映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

スウェーデン映画『不良少女モニカ』 - SOMMAREN MED MONIKA - (イングマール・ベルイマン)

2012年12月11日 10時52分23秒 | イングマール・ベルイマン
不良少女モニカ - SOMMAREN MED MONIKA -
1952年 92分 スウェーデン

監督  イングマール・ベルイマン
原作  ペール=アンデシュ・フーゲルストルム
脚本  イングマール・ベルイマン
撮影  グンナール・フィッシェル
音楽  エリック・ノードグレーン

出演  ラーシュ・エクボルイ
    ハリエット・アンデルセン
    オーケ・グリュンベルイ
    ベンクト・エクルンド


1948年作の『愛欲の港』によれば、当時のスウェーデンでは堕胎は非合法.金持ちの娘は裏から手を回し病院で堕胎するが、貧乏人の娘は闇の医者に頼り、ばれたら感化院送りになる.

ハリーは子供が出来て、生活を改め、頑張って仕事をするだけでなく、勉強をしてよりよい生活を目指したのですが、他方モニカは、子供を産んでからも、以前と何も変わることはありませんでした.
彼女は、子供を望みをしなかったのですが、その事で二人が真剣に話し合った様子は無い、子供が出来たので当然のように結婚した二人だったのですが.

モニカの年齢設定は17歳.今の日本の感覚で言えば、子供を産むよりも堕胎を考える方が当然の年齢と言ってよいでしょう.モニカが悪いと言ってしまえばそれまでなのですが、好き合った男女二人が、理解し合った上で子供を産み、育てて行かなければならないはず、こう考えれば、彼女が望まないのに子供を生むことが当然と考えていた、ハリーの方にも考え違いがあったと言うべきでしょう.
そして、同時に、子供が出来たら絶対に生まなければならないという、社会の制度も大きな問題と言わなければなりません.先に書いたように、金持ちの娘は、裏から手を回して堕胎をしている実態を見てみぬ振りをして、現実を無視した制度がまかり通っていることは、どの様に考えてもおかしい、社会全体で考え直さなければならない制度だと言えます.
更に言えば、モニカの家族.夫婦の二人は仲が良く、そのせいもあってか子沢山なのですが、子供が健全に育つには程遠い家庭環境でした.酔っ払いと、暴力と、喧騒、あの様な家庭環境で暮していれば、もっと自由に暮したい、好き勝手に暮したい、そうした意識にとらわれて、本来抱くべき生きることへの夢、希望を失っていってしまっても、仕方がないことのように思えます.
彼女にしてみれば自分の子供も兄弟もそれほど年齢の違いがない、あの様な家庭環境から抜け出してすぐに、また自分が同じように子供を育てることになった、そうした環境から逃げ出したくなったとしても、それは、当然の結果のように思えてなりません.

二人の仕事の環境もあまりにも悪かったと言えます.ハリーは、子供が出来たことによる決心によって、人間関係に恵まれた素敵な環境の仕事を見つけましたが、別に子供が出来なくても、そうした仕事を捜すことは出来たはずである.人間関係に恵まれた素敵な環境の仕事、生きがいを持った仕事を見つければ、モニカもまた、考え方は変わっていったのではないでしょうか.

(2019年12月13日加筆)
モニカの両親は子供を作る行為は大好きだけど、子供を育てることには関心がない人間だった.さして広くはない一間の家に子沢山.雑然として安らぎのない家庭環境で育ったモニカもまた、子供を作る行為は好きだったけれど、子供は嫌い、自分が生んだ子供でも自分で育てなければという意識は、全く持ち合わせていなかった.

1975年頃、スウェーデンの法律が変わり堕胎が認められるようになって、詳しくは知りませんが、日本と大差ない制度になったようです.
当時、堕胎を認める要求だけでなく、薬局でのピルの販売等を合わせて要求する運動を行ったらしく、そうした面から、ものすごく性の開放が進んだ国に思われているようですが、日本より開放的であったにしても、映画を観る限り、それほどの差があるようには思えません.

モニカといた夏
https://www.youtube.com/playlist?list=PLyKVKmsuvBSSq3FUZyhlOBkv4Rcrl63Jc

太陽はひとりぼっち (ミケランジェロ・アントニオーニ) - イタリア/フランス -

2012年12月11日 08時03分45秒 | ミケランジェロ・アントニオーニ
太陽はひとりぼっち - イタリア/フランス 1962年12月19日 124分 -

監督   ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本   ミケランジェロ・アントニオーニ
     トニーノ・グエッラ
     エリオ・バルトリーニ
撮影   ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽   ジョヴァンニ・フスコ


出演   アラン・ドロン
     モニカ・ヴィッティ
     フランシスコ・ラバル


時代的背景
1960年 フランスの核実験.以降、アルジェリアで核実験を続ける
1963年 ケニア独立.独立は、この映画が撮られてから1年後である

原題(英語訳ですが、綴りがイタリア語と似ているので、多分これで良いでしょう)
Eclipse 失墜.暗い影、日陰の部分、日の当たらない場所、人が目にしない場所、
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- 本来の姿、自然な姿 -

別れることにした、婚約者同士の男と女
男は車を捨て、木立の中を行く女を追う.
鳥の鳴き声が聞こえる.
『こんなに早く、一緒に歩いたことはなかったな』
この二人、翻訳関係の仕事をしていたらしいけれど、夜型の生活をしていたのでしょう.
日の出と共に起きて生活するのは、人間にとって本来の姿のはず.
『君を幸せにしたいんだ.どうすればいいんだ』別れたくない男は、必死に女を引き留めようとするけれど、すればするほどに取り乱して、彼本来の姿を失って行ってしまった.
(散歩中に出てきたキノコの形の家、どうも、原爆のきのこ雲を連想させるものらしい)

ケニア生まれの婦人
ケニアの美しい自然の写真を見ながら、彼女達は話をする.
彼女の家族は、ケニアで鉄砲を撃って狩りを楽しんでいたらしい.自然に生きる動物達にとっては不幸な話である.
のみならず、カバは沢山草を食べるので、時々何頭か殺すという.人間の都合によって自然を歪める行為に他ならない.
小学校に行ければ幸せな方だというケニア.大半の住民が文明とは無縁の暮らしをしているケニア.住民の多くは、単純で、幸福を追求しない生活をしているらしい.そうした彼らの生活が、幸せなのかどうなのか?、それは分らないけれど.....
原住民が民族意識に目覚め、彼らの土地で彼らが幸せを求めるとき、侵略者の白人は幸せな生活を失うことになった.侵略者の白人は、自分たちの文明によって原住民を支配し、原住民の不幸の上に、自分たちの幸せを築いて来たのである.そうした侵略者の白人がたとえ不幸になったとしても、当然の結果と言わなければならない.

逃げ出した犬
探しに行くと沢山犬が居たけれど、犬は犬同士の方が楽しいのではないのか.犬の本来の姿は犬同士の暮らしにあると思う.
芸をする犬は、犬にとって幸せな姿かどうなのか?.

飛行機
試験飛行に便乗して、ローマの上空を飛んだ彼女たち.雲の内は、氷と雪の結晶で輝いていた.文明のすばらしさと、自然の美しさ、どちらをも満喫して、彼女は幸せだった.
けれども、別のシーンでは大空を行く四機の戦闘機、飛行機雲を引きながら編隊飛行する戦闘機が映し出されるのだけど、それらは人を幸せにする文明ではなく、その反対、人を不幸にする文明に他ならない.

証券所
関係者の一人が亡くなったらしい.一分間の黙祷の時間、亡くなった人の事を本当に悲しく思った人がどれだけいたのか?.
人の死を悲しく思うのは、人の自然な感情、人の本来の姿のはずなのだが.

母親
随分前に夫は死んだのだろうか、今ではもう夫のことを思い出すことは無くて、株のお金儲けに夢中だった.亡くなった夫を、妻が時々は思い出すのが人の自然な姿だと思うけれど.

証券マンの男
彼の付き合っていた女の子は、以前は金髪だったらしい.彼女はこっちが本物だと言うのだけれど、けれども黒髪に染めた彼女を見た彼には、どちらが本来の姿なのか分らなかった.何が本当か分らなくなった彼は、彼女と別れることにした.
車を盗んだ酔っ払いは、池に落ちて死んでしまった.車は死んだ男を乗せて池から引き上げられた.彼は『痛みは少ないから直せば乗れる』と言う.『未だ8000キロしか乗っていない』、こう言いながら彼女を見て、やっと彼は気がついたらしい.死んだ人間が乗っていた車なんか、気味が悪くて乗る気になれない、こう思うのが人の自然な感情のはず.

野次馬
集まった群衆たちは、引き上げられる車を見ながら騒ぐだけで、一人の男が死んだことを悲しく思う人間は居なかったみたい.

労働者の若者
『いい男ね』と彼女は言った.汗水を流して働く姿は、人間本来の姿であるのは間違いがない.

株の暴落
大損をした男は、精神安定剤を買い求め、その薬を飲みながら木の絵を描いていた.自然は精神を静めるらしい.彼は安らぎを求めた.
『損をした人のお金は、もうけた人の所へ行くの?』と言う問いに、『そんなに単純な問題ではない』と、証券マンは答えたけれど、文明社会の仕組みは複雑らしい.その複雑な仕組みによって、皆、一度は大儲けをしたのだけれど、けれども結果的には儲けを失っただけでなく、儲ける以前に持っていたお金よりも、遥かに多額のお金を失ってしまった.

新聞記事
男は新聞を読みながらバスから降りてきた.
『競い合う核開発.束の間の平和』
文明の進歩とは、決して人々の幸せを追求する行為とは言うことが出来ない.文明の進歩によって、人々は安らぎを失ってしまった.

ちちくり合う男女
証券マンの男は、仕事の電話の受話器を全部外して、好きな女と何かしていた.好き合った男女は、文明を拒絶して、自然な行為に夢中になった.
彼は受話器を戻しながら、仕事を始めるかどうするか、考え込んで映画は終わる.
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未文明の世の中が、幸せであったのかどうかは分らない.けれども、人間は幸せを求めて文明を発展させて来たのだと思うのだけど、文明の発展と共に、人々は人としての本来の姿を失って行き、何が幸せなのか分らなくなってしまっている.
人本来の姿は、安らぎを求める心の中に、自然を求める心の中にある.もう一度、人本来の姿に戻って、皆が幸せになるにはどうしたらよいのか、考えなければならないはず.