えるはず.

教誨師
教誨師は嘘つきであった.『あんたが来たら、明日は執行の日だ』と言うと、『きっと上告が認められる』と嘘を言った.そして、神を信じろ、死後の世界を信じろ、嘘を信じろとムルソーを責め立てた.
ムルソーは自分なりに真実を述べたけれど、死刑になろうとしているのである.教誨師に対して、そんな話は聞きたくない、帰ってくれと言って当然である.

教誨師は、数時間後に死刑が執行されることを知っていて、ムルソーに嘘をつくように強要した.教誨師は嘘をついて死んで行けと言ったのである.嘘をついてはいけない.正しいいことを言って生きて行かなければならないのは、誰にでも分ること.と、考えれば、裁判で真実を述べようとしたムルソーは生きて行かなければならなかった.....死刑にしてはならなかったと言える.


現実の裁判とは.....
綺麗事の謝罪の言葉を並べて、判事の心象を良くして情状酌量を求めて、少しでも罰を軽くしようとする.
要するに、嘘つきによって行われるものなのです.

では、裁判で真実を述べるとどうなるか.
『光市母子殺害事件』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
『異邦人』も『光市母子殺害事件』も同じ結果になった.
真実を述べている事を理解されず、供述の内容を理解されず、死刑になりました.

『光市母子殺害事件』の弁護団を、当時、橋下徹は批判しました.
綺麗事の謝罪の言葉を並べて、判事の心象を良くして情状酌量を求めて、少しでも罰を軽くしようとしないから、死刑になるのだ、と.
橋下徹は、罰を軽くするには嘘をつくことが当然だ、と、言ったのです.

以前に、ミスを犯した航空管制官の裁判がありました.
ヨーロッパではこのような裁判は、ミスを犯した者を処罰するのではなく、同じ間違いを繰り返さないために、罰則は軽くして真実を述べることを求めるのが当然になっているのですが、日本では厳罰を求刑しました.

『光市母子殺害事件』では、被告が被害者に対して残酷な供述をしました.確かに真実を述べたからと言って、被害者感情を逆撫でするだけだったかもしれない.けれども、嘘をついていては間違いなく何も分らない.真実を述べても何も分らないかもしれないけれど、ひょっとしたら何か分るかもしれない、その程度の意味しかないかも知れないけれど、けれども、真実を述べる事を、正しいこととして評価しなければならないはずである.



ルートヴィヒ [復元完全版](ルキノ・ヴィスコンティ 1972年 240分  イタリア、西ドイツ、フランス)

2014年10月21日 08時53分44秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
ルートヴィヒ [復元完全版](1972年 240分  イタリア、西ドイツ、フランス)

監督     ルキノ・ヴィスコンティ
製作総指揮  ロバート・ゴードン・エドワーズ
脚本     ルキノ・ヴィスコンティ
       エンリコ・メディオーリ
       スーゾ・チェッキ・ダミーコ
撮影     アルマンド・ナンヌッツィ
音楽     フランコ・マンニーノ

出演     ヘルムート・バーガー
       ロミー・シュナイダー
       トレヴァー・ハワード
       シルヴァーナ・マンガーノ
       アドリアーナ・アスティ
       ソニア・ペトローヴァ
       ジョン・モルダー=ブラウン
       マルク・ポレル
       ゲルト・フレーベ


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【威信】[名]威光と、それに対する信頼。権威と信望。

【威光】[名]地位の上の人が、下の人を恐れさせ、従わせる勢い。威勢。

【権威】[名](1)他のものを従わせる力。命令する力。▽―を失墜(しつつい)する。
      (2)その分野の学問、技術で、とくにすぐれていること。また、そのような人。
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【神父との話し】
おごることなく、むしろ命ぜられた栄誉を畏れなさい
今後、救済に至る道はいっそう険しくなるだろう
謙虚でありなさい.最も重要なことです
身近な人の忠告に率直に耳を傾け、従いなさい
真に偉大な者は、控えめで慎ましく、栄誉に惑わされない

分りました.私を苦しめてきた不安も、今や去りました
授けられた力の使い方が、分ったからです.目の前の闇が開けました
私は真の賢者や、偉大な芸術家を集め、王国の名を高めるでしょう
かつての偉大な君主たちが、そうしたように.必ずや私も
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神父の言葉をどの様に理解したかは別にして、彼は、(栄誉にこだわり)王国の名を高め、偉大な君主になろうとした.

『幻想と希望に満ちたその日
     若き王子は王権を手にされました』


【大尉の話し】
殿下は安らぎを、規則の外に求めておられます

自然なことだ.世界は耐え難いほど醜い
人々は物質的安定のみを求め、そのために命さへ投げ出す
私は自由でありたい.真の幸福を求めたい
だが弟と違って考えと行動を一致させたい.だから戦争に背を向けたのだ
卑怯からではない.欺瞞は嫌いだ.真実に生きたい

失礼ながら、私ごときが意見をするのをお許しください
真実に生きたいと言われたのは、"自由人として"と言うことでは?
本能と好み通りに、偽善も欺瞞もなく
だが真実とは、その様な自由とは無縁です
自由というものは、特権ではありません
真の自由は、万人のものであり
我々誰もが手にする権利があるのです
我々は純粋ではあり得ず、裁く権利もない
私は友人として話しているのです
............
人生を愛するものは不可能を求めはせず
慎重に振る舞うものです
国王として持っておられる大権にしても
人間社会の枠の中にあります
誰がその枠を外せます?、誰が?
控えめな人間には、陛下の言う自由にはついて行けません
陛下は軽蔑しておいでですが、物質的安定も最低限必要なのです
ついて行けるのは、自由が道徳的束縛のない快楽だと、解釈するような人です
だが間違いです
卑屈な奴隷根性や、人を食い物にする者、
そんな連中を歓迎すべきではありません.ごまかされてはならぬのです.
別の存在理由を見つけようとなさるべきです
平凡な人間の平凡な存在理由を、受け入れるのです
高い理想を追う人には勇気のいることですが、それが孤独から抜け出る唯一の道です
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神父との会話を合わせて考えれば、彼は偉大な君主として、自由で、真実の幸福を望んだ.
それに対して大尉は、『真の自由は、万人のものであり、我々誰もが手にする権利があるのです』
つまり、特権を持った君主には、自由もなければ真実もない.
もっといえば、特権を持った君主の存在そのものが欺瞞である.

【教授との話し】
夜ほど美しいものはない
夜や月の崇拝は、母性崇拝であり
太陽や昼は、父なる神話だという
しかし夜の神秘と壮厳さは、
私にとって、英雄達の王国なのだ
同時に、理想の世界だ

気の毒だな、一日中私を観察せねばならぬとは
だが、私は謎だ.謎のままでいたい.永遠に
他人ばかりか、自分にとっても
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彼の理想とは、英雄達の王国を作ることだった.それが、彼の真の幸福であったらしい.
お金によって表わすことの出来ない価値を求めるのだから、お金を惜しんではいけない.と考えて、彼は大金をつぎ込んだのであろうけれど、魂の安らぎを求めた彼に対して、ワーグナーは生活の安定、お金に安らぎを求める人間だった.役者もしかり、贈り物だけでなく、手紙まで売ってお金に換える人間だった.

もう一度、神父の言葉
『謙虚でありなさい.最も重要なことです.身近な人の忠告に率直に耳を傾け、従いなさい.真に偉大な者は、控えめで慎ましく、栄誉に惑わされない』

彼は、身近な人間、大尉の言葉に耳を傾けようとしなかった.大尉の言葉は、お金で買うことの出来ない友情による忠告だった.
エリザベートの言葉にも、彼は耳を傾けようとはしなかった.自分が愛している女性の言葉も聞こうとはしなかった.彼のエリザベートに対する愛情も、お金で買うことが出来ない心のはずなのだけど.
教授の場合も同じ.教授は彼の心を理解しようとして、夜の散歩を認め、そして一緒に出掛けた.教授が彼を理解しようとする気持ちも、お金で買うことの出来ない心であったのだけど.けれども、彼はその教授を殺して、自分も自殺してしまった.

友情、愛情、は、庶民も君主も違いのない人の心であり、彼は君主として生きる以前に、まず、そうした人の心を大切にしなければならなかったはずである.
ところが彼は、まず第一に、偉大な君主、英雄になろうとした.全てをお金で手に入れようとした.お金で買えるものによって、偉大な君主、英雄になろうとした.あるいは、お金をケチるようでは偉大な君主とはいえない、偉大な君主とは大金を使って英雄になるものである、と思っていたのかもしれない.

書き添えれば、心の安らぎは、友情あるいは愛情で結びついた、互いの理解によって得られるものなのですが.
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山本五十六と真珠湾攻撃
山本五十六にとって、真珠湾攻撃は生涯の夢だったそうです.
真珠湾攻撃は、太平洋戦争前になって思いついたものではありません.山本五十六がアメリカに留学していたとき、教授の軍人が、日本がハワイを攻撃し占領することが可能かどうか?、可能であると図上演習で示したそうで、その時からの夢であったようです.山本五十六は事ある毎に、いざという時にはハワイを攻撃してやる、アメリカ西海岸を攻撃してやると言っていました.
それはさておき、実際に真珠湾を攻撃して戦果は上げたのですが、アメリカと戦争をするという行為、戦争に勝利するという事は、所詮は幻想に過ぎませんでした.
日本人の多くが山本五十六を英雄のように思っているようですが、幻想を英雄だと思い込んでいるに過ぎません.

戦艦大和
不沈戦艦大和と言われたようですが、沈没しました.
駆逐艦の乗組員の人が初めて大和を見たとき、この船は絶対に沈まない、この船さえ有れば絶対に戦争に負けないと思ったそうです.駆逐艦は約3千トン、大和の砲塔一つが同じくらいの重さがあり、そう思って当然なのですが.
けれども、武蔵も大和も、主砲が一発も命中することもなく、全てが幻想に過ぎませんでした.

ナポレオンは英雄でしょうか?.
フランス人にとっては英雄かもしれないけれど、他の国の人にとっては迷惑な人間に他なりません.

このように、現実の世界でも英雄と幻想は対になって存在します.
書き加えれば、山本五十六は、ミッドウェーで負け、ガダルカナルで負け、トラック島の大和から懇意の芸者置屋の女将への手紙に、『愛人の女と一緒に、南洋の島で暮らしたい』と書いてきたそうで、大尉がルートヴィヒに言ったように、平凡な人の平凡な幸せを求めたようです.
戦争に負けて、やっと、山本五十六は幻想からさめたのだと思います.
山本五十六は、どの様な手段で自分の夢を実現しようとしたか?.所詮は、膨大な軍事予算をつぎ込んだに過ぎません.
ロンドン軍縮会議の時、戦艦の建造割当量が不満な山本五十六に対して、大蔵大臣が日本には現在の割当量も建造する金がないと言ったら、『貴様、黙れ.黙らないと殴り倒すぞ』と、山本五十六は大蔵大臣を恫喝しました.

ルートヴィヒが大金をかけて作った城を見て、人々がどう思うのか?.所詮は皆が幻想を抱くだけに過ぎないのです.エリザベートが笑い出したのですが、巨大な城の豪華絢爛の調度品が何を意味するかと言えば、全てが幻想を抱かせるだけに過ぎなかったのでしょう.
彼女はオーストリアの王紀になったけれど、豪華絢爛な城での暮らしは、幸せとは無縁であった.誰もがあんなお城で暮したい思うかもしれないが、豪華絢爛な調度品が幸せを約束するものではなく、そこに幸せを求めるとすれば幻想に過ぎない.














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『ワーグナー+幻想』で検索すると、幻想曲、幻想交響曲と言った項目が見つかります.
ワーグナーは幻想を抱かせる音楽を作曲していたようです.

映画『地獄に堕ちた勇者ども』 - THE DAMNED - (ルキノ・ヴィスコンティ)

2014年05月23日 00時32分17秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
地獄に堕ちた勇者ども
LA CADUTA DEGLI DEI
1969年 155分
イタリア、西ドイツ、スイス

監督  ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
製作  EVER HAGGIAG
    アルフレッド・レヴィ ALFRED LEVY
脚本  ニコラ・バダルッコ NICOLA BADALUCCO
    エンリコ・メディオーリ ENRICO MEDIOLI
    ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
撮影  アルマンド・ナンヌッツィ ARMANDO NANNUZZI
    パスクァリー・デ・サンティス PASQUALE DE SANTIS
美術  PASQUALE ROMANO
    ENSZO DEL PRATO
音楽  モーリス・ジャール MAURICE JARRE
編集  RUGGERO MASTROIANNI

出演者
フリードリッヒ.....ダーク・ボガード DIRK BOGARDE
ソフィ.............イングリッド・チューリン INGRID THULIN
アッシェンバッハ...ヘルムート・グリーム HELMUT GRIEM
マーチン...........ヘルムート・バーガー HELMUT BERGER
RENAUD VERLEY
ヘルベルト.........ウンベルト・オルシーニ UNBERTO ORSINI
エリザベート.......シャーロット・ランプリング
コンスタンチン.....ルネ・コルデホフ RENE' KOLDEHOFF
ヨアヒム・フォン・エッセンベック.....アルブレヒト・シェーンハルス ALBRECHT SCHONHALS
NORA RICCI CHARLOTTE RAMPLING
ギュンター.........ルノー・ヴェルレー
オルガ.............フロリンダ・ボルカン FLORINDA BOLKAN




狂気と正気、そして強者とは

狂気と正気
狂気とは、描かれたとおりであり、説明するまでもないこと、と言いつつも説明すると、狂気とは人間の心を失うことである.
文学、芸術とは、人の心を描いたもの.その本を燃やしてしまった行為、それは狂気である.
マルティンが、母親の結婚式に連れてきた人間たちは、マリファナを吸っている.麻薬を打つ、マリファナを吸うと、正気ではなくなる.麻薬は狂気になる.

狂気の末路は、描かれた通り、死でしかなく、時代的背景が示すように、死でしかない.
突撃隊のパーティは狂宴だった.親衛隊の襲撃を受けて、彼らは身をかばい、殺さないでくれと言った.これが正気と言ってよいのでしょうか.

強者(権力)と弱者
同盟関係と言うのは、対等な立場を言うのではなく、弱者が強者に服従して、見返りに、自分の安全と利益を得る行為である.
描かれた限りでは、親衛隊のアッシェンバッハ、彼が一番の強者であった.「密告と裏切りが、国民の道徳となった.これこそ第3帝国の偉業だ」と、そうして得た、ドイツ国民全ての情報を集めた資料室で、彼は言った.国民の私生活の情報を入手して、相手の弱みを握り服従させる.それが強者の姿だった.

強者と弱者、そして憎しみ
マルティンは、親と子と言う関係で、母親に服従するよう虐待されて育てられ、そのために、母親の愛情に餓える彼は、母親に憎しみを抱いていた.
彼は、ヘルベルトの言葉によって、母親の弱みを知ると、母親を強姦して服従させ、そして、母親の結婚を破滅に追いやった.彼は、アッシェンバッハの指示で、母親を強姦したのではない.自ら狂気を行ったのである.
少女の強姦、自殺、アッシェンバッハに弱みを握られた彼は、狂気に服従する人間であり、そして自ら進んで狂気を行う人間であった.
会社を手に入れるだけならば、突撃隊を皆殺しにしたように、一族を皆殺しにすれば済む.けれども、それでは、親衛隊という狂気の組織が、大きくなるわけではない.権力に服従し、なおかつ自ら狂気を行う人間に、会社の実権を握らせてこそ、狂気の組織が大きくなる.

ギュンター
ギュンターは父を、フリードリヒが殺したことを知り、憎しみから復讐心を抱いた.そして彼もまた、復讐心をアッシェンバッハに操られて、権力に服従していった.

戻ったヘルベルト
新工場の落成式に誰も出席しなかった.マルティンとギュンンターが、自分に服従しないので、フリードリヒは、彼らが陰謀を企んでいるのだと考えた.「真実を語ろう」、と、彼は話しはじめたのだけど、アッシェンバッハの陰謀で操られているフリードリヒは、マルティンもアッシェンバッハに操られている事が、分からない.
「真実を語ろう」つまりは、「本当のことを言え」と、フリードリヒは、マルティンとギュンターを服従させようとして、話し始めた.その場所へ、ヘルベルトが戻ってきて、真実を語り始める.
彼は、戻れば親衛隊に捕まり、殺されることを承知で戻ってきた.これは狂気と言ってよい.
けれども彼は、彼の知り得る真実、フリードリヒの殺人と、マルティンの母親が、自分の妻子を収容所に送り、殺害したことを話した.真実を話した彼は、正気であったと言える.
「だれかが真相を、すべての人のために伝える必要がある.後の世に」、この、ヘルベルトの言葉は、真の強者を現していると言える.
彼は逃亡を図った.この意味では弱者であったのだが、強者に妻子を殺されたことを知った彼は、自分の死を恐れることなく戻ってきて、真実を話した.権力者に服従することなく、真実を伝えること、それが真の強者と言ってよい.

けれども、ヘルベルトは、勇敢に権力に反抗したが、妻子を殺されてしまった.親衛隊に反抗した突撃隊もしかり、皆殺しにされた.

服従と屈服、そして、団結.
フリードリヒは、会社を自分のものにしたいという欲望を、アッシェンバッハに操られてヨアヒムを殺し、その弱みによって服従を強いられて、更にコンスタンチンを殺すことになった.彼の殺人によって、一族は憎しみ合い、分裂していった.一族を分裂させて、殺し合いをさせる、それがアッシェンバッハの陰謀であった.
狂気に服従しないと(反抗すると)殺されてしまう.
「生き残るために、権力者に服従するが、けれども、決して屈服はしない.この心で、一族が団結するのだ」と、鉄鋼王、ヨアヒムは言った.この考えが、権力者にとって邪魔であったからこそ、彼は暗殺された.そして、彼が言うように、一族が団結すれば、彼は、殺される事はなかったはず.
一人一人は弱い.そして、いつの時代でも陰謀は行われる.
狂気の時代には、権力に屈服しない心で、皆が団結しなければならない.(ヨアヒム)
狂気の時代でないならば、権力に服従しない心で、皆が団結し、そして真実を語らなければならない.(ヘルベルト)



揺れる大地 - LA TERRA TREMA - (ルキノ・ヴィスコンティ 1948年 161分 イタリア)

2014年05月23日 00時22分32秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
揺れる大地 - LA TERRA TREMA - (1948年 161分 イタリア)

監督  ルキノ・ヴィスコンティ
製作  サルボ・ダンジェロ
原案  ルキノ・ヴィスコンティ
脚本  ルキノ・ヴィスコンティ
    アントニオ・ピエトランジェリ
撮影  G・R・アルド
音楽  ウィリー・フェレーロ
助監督 フランチェスコ・ロージ
    フランコ・ゼフィレッリ

出演  アントニオ・アルチディアコノ
    ジュゼッペ・アルチディアコノ
    アントニーノ・ミカーレ



『反抗という言葉も知らない純朴な住民たちだった』、沿革を示すこの言葉からこの映画は始まる.
不正ばかりで、安く魚を買いたたく仲買人に反抗する.初めはみんなで力を合わせて仲買人に立ち向かった.漁師たちは団結して仲買人に反抗した.けれども、自分達の手で直接、街で魚を売ろうと考えたのだが、元手になる資金を必要とすることに対しては、仲間は集まらなかった.皆に手本を示そうと一家だけで事業を始めた.大漁に巡り会い、いったんは事業が成功したかに見えたけれど、嵐に遭い一転して全てを失う事に.

アントーニの好きな女.いったんは結婚を決意したかに思えた彼女は、没落と共に会おうともしなくなった.彼女にとってお金が幸せであったようだ.
長女が想いを寄せる職人の男は、一家の事業が成功したかに見えたとき、豊かな家の女と貧乏な自分を意識して結婚をあきらめる.やはり、お金と幸せを結びつけて考えたようだ.

妹はスカーフ一枚を欲しがって、警察署長の誘惑に乗ってしまう.お金.
弟はお金を稼いで一家を救うべく、怪しげな一味に加わる決心をして家を出る.お金.
地元の住民たちは、一度は成功したかに見えたときの妬みから、誰も彼らを雇おうとしない.
家を差し押さえられ全てを失う一家、アントーニはいたたまれなくなり、浮浪者と一緒に酒浸りの生活になる.

アントーニは船を観たくなった.彼は船の持ち主になった家の娘と出会う.
少女「助けてあげたいけど」
アントーニ「子供じゃあ無理だろう」・・・・・
アントーニ「愛し合って、団結するようにならんと、世間もよくなるまいよ」・・・・・
少女「また見に来てね」

「子供じゃあ無理だろう」なぜ、アントーニはこう答えたのか.子供ではお金を持っていないから、子供ではお金を稼ぐことができないから、だからこんな言葉になったのではないのか.
お金で幸せは買えない、お金以前に、もっと皆が助け合わなければ、こう、映画全体に描き込まれているけど、アントーニ自身がお金で物事を考える人間だったのではないのか.
「愛し合って、団結するようにならんと」と、アントーニは言った.「愛し合って、団結する」事は、お金ではないはず.
「助けてあげたいけど」この少女の言葉が、こう、優しく声をかけることが「愛し合って、団結する」事なのだ.

船を観たくなった、とは、漁に行きたくなった.彼は有能な漁師、その彼が船を観たくなったとは、つまり、頑張って漁をしていた頃の自分を思い出した、あるいは、船を観れば自然と思い出すと言って良いはず.「また見に来てね」と、少女は声をかけた.この言葉は、もう一度、漁に行きなさい、彼にしてみれば、こう、言い聞かせるように受け取られたのでしょう.
恥も外聞もない.如何に罵声を浴びようが、貧乏のどん底から抜け出すには、残った家族が力を合わせて働くしかない.彼らにとっては、もう一度漁に出るより他はない.こうすることが、家族が愛し合って団結することでした.

この映画で描かれた反抗とは団結して戦うことだった.団結して仲買人に対して皆が一緒に戦ったけれど、その団結は、お金が欲しいと言う目的で、皆が一致したからにすぎなかった.けれども、お金だけが目的の結びつきは、お金のバランスが崩れたとき、その団結もバラバラになってしまったのだ.
お金以前に、皆が助け合う心を持つこと、皆が助け合う心で団結することが、何より大切な事である.











若者のすべて - ROCCO E I SUOI FRATELLI - (ルキノ・ヴィスコンティ 1960年 177分 イタリア、フランス)

2014年05月23日 00時01分52秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
若者のすべて - ROCCO E I SUOI FRATELLI - (1960年 177分 イタリア、フランス)

監督  ルキノ・ヴィスコンティ
製作  ゴッフリード・ロンバルド
原作  ジョヴァンニ・テストーリ
原案  ルキノ・ヴィスコンティ
    ヴァスコ・プラトリーニ
脚本  ルキノ・ヴィスコンティ
    スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
    マッシモ・フランチオーザ
    エンリコ・メディオーリ
撮影  ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽  ニーノ・ロータ

出演  アラン・ドロン
    アニー・ジラルド
    レナート・サルヴァトーリ
    クラウディア・カルディナーレ
    カティーナ・パクシヌー
    アドリアーナ・アスティ
    シュジー・ドレール
    ニーノ・カステルヌオーヴォ



思い遣りと身勝手
三省堂大辞林より
あわれみ 【哀れみ・憐れみ・愍れみ・憫れみ】
 かわいそうに思うこと。ふびんに思う気持ち。同情。慈悲。「―を乞う」「―をかける」

おもいやり 【思い遣り】
(1)その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。「―のない仕打ち」
(2)遠くから思うこと。想像。推量。「―異なることなき閨のうちに/源氏{帚木}」
(3)思いめぐらすこと。思慮。考え。「いにしへのすきは、―少なきほどのあやまちに/源氏{薄雲}」

憐れみも、思い遣りも、どちらも同情という意味を持つのだが、この二つの言葉が同じでないことは、容易に察しがつく.

しょうだく【承諾】
(1)他人の依頼・要求などをもっともと思い、引き受けること。承知。
(2)申し込みの意思表示と結合して契約を成立させる意思表示。

りかい【理解】
(1)物事のしくみや状況、また、その意味するところなどをわかること。納得すること。のみこむこと。
(2)相手の立場や気持ちをくみとること。
(3)道理。わけ。また、道理を説いて聞かせること。
(4)「了解{(2)}」に同じ。

承諾するとは、相手の要求を理解し、了解、了承することである.つまり、承諾とは理解である.

ラストシーンから.
帰りかけたルーカが振り返ると、兄のチーロとその恋人がキスをしていた.弟は、「今夜家においでよ」と声をかけた.家族とはどう言うものか、と、問うとき、好き合った男女が一緒になって幸せに暮らすこと、それが何より大切なことであるのは、幼い弟にも理解されたはずである.こう考えれば、大聖堂の屋根の上で繰り広げられるシーン、ナディアに対するロッコの話は、好き合った男女の仲を引き裂くものであり、湖畔の殺戮のシーンは、その結果として引き起こされたことが明瞭に理解される.
DVD付録の予告編は、この映画の封切り時にカットされた部分をお見せしましょう、と言う編集なのだけど、重要の部分がほとんど切られていた.

最初に戻って.
母親と兄弟4人は長男を頼って、正確に言えば長男の結婚予定の相手の家を頼って、南のはてから北部のミラノにやって来たのだった.おまけに一家揃って越してくるとは連絡してなかったようだ.いきなり多人数の家族にやって来られては誰だって困る.これはどのように考えても身勝手であり、一家の身勝手からこの映画は始まっている.

長男ヴィンチェンツォ.




その恋人ジネッタとの会話から.
「ほんとに好きな女なら、強引にものにしろって」、とヴィンチェンツォの母親が言ったという.『女をものにする』とは、男の身勝手な考え方.「ものにする?.親はどうでも、私の承諾だけはいるのよ」、ジネッタはヴィンチェンツォをひっぱたいて言い放つ.
結婚は、決して強引に相手をものにすることではない.結婚を承諾すると言うことは、二人が互いの心を理解し合ったと言うことのはずだ.












次男シモーネ.


試合に初勝利のその日、通りに出るとシモーネはナディアに出会った.ついさっき、お祝いに食事に行く約束をしたばかりなのに、その約束を反故にして、シモーネはナディアと二人、すたすたと夜道を行く.
弟ロッコの勤め先に押しかけてロッコの給料を前借りさせ、クリーニング代も弟に押しつけて、練習をサボって女と遊びに行ってしまった.
盗んだブローチをナディアにプレゼントしたが、容易に察しがついたナディアはロッコに返してくれるように頼んだ.盗んだ物をプレゼントしても、相手は喜びはしない.
「おまえはおれの女だ」と言い放ち、ナディアを強姦した.
「金をやるから、出て行け」と言ったら、「出て行って欲しかったら、もっと金をよこせ」と言う.
言うこともやることも全て身勝手、この男の身勝手は切りがない.
けれども家族の誰もが、彼の身勝手を正すことが出来なかった.シモーネの身勝手を放置した、その結果と言ってよいであろう、ついに最後は殺人を犯すことに.








三男ロッコ.




彼は自分の恋人ナディアに「兄を救って欲しい」と言ったのだった.けれども、言われたナディアにしてみれば、なぜ自分が嫌いな男に尽さなければならないのか、まして、自分が本当に好きな相手から、そのように頼まれるとは.仮にロッコの言葉が兄に対する思い遣りであったにしても、ナディアにしてみればロッコの身勝手な言い草に過ぎなかった.ナディアにとってロッコの言葉は、残酷なシモーネの行為に、更に輪をかけた残酷な仕打ちだったとも言える.












四男チーロ.


お祭りの街中で突然に「キスしてくれ」と、身勝手な望みを言ったチーロ.
「こんなところで」、とは言ったけれど、彼女はチーロの気持ちを分ってくれたようだ.
二人は、満足の行くまでキスした.身勝手な言葉であっても、相手が理解してくれたなら、何も身勝手ではなかった.

「パパがあんたに来てほしいって」
「今でもいい」
「いや、明日にしよう.駆け落ちのチャンスを残しとくよ」
彼女の父親は家に来てほしいといった.チーロを気に入ったようだ.けれども、明日にしようと考え直したようだ.初めて会った日に家に来いと言うのは身勝手.自分はチーロを気に入ったけれど、チーロが自分をどう思ったかは別の話.もし、チーロが自分を気に入らないのなら、娘と駆け落ちすればいい.結婚するかどうかは当人同士の問題である.彼女の父親はこんな風に理解したのでは.






末の弟ルーカ


『家族だから』『兄弟だから』と、皆が殺人を犯したシモーネを匿おうとした.匿って救おうとしたのだが、家族の中でチーロだけは、救いようがなく警察に任せる以外に方法がないことを、すぐに理解したと言える.
工場のお昼休み、末の弟ルーカはチーロに会いに来た.シモーネが警察に捕まったことを知らせに来た.....『お前は家族の中で裏切り者だ.おまえのせいで警察に捕まった』と、言いに来たのだった.
そんなルーカにチーロは自分の気持ちを、自分の考えを幼い弟に話して聞かせた.「ロッコの寛大さが.....ロッコは赦してはならない者を赦してしまった」、こんな話をしたのだが、チーロの言うことが幼いなりにも良く理解されたらしく、聞き終わってルーカは納得して帰り道についたのだった.







互いの心を正しく理解しあって、互いに思い遣りの心で接することで信頼が生まれる.四男チーロがルーカに、「いつか分かるときが来ると思うけれど」と理解を求めたのだが、その話の内容は、兄弟に対する彼なりの正しい理解に基づく思い遣りが含まれた言葉だった.
その実態は全く描かれないのだけど、チーロは夜学に通い勉強した.学ぶ、知る、と言うことは、理解すると言うことに等しい、あるいは、より理解を深める行為と言えるはず.
反対に身勝手は、家族の信頼関係を引き裂き、皆の生きる夢、希望を奪うことになった.同情、哀れみは、一見相手の幸せを願っているかに思えても、所詮は自分勝手な、身勝手な思い込みに過ぎない事であったのだ.

チーロの思い遣りが理解より派生するものであるならば、他方、ロッコがシモーネに対して見せた思い遣りは単に同情、哀れみに過ぎなかった.互いの理解が信頼を生み、そして、そこから生きる夢、希望を生み出すものならば、同情、哀れみは見事なほどになにも生み出しはしない.に留まらず、ナディアの生きる夢、希望を奪ったのは、ロッコのシモーネに対する同情心、哀れみであり、結果としてナディアは刹那的な生き方をすることになり、そうしたナディアの生き方もまた、ナディア自身もシモーネも誰も救いはしなかった.
ナディアを殺して帰ってきたシモーネに、ロッコは自分だけに話せと言ったのだった.また兄弟に言わせれば、ロッコは言い出すと聞かない性格らしい.ロッコはシモーネの不正な行いを話そうとはしなかった.自分の給料を前借りさせた件、ブローチの窃盗、ナディアを強姦し自分を殴りつけた事件、シモーネの不正な行為を兄弟に話そうとしなかった.ロッコは全ての不幸を自分一人で背負い込もうとしたのだが、その結果はシモーネが殺人を犯すことにしかならなかったのだ.皆で話し合えば互いの理解が得られ、そして理解が信頼を産むのである.けれども、シモーネの不正を秘密にしたロッコの行為は、家族の不審を産むだけであったと言える.

シモーネが金を盗んで警察に訴えられた時、ロッコは長期契約の契約金でお金を工面しようとした.長男のヴィンチェンツォは、「家庭がある」「子供が産まれたばかり」などと理由をつけてお金の工面を断った.チーロはロッコに止めるように言ったが、けれども最後は彼もまた、ロッコに従ったのだった.
シモーネがナディアの気を引くために、ブローチを盗んでプレゼントしたこと、そして強姦して、ロッコからナディアを奪い取ったこと、チーロはこうした出来事を知らなかった.チーロはロッコの工面した金を渡して、シモーネを家から追い出そうとしたのだが、全てを知っていたならば、間違いなくこの時点で、シモーネが警察に捕まる道を選んだであろう.

チーロの言葉を借りれば、シモーネの身勝手にロッコの寛大さが輪をかけることになったのだ.ロッコは丈夫な家の基礎を作るために生け贄がいると言ったが、丈夫な家族の絆のために、生け贄がいるというようにも受け取れる.ロッコとシモーネの兄弟の絆のために、生け贄としてナディアが必要だったとでも言いたかったのだろうか?.ロッコがシモーネを救うために決心した拳闘のシーンと、シモーネがナディアを殺傷するシーンが交互に進行する.ナディアを殺したのは誰なのか、誰なのか、と、問いかけるように.

ロッコは以前に試合を終えた時、このように言ったことがあった.
「敵は奴じゃなかった.誰かしらない憎い相手だった.いつのまにか渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた.嫌なことだよ」
『誰かしらない憎い相手だった』とは、シモーネに他ならない.チーロは『ロッコは聖人で、赦してはならない者を赦してしまった』と言ったのだが、正確に言えば『赦すことの出来ない者を赦してしまった』のである.チーロも全ての出来事を知っていれば、彼もこのように、あるいは、このようにも言ったであろう.
他人の金を盗んだやつは、赦してはならないかもしれないが、赦すことは出来る.けれども自分の好きな女を強姦して奪ったやつは、赦してはならないし、赦すことも出来ない.
ロッコは必至に苦しみを押さえ込んで、心をねじ曲げて、上辺の言葉ではシモーネを赦した.赦したつもりでいた.ロッコ自身、そう信じて居たであろうが.....けれども心の奥底には、歪んだ憎悪の感情を抱き続ける事になったのだ.
ロッコはシモーネに対する憎しみを心の奥底に押し殺し、それに加えてナディアの死という悲しみを心の奥底に押し殺し.....、ルーカの帰り道、道の壁に、憎しみと悲しみに満ちた顔、歪んだ心のロッコの写真が、優しさが全て失われたロッコの写真が、幾枚も幾枚も張られていた.



『勝つことは初めから分ってた』
『敵は奴じゃなかった』


『いつのまにか心の中に』
『渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた』
『嫌なことだよ』



















処女を失った女は全て娼婦だった.