映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

挽歌 (五所平之助 松竹 1957年9月1日 127分)

2016年06月22日 03時30分22秒 | 邦画その他
挽歌
公開 1957年9月1日
監督 五所平之助
原作 原田康子
脚本 八住利雄
   由起しげ子
撮影 瀬川順一
美術 久保一雄
音楽 芥川也寸志

出演
兵藤怜子.....久我美子
桂木節雄.....森雅之
妻あき子.....高峰三枝子
娘くみ子.....中里悦子
姪友子加.....賀ちか子
古瀬達巳.....渡辺文雄
久田幹夫.....石浜朗
ダフネのおやじ..中村是好
女中ゆき.....武藤れい子
谷岡夫人.....高杉早苗
怜子の父.....斎藤達雄
弟信彦......高崎敦生
ばあや......浦辺粂子






怜子と桂木
『ねえ、お願い.今だけでいいわ.私のことだけ考えて.他の事みんな忘れて.ねえ、お願いよ』
湖畔のホテルで怜子は桂木にこう言って、そして二人は関係を持った.これはこれで別に何も言うことは無いのだけど、でも、家に戻ってからの彼女は、居留守を使って、桂木からの電話に全く出ようとしなかった.
『こうなったからには、相手の男に責任をとってもらわなくちゃ』と、ばあやは怜子に言ったのだけど.....
後の成り行きから言って、桂木は玲子に対して責任をとるために電話をかけてきたと考えれば、怜子が電話に出なかった行為は、桂木に責任をとらせようとはしなかったと言える.



幹夫と怜子
怜子の幹夫に対する気持ちは全く描かれない.けれども、喫茶店のマスターも、あき子も、いずれ二人が結婚をするのが当然の関係と思っていた.
少なくとも怜子は幹夫を嫌いではなかったし、怜子は幹夫の自分に対する気持ちも良く分っていたはずである.それなのに、なぜ怜子は、わざわざ中年の男との関係を求めたのか?.
『彼(桂木)は私の手が不自由なので、かわいそうに思って優しくしてるのだ.そんなのは嫌.本当の愛が欲しい』、怜子はこんなことを言っていたけれど.けれども、所詮こんな言葉は、言葉の飾り、言葉の遊びに過ぎないと思う.

覚めた目で怜子の行為を考えてみよう.
怜子が幹夫と肉体関係を持ったとしたら、それは否応なく結婚に結びつく事になる.20歳過ぎた年齢を考えれば、肉体関係を持つということは結婚を考えることであり、つまりは自分の将来を、自分の人生を考える事であったはずだ.もっと具体的に言えば、経済的には共稼ぎをしなければならず、仕事を探すことでもあったと思う.

では、妻子のある中年の桂木の場合は.
まず第一に、お金の心配は要らない.
結婚は?、怜子は桂木と結婚したいとは考えていなかった.先に書いたように、関係を持ってからは、桂木から電話がかかってきても出ようとしなかった.そして札幌の桂木を尋ねて、桂木が戻ってきたら自分と結婚しようと考えていることを知ると、そうさせないように画策した.

『ねえ、先のことは言わないで.今日一日は、なんにも忘れて楽しく送りたいわ』
これは札幌の牧場で怜子が言った言葉.彼女は何時も同じで、今だけ、今日だけが楽しければ良くて、明日のこと、将来のことは考えたくない女の子だった.
ロッテ館だっけ、『私こんなところ嫌』と言う怜子に、桂木は『君に似合いの場所だ』と言ったけれど、肉体関係だけで結婚する気のない者にふさわしいホテルだと言ったのであろう.(夫婦で行っても楽しいとは思うけど)

『ね、どこか遠いところへ行こうよ.僕はどうなってもいいと思ってるんだ』
これは達巳があき子に行った言葉.達巳も明日のことを、将来のことを考えない男だった.
それに対してあき子は、『東京に戻って学業を続けなさい』と言っている.

あき子は『あなたは自分を大切にしなければ』と怜子に言ったけれど、今だけよければ良い、今のことしか考えない、将来のことは考えないという生き方は、自分を大切にしない行為であり、彼らの行為があき子の自殺に結びついたことを考えれば、つまりは相手をも大切にしない考えであった.









桂木
湖畔の宿で初めての一夜を過ごした翌日、怜子が散歩に出かけていた留守の内に、彼は自分の会社に電話して、怜子の父親に言付けを頼んでいた.怜子も拒まずに付いてきたのであるから、怜子を強引に連れ出してきた事は置いておくとしても、妻子ある男が歳の離れた若い娘の父親に、初めて一夜を共にしただけで、その事を連絡する心境はどういうことなのだろうか?.
長いつきあいで互いに結婚を決めている男女なら、この際ついで、全てをはっきりさせてしまおうと言う考えもあろうけれど、男女が肉体関係を持ったからと言って、一々親に報告するような考え方はどこにもないと思えるのだが.
若い娘が無断で家を空けたので親が心配しているのは当然であり、なるべく早く、余計な心配をしないよう連絡するのも当然としても、それならば怜子が家に電話をすれば良いことであり、怜子が自分で電話をするのを嫌がったならば、例えばホテルの従業員に怜子からの伝言として電話をしてもらえば良かったであろう.





怜子が札幌へ桂木を尋ねたときも、彼は同様であった.いきなり尋ねてきた玲子を、まず実家に連れていった.
『もう2、3日すると親父たち帰ってくるからね、君も一度会っておいて欲しいんだよ』
『僕は君に済まないと思ってるんだ、僕は初婚ではないし子供が居るしね』
『待ってよ、まだ結婚するなんて言ってないわ』と、怜子は拒んだのだが、怜子が我が儘な娘ならば、一度肉体関係を持っただけで結婚する気になっている桂木の方も、相当に身勝手な考え方の男と言わなければならない.

コキュ【(フランス)cocu】の意味 - goo国語辞書
dictionary.goo.ne.jp/jn/76521/meaning/m0u/
コキュ【(フランス)cocu】とは。意味や解説、類語。妻を寝取られた男。

アーミー(?)
よく分からないけど、話の流れから判断して『愛人』と思われる.









怜子は桂木に妻が浮気をしていると思わせる手紙を書き、そして『赤と黒』、妻が若い男と浮気をした話をして、最後には明白に桂木に対して『妻を寝取られた男』と言った.
『妻が若い男と浮気をして悔しいでしょ.だったら、あなたも私を誘惑して浮気をしたらどうなの』
『うるさい、黙れ』と、桂木は怒りながらも怜子を抱き締めて口付けをした.....桂木は若い娘の怜子の侮辱とも言える言葉で自分の心を見透かされて怒ったけれど、同時に妻に若い男と浮気された悔しさを押さえきれなくなって.....見事に怜子の誘惑に負けてしまうことになった.

あき子が達巳を避けようとしていることを、怜子は良く知っていたはず.それなのに、あき子に対して達巳と桂木とどっちが好きか聞いた.
怜子は相手の心を知った上で、相手が最も触れたくない、触れられたくないと思っていることを口に出す女の子だった.(相手の弱みに付け込むと言ってよいのか)

怜子は幹夫の心を知った上で、彼があなたをモデルに絵を描きたいと言っていると、あき子に嘘を言い、そして幹夫と一緒に桂木の家の中へ入り込んで、あき子と桂木の家庭の中を覗き見した.あき子、桂木、そして幹夫、誰に対しても悪趣味で我が儘な女の子だったと言い放って良いだろう.

けれども、幾何か怜子を弁護して置こう.あき子が夫の食事を作る姿を見て居た為であろう、怜子は留守の家に勝手に上がり込んで、あき子を真似て桂木のためにサラダを作った.古くさい感情と言われるかも知れないが『妻の喜び』と言ったような感情が、怜子にも理解されて来たようだ.
自分がそうした生き方を望むかどうかではなく、そうした行為に喜びを見いだす生き方もあって、あき子の場合はたとえ自分が浮気をしたからと言って変わりはしなかった、そんな性質の心であると.....父親は怜子に『女親がいないと、女らしさが失われていってしまう』と言ったけれど、本来は母親の姿から自然に受け取るはずの感情が失われていってしまうと言いたかったのではなかろうか.

先に『本当の愛が欲しい』と言う玲子の言葉を、言葉の遊びと書いたのだけど、もう少し書き加えておこう.『本当の愛とは何だろう』、これなら何も問題はないはず、愛とはどの様なことか、考えながら本当の愛を見つけ出せばよいのだから.
けれども『本当の愛が欲しい』とは、相手からの愛を一方的に望んでいる.本当の愛が、身体と引き換えに相手の男から一方的に与えられると考えていた、この考え方は男女平等とは程遠い古典的、封建的な考え方であった.
桂木家の内部を盗み見みしようとした怜子は、本当の愛がどの様なことか分らなくとも、この点の間違いに気付くことになったはず.あき子の母親として子供に接する姿を通して、あるいは主婦として食事を作る姿によって、愛とは一方的に受け取るものではなく、互いにやり取りしあう心の触れ合いにあるのだと.





2016/06/24 追記
あき子と達巳
『東京へお帰りなさいな』と、あき子が言うと、達巳は『君と一緒ならいいが、一人じゃ嫌だ』と答えた.
『二人でどこか遠いとこへ行こう』とも言ったが、けれども彼は一言も『結婚しよう』とは言っていない.

若い男ならまさか結婚を望みはしないだろうと思って、あき子は達巳と遊びの関係を持ったのであろう.彼女の予想通り達巳は結婚を望みはしなかった.が、彼は予想に反して、桂木と離婚して愛人関係を続けるようにせまって、あき子に付きまとった.

怜子
怜子は男と関係を持ちたいが、けれども結婚によって自由を奪われたくないと考えていた.だから肉体関係になれば結婚を望むであろう幹夫ではなく、妻子のある桂木を誘惑した.
札幌に桂木を尋ねたとき、怜子はAMI(大切な人、愛人)になりたいと言っている.

あき子と怜子
桂木との関係があき子にばれてしまったとき、怜子は『もう二度と桂木とは会わない』とあき子に言ったのだが、桂木と結婚したいけれど自分に遠慮して言っているのだ、と、あき子は受け取ったに違いない.だから、自分の相手の達巳は、離婚しろと言うのに愛人を望んで結婚をしようと言わない酷い奴だけど、『怜子は(結婚を望む)良い子よ』と桂木に告げて、あき子は身を引くように自殺してしまった.

実際には、怜子は桂木との結婚を望んでいなくて、桂木とあき子が夫婦でいてくれることを望んでいたのだから、怜子がきちんと素直に自分の気持ちをあき子に話をしていれば、こんなことにはならなかったはず.
あき子も怜子も愛人関係を望んだが、けれども決して家庭を壊すことを望んだのではなく、二人とも同じことを望んだバカな女だったと互いに理解できたはずだった.

















国土地理院 地図、空中写真閲覧サービス
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整理番号 MHO611
1961/05/09撮影画像

釧路駅から真っ直ぐ下がったところの橋が幣舞橋


幣舞橋と、橋のすぐ右、川沿いに桂木事務所のあるビルが分ります.
橋を渡って坂を登って桂木の家に行くのですが、実際の家の位置は不明です.

橋が印象的だったので探してみました.


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整理番号 CHO7746
1977/09/23撮影画像

釧網線塘路駅の西部です.(写真の頃は鉄橋に掛け替えられていて、更に水害で落下している)